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犬山に関するnaoruのブックマーク (4)

  • 犬山高校のあゆみ 女子制服のこと

    犬山高校のあゆみ      女子制服のこと 戦時中はもちろんのこと、戦争が終わっても、制服をこれと決めることはできなかった。 終戦直後の、新制高校となった犬山高校に通う生徒の格好も制服といった体をなしていないものが ほとんどであったようだ。新制高校発足当時のことを第20代校長佐藤武はこう書いている。 昭和23年10月31日、高校第1回関東方面修学旅行。 よくみると、制服はバラバラ。 昭和24年3月、高校第1回卒業式。やっぱり制服はバラバラ。 しばらくすると、男子学生服、女子セーラー服という形で、犬山高校の制服となった。 ところが、細かい規定がなく、結構まちまちのセーラー服などを着ていたようで、昭和31年(1956年) 女子の制服が統一された。当時の「犬山高校新聞」にはこんな記事となって出ている。 最近校生徒の服装について"乱れがちである″との非難が各方面から起っている。このため学校側では

    naoru
    naoru 2016/07/09
    B!"戦時中はもちろんのこと、戦争が終わっても、制服をこれと決めることはできなかった。終戦直後の、新制高校となった犬山高校に通う生徒の格好も制服といった体をなしていない…"
  • 犬山高校のあゆみ 体操服の変遷のこと

    犬山高校のあゆみ      体操服の変遷のこと 現在、体操服の素材といえば、ポリエステルがほとんど。 ポリエステルは1941年に開発されましたので、 それ以前には、ポリエステル素材服なんていうのはなかったわけです。 ポリエステルの特徴は、耐摩耗性、耐久性 まさに体操服の素材にぴったりです。 さらに吸湿性が低いので、汗がすぐ乾くといった機能もあります。 そんなこんなで、現在では、ポリエステルは体操服素材のトップの地位に君臨しています。 現在主だったスポーツのユニフォームはほとんどポリエステル素材です。 ちょっと前まではラグビージャージといえば、綿でしたが、最近ではポリエステルです。 柔道、剣道などは綿のままです。 一昔前までは体操服といえば、綿が主流でした。 ジャージが主流となる前の白いトレパン(1970年頃以前です)を覚えておいでの方もおいででしょう。 さて、今回は、そんな体操服の変遷です

    犬山高校のあゆみ 体操服の変遷のこと
    naoru
    naoru 2016/07/09
    B!“現在、体操服の素材といえば、ポリエステルがほとんど。ポリエステルは1941年に開発されましたので、それ以前には、ポリエステル素材服なんていうのはなかったわけです。”
  • 平成28年夏催事「かさね写真の幽霊」を開催(7/9~9/19)|新着情報|最新情報|博物館明治村

    naoru
    naoru 2016/06/24
    B!“別人の顔写真を何枚も重ね撮りすると出来上がる最大公約数的な写真を「かさね写真」と言い、明治時代後期に流行しました。犯罪を未然に防ぐ研究…”
  • 木曽川と入鹿池|水の話|フジクリーン工業株式会社

    木曽の山間を流れてきた木曽川の急流は、犬山市の辺りから穏やかな表情に変わります。左岸の小高い山の頂上に優美な姿の天守閣が聳えています。白帝城の名を持つ国宝犬山城です。江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)が中国の長江沿いに建つ白帝城になぞらえて名付けたといわれています。この辺りから上流の木曽川は「日ライン」とも呼ばれています。 長野県の木祖村に源を発し、伊勢湾までの約229kmを流れ下る木曽川。日で7番目の長さを誇る川です。中流域に当たる愛知県犬山市辺りでの平均流量は毎秒169m3に及びます。長良川、揖斐川とともに木曽三川の一つに数えられています。 州のほぼ中央部、岐阜県(美濃)南西部から愛知県(尾張)北西部にかけて日で2番目の広さを持つ平野が広がります。美濃と尾張にまたがるところから濃尾平野と呼ばれています。この平野は木曽三川によって運ばれた土砂のたい積によってつくられた沖

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