GW合併号特別企画 第1部 学校名が生きるのに邪魔だった 社会に出てつくづく感じた受験秀才の「限界」 開成、灘、筑駒 卒業30年後の「神童」たち 天才と呼ばれた子どもたちは、大人になって幸せになったのだろうか 「小学校時代は神童と呼ばれました」。3校の卒業生は必ずそう言う。少しズレた感覚で青春を送った彼らも、大人になり、50歳を前にして思う。俺はいつから「特別な人間」じゃなくなったのか—。 「自分は特別なんだ、ずっとそう思って生きてきました。でも自分の会社人生の先が見えてきて、気づいたことがあります。ひょっとしたら、灘高卒という学歴は俺にとって邪魔だったのかもしれない、って」 そう語るのは、メーカー勤務のAさんだ。小学校時代はもちろん「神童」で、東大法学部から大手メーカーに就職。自分では同期の誰よりも優秀だと思ってきたが、50歳を前にして、役員になれないことがハッキリとわかった。 「中学生