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namgenのブックマーク (1,744)

  • 『ヘニング・マンケル『リガの犬たち』(創元推理文庫)』

    リガの犬たち (創元推理文庫) スウェーデン警察小説というより、もはや世界的なそれとして評価されるクルト・ヴァランダー刑事シリーズの第二作目。原著初版1992年。 前作の影を引きずるところもあるが、書から読み始めても問題はない。 それよりもスウェーデン近辺の地図を見ておくと、書の魅力が増すことまちがいなしなので、グーグルマップあたりで一手間かけて、バルト三国との距離を確認しておきたい。 何しろ書の最大の魅力は、ヴァランダーがスウェーデンの田舎町イースタから出て、アウェイで孤独な戦いを強いられる、そのホームとの距離感、緊張感にあるからだ。 スウェーデン南部の海岸に、ゴムボートが漂着する。中には高級スーツを見まとった男性が二人、抱きあうように死んでいた。指先は万力で潰され、全身に火傷痕。明らかに拷問の犠牲者であった。 身元調査の結果、ラトビアの犯罪者と判明。急遽、ラトビア警察から捜査官が

    『ヘニング・マンケル『リガの犬たち』(創元推理文庫)』
  • 正しさだけでは生きてゆけない - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ずいぶん長く更新しなかったな。この間、吉隆明さんや安永蕗子さんが亡くなられて、感慨もひとしおだった。近親者の死(吉さんと同年)にも見舞われた。まだ肌寒い北陸で野辺の送りに立会いながら、「朝には紅顔ありて夕べには白骨」の無常が胸に沁みた。 の額よりも狭い庭の、冬のあいだすっかり葉を落として寒々しい枯れ木となっていた枝にいつのまにか青い芽がちらほらと見えたかと思うと、まるで一夜明けたらとでもいうようにいっせいに青葉が生い繁り、たちまち万緑の様相を呈したのには驚かされた。自然のもつ命の力を思った。 むろんこの間、いろいろとを読んだりもしていたわけだけれど、それらについてなにか書いてみようという気持ちになかなかなれなかった。ようやく春めいてきて、若葉とともにちょっと気持ちが動いてくるところがあった。今日は雨。今頃の雨を若葉雨という。途中まで書いてひさしく打ち遣っていたものを、これを機縁に書

    正しさだけでは生きてゆけない - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 坂のある非風景 誘惑的なあまりに誘惑的な

    誘惑的なあまりに誘惑的な書き方があるということは、きっと誘惑される人がいるのだろうし、誘惑に抵抗する人がそこに佇んでいるのだろう。誘われてもそこに場所はないのだ。場所がないということがきっと私たちを誘惑し、その誘惑に抵抗させる。 通路をまっすぐ歩くしかない高級百貨店の反対側には、人をよけながら斜めに歩く安売りスーパーがあって、その先には暗い夜ばかりが広がってときに強い風が吹いたが、何も起こらなかった。強い風が吹いているのに何も起こらないことを信じることができるだろうか。通路は斜めに歩くほうがいいと私は思う。 花は見ない。桜の花の話をしてくれる知人がいて私は幸福なのだろうが、私は、ラジオを聴かないように花を見ない。ラジオからは音楽が流れてくるからだし、花からは……花からはいったい何が流れてくるだろうか。 4月1日のテレビドラマ『SPEC』の話をちょっとだけすると、瀬文のために感覚を失った当麻

  • ガジュマルの廻廊:石牟礼道子『常世の樹』 - 記憶の彼方へ

    常世の樹 天草上島栖のアコウの樹、五島福江島の椿、福岡県英彦山(ひこさん)の杉、鹿児島県大口市の桜、熊県五箇荘葉木の樅の木、熊県阿蘇俵山のカゴノキ(鹿の子木)、大分県檜原山の千かつら、大分県高塚の公孫樹(いちょう)、鹿児島県蒲生の樟(くすのき)、鹿児島県屋久島の杉、山口県祝島の桑、沖縄伊芸のガジュマル。 書は表向きは三十年前に石牟礼道子さんが南島の古樹に逢いに行った旅の記録であるが、その内実は西欧近代文明批判である。彼女は沖縄の嘉手納基地そばの廻廊の如き、気根が垂れ下がるガジュマルに、パルテノン神殿とは異質な文明の可能性を垣間みた。 ヨーロッパ文明のひとつの帰結がアメリカであり、それをなぞって来た戦後日の、圧倒的金権信仰の餌となったのはほかならぬ水俣だった。人類愛とまでは云わない。せめてささやかな慎ましい生命をいとなむ他者への思いやりが、戦後の一地方で、完全に近いほど無くなっ

