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ブックマーク / tamuratetsuki.hatenablog.com (11)

  • 読書『社会制作の方法』 - tamuraの日々の雑感

    北田さんから『社会制作の方法』(勁草書房、2018年)を頂いた。北田さんが1998年から2010年までの間に書かれた、主に理論的な論文をまとめ直したもの。それらの考察を通じて、現在の北田さんがどのような地点に到達したかということが、ポイントになる。(なお、以下の叙述は、書の第1部、第2部は読まずに書かれています(以前に呼んだことがある論考は含まれているけれど)恐らく当は、「実在」についての話は特に第1部を読んでから書くべきである・・・と認識しております)。 社会制作の方法: 社会は社会を創る、でもいかにして? (けいそうブックス) 作者: 北田暁大出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2018/11/09メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る その到達点は、「序 『社会学の根問題』と社会問題の社会学」に書かれている。ここでは、社会学におけるwhatとhowの区別とい

    読書『社会制作の方法』 - tamuraの日々の雑感
  • 投票に行くことについての雑感 - tamuraの日々の雑感

    〔注:以下は、あくまで走り書きの雑感・メモです〕 投票に行く/行かないということについて、最近、次のような指摘が見られる。つまり、若い世代の中には、「自分は政治についての十分な知識も判断力もない。そんな自分が投票に行くのは、無責任である。だから、投票には行かない。」という考えがあるというのである。 たとえば、社会学者の富永京子は、ある新聞記事の中で、次のように述べている。「私も学生時代はそうでした。自分が何かを選ぶことで、選ばなかった何かを否定し、「踏みつける」ような気がして怖かった。投票しなければ、誰も傷つけずにすむと思っていました」。この発言が最初に紹介したような「考え」と全く同じことを指しているとは言えないだろうが、それでも、「うかつに判断・選択することが、ネガティブな結果をもたらす可能性を憂慮し、そのような判断・選択を控えることにある種の道理性を見出す」という点では、共通している部

    投票に行くことについての雑感 - tamuraの日々の雑感
    namawakari
    namawakari 2017/10/22
    重要な指摘。社会環境の変化が自由からの逃走を推し進めているのかも。対抗策がリバタリアン・パターナリズムくらいしかなさそうなのもなんとも悩ましいが。
  • 山口定先生について - tamuraの日々の雑感

    昨年亡くなった山口定先生について、ブログに書く機会がなかったので、多少のことを記しておきたい。なお、文章はあまり精緻ではない。どうかお許しを。 僕は山口先生とお会いする機会は一度もなかった。しかし、母からよく名前を聞いていて、またその母の影響もあって学部生時代にドイツ政治に興味を持っていたつもりでいたころに、山口先生のをいくつか読んでいたこともあって、自分の中では、いつも参照すべき研究者であり続けていた。 元々歴史の勉強をしようと思って大学に入学し、しかし今思えば全く自分の不勉強のために歴史の勉強をどうやればいいのかわからず、とにかく「理論」を勉強しなければいけないのだと思っていた頃、山口先生の『政治体制』(東京大学出版会、1989年)は、自分にとって「理論的なとはこういうもの」という手となるであったように思う。正確に言うと、圧倒的な読書量の不足の中で、自分が読んだ数少ないちゃんと

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  • 読書 - tamuraの日々の雑感

    以前に頂いていた、金慧「自律と所有――自己尊重の社会的基盤をめぐって」須賀晃一・齋藤純一編『政治経済学の規範理論』(勁草書房、2011年)を読了。 政治経済学の規範理論 作者: 田中愛治,須賀晃一,齋藤純一出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2011/03メディア: 単行購入: 1人 クリック: 43回この商品を含むブログ (11件) を見る 著者の主張は明確である。つまり、「自律」(他者の意志に従属しない状態)のためには、「所有」によって可能となる「自己尊重(self-respect)」が必要だということである(117頁)。この点を著者は、アレントとロールズの思想の検討によって確認していく。両者は、異なる点もあるものの、どちらも、所有→自己尊重→自律という議論を行っているとされる。 個人的には、特にアレントの解釈を興味深く読んだ。僕が素人だからかもしれないが、アレントにおいて、私的領

    読書 - tamuraの日々の雑感
    namawakari
    namawakari 2011/05/30
    “アレントの描く個人は、私的領域=私的所有によって自己尊重を獲得したのち、なぜ、公的領域に「必ず」出ていくと言えるのだろうか”
  • 読書 - tamuraの日々の雑感

    山根純佳『なぜ女性はケア労働をするのか』勁草書房、2010年。 なぜ女性はケア労働をするのか―性別分業の再生産を超えて 作者: 山根純佳出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2010/02/23メディア: 単行購入: 5人 クリック: 66回この商品を含むブログ (13件) を見るストップしていたのを再開して、第4章「家庭における交渉実践と変動」まで読了。 問題関心が重なるところがあって、というか、先日書いた原稿と論点が重なるところがあって、それなりに興味深い。特に、江原由美子氏の「ジェンダー秩序論」に注目しつつ、それを(あえて)言説構造決定論として乗り越えようとする点が興味深い。 物質的基礎と言説的基礎の二元論とでもいうべき理論構成ということだと思うのだが、時と場合によって、あちら(物質)が効いていることもあれば、こちら(言説)が効いていることもある、という具合であって、つまり、両者の

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  • 宇野 2010 - tamuraの日々の雑感

    シドニーへの行き帰りで、宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書、2010年)を読了。 〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書) 作者: 宇野重規出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/04/21メディア: 新書購入: 10人 クリック: 174回この商品を含むブログ (61件) を見る一読しての全体、とりわけ前半の印象は、「再帰的近代化」という状況における「個人」のあり方の変容とそこでの「デモクラシー」の必要性を、実に平易な言葉で、しかし、欧米の社会理論で論じられているポイントは逃さずに、論じている、ということである。その筆さばきは、さすがと言うほかはない。 さて、現代の「新しい個人主義」と言っても、著者の注目するそれは、両義的なものである。一方で、現代の〈私〉は自分の「かけがえのなさ」にこだわる〈私〉である。他方で、その〈私〉は「大勢のうちの一人」でしかない自分というものを

  • 雑感 - tamuraの日々の雑感

    某さん曰く、「理論や思想に興味がある人には『世界を説明し尽くしたい』という衝動・欲求のようなものがあるのではないか」と。 なるほど〜、一般的にはとてもよくわかる。だけど、さて自分はどうなのかというと、実はよくわからない。。。自分はどうして今やっているようなことをやっているのか。たぶん「世界」(というのは「世界各国」というような意味ではなく)に関心があることは間違いなく、それを少し具体的に言うと、「不確実な世の中でどうやってやっていくのか?」ということになる。 でも、そう言いつつも、念頭に置いていることはもっとせま〜いことばかりのような気がする。それに、「不確実な〜」というのも、現実そのものへの関心がら来ているのかどうかも、実はよくわからないような気がする。 渡部純さんの言葉で言うと、恐らく僕は、「政治的関心」と「政治学的関心」とに分けた場合、主に後者の方で自分の関心を形作っているからなんだ

    雑感 - tamuraの日々の雑感
  • 読書 - tamuraの日々の雑感

    『期待、制度、グローバル社会』(勁草書房、2009年)の第1章、河野勝「制度、合理性、期待――新しい政治経済学のための原理的考察」を読んでみた。 期待、制度、グローバル社会 作者: 田中愛治,河野勝出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2009/09/29メディア: 単行購入: 2人 クリック: 16回この商品を含むブログ (8件) を見る ここ数年、経済学に対抗した形で「政治経済学」を提起されている河野先生の論調が、章でも、いかんなく発揮されている。 特に興味深いのは、盛山和夫に依拠して、「一次理論/二次理論」の区別を導入し、それを経済学の、特にゲーム理論的枠組みへの批判のためのツールとして用いている点だろう。というのは、かつて某シンポで、河野先生が盛山氏の議論を肯定的に参照する報告者に対して、かなり厳しい(と僕には感じられた)批判をされていたからだ。認識を変えられたのだろうか。ある

    読書 - tamuraの日々の雑感
  • 読書 - tamuraの日々の雑感

    持ってきたのうち、盛山和夫『リベラリズムとは何か』(勁草書房、2006年)を、今頃になって読了。 リベラリズムとは何か―ロールズと正義の論理 作者: 盛山和夫出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2006/06/01メディア: 単行 クリック: 44回この商品を含むブログ (49件) を見る以前に100ページくらい(あと、一番最後のあたり)読んだところでストップしていたのだけど、最後のところ以外は全く頭に残っていなかったので(苦笑)、最初から再読。 で、今回はとてもよくわかった(海外効果?)。 全体として、『制度論の構図』以来の盛山氏らしい視点が明確で、その観点からのロールズとそれ以後のリベラリズム評価ということになっている。 立場としては、『正義論』と『政治的リベラリズム』の連続性を強調し、そのラインでのロールズの試みを反基礎づけ主義的なものとして、『正義論』以後の他の論者のリベラリ

    読書 - tamuraの日々の雑感
    namawakari
    namawakari 2009/09/13
    “ルールや規範が、我々が「そう思っている・見なしている」から通用していると経験的に把握することと、それらのうちのどれが「公共性」にとって規範的に望ましいものなのかを弁証することは、やはり異なる”
  • 読書 - tamuraの日々の雑感

    『高畠通敏集2 政治の発見』の中の、「管理民主主義の政治構造」(初出:1978年)と、「一国社会主義者――急進的知識人の転向の原型」(初出:1959年)を読む。 高畠通敏集〈2〉政治の発見 作者: 高畠通敏,栗原彬,五十嵐暁郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/07/07メディア: 単行 クリック: 2回この商品を含むブログ (2件) を見る前にも書いたと思うが、高畠氏の文体は、以前に思っていた以上にクリアカットかつ平易であり、大変素晴らしいことだと思う。 「管理民主主義の政治構造」を読んで、あらためて思ったのは、確かに70年代に管理社会論が唱えられたことには理由があったのだろうけれども、でも、まだ「ゆるさ」のようなものがあったのではないかな、ということだ。今と比べたら、管理からもれそうなところがたくさんあったんじゃないかなと思ってしまう。 でも、気管理社会が同時に「組織社会

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  • 国家と市民社会 - tamuraの日々の雑感

    Anne Phillips, "Does Feminism Need a Conception of Civil Society?," in Simone Chambers and Will Kymlicka (eds.) Alternative Conceptions of Civil Society, Princeton University Press, 2002. Alternative Conceptions of Civil Society (Ethikon Series in Comparative Ethics) 作者: Simone Chambers,Will Kymlicka出版社/メーカー: Princeton Univ Pr発売日: 2001/11メディア: ペーパーバック購入: 1人 クリック: 6回この商品を含むブログ (1件) を見る フレイザーとハーバーマス

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