    ガジュマルの廻廊:石牟礼道子『常世の樹』 - 記憶の彼方へ
  • ポップアップトースターを買った: 極東ブログ

    ポップアップトースターが壊れた。思い出してみると東京に引っ越したときに買ったのだから、もう9年前。引っ越し荷物にオーブントースターを入れる必要なんてないなと捨てて来たものの、東京生活を始めるとやっぱりトースターはあったほうがいいかと悩んだ。たまたまダイエーに行ったら2千円くらいのたぶん中国製のポップアップトースターがあって、これでもいいんじゃないかと買ったのだった。もっと性能のいいトースターがあるのは知っているし、知人はGEのを使っていた。GEのはいいなとも思っていた。使っていない夜には翼を装着してもいいのだし。 なんでもいいやと思って買ったポップアップトースターなのに9年も保った。それなりに優れものだったのだろうか。そういえば数年前一度壊れて解体して修理したことがあった。仕組みは簡単だったから今回も気出せば直せるかとも思って解体したものの、なんとなく気力が抜けた。買い換えてもいいんじゃ

  • 古希を迎えた誕生日 : 道ばたの景色

    T-faLの圧力鍋 月日の経つのが当に早く感じます。定年退職からもうすぐ10年になり、今日古希といわれる70歳に なりました。誕生日といっても特別のことがある訳でなく、いつもと同じ1日が過ぎてゆきます。 青年時代には自分が年寄りになることなど、考えたこともなく過ごしてきましたが、もう時間が限られ、後 少しになってしまった。1日を大事にして使わないと勿体ない。 圧力鍋のネジを回す部分が壊れたので、がホームセンターで新しいT−faLの圧力鍋を買ってきた。 10年保障ということで、確実に一生ものである。鍋の寿命には勝てない。

    古希を迎えた誕生日 : 道ばたの景色
  • δ(d) / λ(l)の差異 - 記憶の彼方へ

    昨日まで、英語のOdysseusはギリシャ系の語彙で、Ulyssesはラテン系の語彙だと私は思い込んでいた。英語のUlyssesはラテン語のUlissesの直系である。しかし、ラテン語のUlissesの素性はラテン系ではなくあくまでギリシャ系なのだということに気づかなかったのである。今夕、ストラスブール在住の言語学者小島剛一さんからの指摘によって目から鱗が落ちた。ラテン語のUlyssesはギリシャ語名Οδυσσεύςの方言形Ολυσσεύςから来たものだったのである。つまり、ギリシャ語名における「δ」と「λ」の一文字の差異が、ラテン語名ではOdysseusとUlissesの差異にまで広がり、その一見した差異の大きさの故に、よく調べる前に、Odysseusはギリシャ系の語彙、Ulissesはラテン系の語彙だと思い込んでしまっていたのである。しかし、Ulissesも歴としたギリシャ系の語彙なの

    δ(d) / λ(l)の差異 - 記憶の彼方へ
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    盛岡旅行記 なぜ盛岡か。 白龍 店のじゃじゃ麺 岩手銀行赤レンガ館 白沢せんべい店の南部せんべい 盛岡天満宮と盛岡八幡宮 チーズケーキのチロル 大通店のクリームチーズケーキ フェザン/イオンタウン 盛岡駅前 盛楼閣の盛岡冷麺 福田パン 長田町店のパン マルイチ 材木町店 …

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  • ティータイム:COVER PHOTOS: Sadao Toyoshima, 1965 - 記憶の彼方へ

    asin:B0028RBF48 二枚の魅力的なティータイム(お茶の時間)のモノクローム写真。CDカバーに使われたコントラストの強烈な二人の皺苦茶の老婆の写真と、CDに付された一枚両面刷りの解説の裏に縁なしで印刷された猿のような獣のそれと見紛うばかりの苦労と老いの刻まれた右手の写真。前者では、二人の手前にある卓袱台の上には急須と湯呑みが見える。後者では、おそらく仕事を終えた畑ちかくの地面の上に置かれた湯呑みに入れたばかりのお茶がちょっと泡立っている。それを今まさに持ち上げようとするおそらく老婆の右手の親指と人差し指が独立した生き物のように生々しく迫ってくる。ともに、ティータイム(お茶の時間)の一こまを捉えた写真。孤独の合間、労働の合間に、色んな時間と感情が交錯する豊かな瞬間を捉えたいい写真だと思う。その二枚の写真からすでにそれ自体音楽のような語りやつぶやきの声、そしてまぎれもない歌が聞こえて

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  • 鼻つまみ者じいさん - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    村の鼻つまみ者じいさんの添いあいが亡くなった。そのおばあさんは長い間富山の娘さんが連れて行って面倒を見ていたので、じいさんは長い間一人暮らし。亡くなったおばあさんはじいさんとちがってとっても優しくて気が利いて新しいものをとりいれることができる人だった。わが村でトマトやサラダ菜を初めて作った方だったそうだ。 じいさんはお通夜の晩も、僧侶たちが正信偈のお勤めで声を張り上げている時も、導師がいっしょうけんめい通夜説法している時も、葬儀会場最前席の喪主横で、鼻眼鏡でふんぞり返っていた。あの場所であそこまでふんぞり返って座っている人を私は初めて見た。 じいさんはひとりで泣くだろうか

    鼻つまみ者じいさん - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
  • 9.11ラスベガスへの手紙 - 記憶の彼方へ

    そちら、ラスベガスはどうですか? 噂どおりの天国ですか? 映画のなかにでもいる気分ですか? 君がとうとうラスベガスに行ったかと思うと感慨無量です。 しかもよりによって9.11に発ったとは。 ちょっと出来過ぎのような気がするけれど、君らしいと思うよ。 もう帰ってこないって、当かい?

    9.11ラスベガスへの手紙 - 記憶の彼方へ
  • 虫けらどもよひざまずけ: 出ることの叶わぬ外へ、映画「闇金の帝王」レビュー

    2011年9月22日木曜日 出ることの叶わぬ外へ、映画「闇金の帝王」レビュー 闇金業界の実態をリアルに描く、新たな金融業界巨編誕生!!歌舞伎町を根城に闇金業を営む為、街に降り立つ独りの男、南無玄之介(小沢仁志)。数々の修羅場を潜ってきた南無は、路上で出会った男、クロ(鬼丸)と共に商売を始めるが、かつての商売仇である河(小木茂光)との客を騙した駆け引きは、ヤクザ組織をも巻き込む生死を賭けた戦争に発展してゆくのだった…。生きるも地獄、堕ちるも地獄―――俺の名は南無玄之介…金(えさ)を求めて彷徨う、野良犬――――。キャスト:小沢仁志 鬼丸 小木茂光 曽根晴美 成瀬正孝 ほか 「闇金の帝王」あらすじより抜粋主人公は、金貸しである。かれは「少々、派手にやりすぎた」という理由から、ヤクザの元締めであるオヤジに、どこか別の町へ行ってそこで商売をやるようにと、五千万を手切れ金として追放され、新宿・歌舞

  • miya blog:SSブログ

  • 仮初めの住み処、懐かしい人生 - 記憶の彼方へ

    asin:4062136961 清岡卓行は八十三歳の死の年に自分の記憶のなかの断片の情景について次のように書いた。 長い場合には数十年、短い場合でも数年、私の記憶のなかに断片のままぽつんと孤立をつづけ、ほんのときたま、まったく不意に意識の表面に、それもなぜかそのときは鮮明に、あらわれてくる情景がある。 (中略) 私は八十歳を超えたころから、これら断片の情景をそのまま放置せず、小説や詩のなかでなくともいいから、とにかく文字で組み上げて一応は堅固に見える書きもののなかに、わずかな年月でも保存したいと思うようになった。 自分はそのうち死ぬとしても、それら断片の情景がすべて一度も文字でできた仮初めの住み処をもたず、私とともに地上から消えてしまうとすれば、それは物書きであるはずの自分の怠惰のせいではないかといった変な寂しさ、−−他人から見れば滑稽でしかないだろう寂しさを覚えるようになったのである。

    仮初めの住み処、懐かしい人生 - 記憶の彼方へ
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    namgen 2011/09/28
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    namgen
    namgen 2011/09/28
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    吹奏楽コンクール リウマチの調子が悪い!薬の副作用もやばい! 副作用のせいでご飯が全然べられなくなって顔から痩せていくんだけど、お腹とかお尻から痩せたらいいのに。蓄えがあるから多少痩せたってちょうどいいくるいやけど、幸薄そうに見えるから顔は太ったままがいいなぁ。 お…

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    namgen
    namgen 2011/09/07
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    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

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  • 終風日報編集後記 シベリア抑留で思う - finalventの日記

    トップ記事がツイッターの基的な使い方の解説。新聞の記事とは言いがたい。他の話題を見るにさほど興味も引かれない。今朝の毎日新聞の社説「シベリア抑留 後世に伝える仕組みを」との話を思い出す。引用しよう。▼「第二次世界大戦の終了後、旧満州(現中国東北部)などで降伏した日人兵士たち約57万5000人(厚生労働省調べ)がソ連領やモンゴル領に連れて行かれ、労働を強いられた。うち約5万5000人(同)が抑留中に死去したとされている。今年春までに約2万人の遺骨が帰ったが、身元が判明したのは約800人。現在、日に生存する元抑留者は約7万人と推計されている。」▼社説の話は概ねそうであろう。昭和32年生まれの私は身近ないろいろなところでシベリア抑留の話を聞いたものだった。体験者からも直接聞いた。これだけ多くの人が悲惨な境遇にあったのだから市井に語られないことはない。だが表立って語られない面もあった。ソ連支

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    namgen
    namgen 2011/08/22
    遺棄された人々
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    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

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