何百年後とかになって腐女子の同人誌とかを根拠に当時の日本人男はみんなホモだったとか言われても困るよなあっていう
自覚してから15年ほど腐女子をしている。私の場合、男性がメタボで巨根のオジサンにめちゃくちゃにレイプされて、嫌なのに気持ちよくて喘いでいるのが好き。まあ定番だよね。10代の頃から一貫して好き。 彼氏は、私のBL消費を性欲の発散だと解釈して(生)温かい目で見守ってくれている。レズもののAVみたいなもんだよね、と。 しかし私の実感としては、BL消費は性欲につながっていない。私はそこにいないから、性欲を発散しようにもできないからだ。もし性欲を発散するなら、ゲイカップルと3Pとかになるとかになってくるが、メタボで巨根のオジサンとは3Pしたくない。 性欲ではない。でも性的なことに興味があって、ほぼライフワークと化している。性欲でないなら何なのか。15年前から考えてきたが、なんのことはない、シンプルに支配欲とか征服欲だった。 BLとは、性を通じて人(っぽいもの)を支配する快感を味わうことなのだと気づい
新潟の事件とかで、早速「またオタク批判が始まる!差別だ!ロリ趣味を脅かす動きに反対!」ってイキってるオタクがいるし、はてブにも沸いてるけど、正直なんでそんなに「自分の権利を脅かさないでくれ」って騒げるのか全然思わない。 自分が好んでるものを奪われるのはつらいし、反社会的って言われたらモヤモヤするのはわかるけど、でもリアルにいる幼女見て「パンツ見えた」だの「ハイエース(誘拐の隠語って今回初めて知った、マジでありえない)したい」だの言ってる連中がいたら、そりゃ権利権利言っても「は?」って思う。 幼女の人権より、自分たちの楽しむ権利が優先なのかよ、と思うと反吐が出る。 実際に手を出さない!って言っても手を出してる犯罪者もいる。 あと、「LGBTなら文句は言われないのに俺達は言われる、不公平だ」って言ってるのも見たけど、男性が男性に声をかける、女性が女性に声をかける、そうしたら断る権利がある。そし
けいおんからじわじわと感じていたストーリーの不要性、求められるのはキャラクターの可愛さ・関係性と舞台装置。 キャラクター性が強いアイドルアニメが流行した。 その後艦これ、刀剣乱舞あたりが流行し、二次創作という場で大流行した。 キャラクターの見た目と方向性と舞台装置である世界観だけが用意され、 多くは語られない。 それ故にファンは妄想を繰り広げる。 自由性が高いということが二次創作のしやすさに繋がる。 キャラクターと舞台だけは共通しているのでオリジナルとも言い難い。 それに、多くの人が手に取れる仕組みだ。 そこにバーチャルユーチューバーが登場。 最初にあらわれたキズナアイはただユーチューバーの見た目を2次元に落とし込んだものだったが、 ここに来て鳩羽つぐが登場。 世界観とキャラクターのみの提示を、アニメの枠を超えてしてきた。 具体的なストーリーはいらない。 もはや、30分アニメである必要は一
なろう小説のハーレムものとか見てて思うんだけどね、 主人公にデレッデレで恋愛至上主義のヒロインに魅力感じる読者っているのかね。 まあ、内心デレデレなのは別にいいんだが、あんたの人生それだけかよって、いつも思うんだよね。 「最も重要なもの(目的とか価値観とか)は別にあって、ついでに主人公も憎からず思ってる」 って位の位置づけの方が、ヒロイン力が高い気がするんだよね。 ぬーべーのゆきめとか、ぬーべーを殺そうとしてた時とか「さようなら鵺野先生」とか言ってた時の方が明らかにヒロイン力高いだろ。 (あ、ネタバレあるんで一応。) GS美神の裏ヒロインというか、このキャラの存在が重すぎて作品が終了した感があるルシオラとかね。 歳がバレそうだが、あのキャラのヒロイン力すげえだろ。 ヤッたら死ぬけど、今夜一発ヤって死のう!ってくらい横島にホレてる割に、 終始一貫して横島と食い違ってて、最重要なのは自分の価値
私が初めてコミケに行ったのは、高校二年生の夏休みだった。 その時ハマッていたジャンルの有名なサークルさんの新刊がどうしてもどうしても読みたくて、真っ先に読みたくて、コミケの参加方法を調べて、交通機関を調べて、一生懸命メイクをして靴を履いて水筒と小銭を持ってコミケに行った。 人が多いと聞いていたけど、こんなに多いとは思っていなくて、足踏み散らかされ吐きそうになりながら目当ての新刊をゲットした。最高だった。 早く読みたい早く読みたい!! と思っていたのはそうなんだけど、せっかくなら、もうちょっと見て回りたいな、と思ったので少し会場を見て回ることにした。 当時の私は高校二年生だったので、参加費を勿体なく思ってしまったのだ。 他のサークルさんを下調べもしなかったし、一般初参加で勝手が分からない私は、取り敢えず会場をぐるぐるしてみようと思った。 取り敢えず見て、良き出会いがなければ素直に帰るか~とい
聞こえますか・・・予想以上に長くなってしまったので先に伝えたいことを伝えます・・・ 人間はみな孤独で、不安で、余裕がない自分を貶す行為は、周りを無差別に攻撃するようなもの「自分に自信がない」は「他人を攻撃する」免罪符ではないあなたと違う意見を持つあの人は、あなたを否定しているわけではないあなたを否定するあの人は、あなたの仲間に入りたいのかもしれない誰かに傷ついたり怒った時、それを公的な場で発散する前に相手への「決めつけ」が存在していないか探すその「決めつけ」は、あなたが過去受けた傷と関連していないか確認する不幸な人に共感しない、本当に仲良くしたいならば自分の不幸と他人の不幸をごっちゃにしない所詮140文字の文章で他人の価値観など推し量れない「決めつけ」と「否定」さえ行わなければ他人に話しかけた時拒否されるリスクが低くなる「好きじゃない」のは仕方がないし、相手から離れる理由はそれだけでじゅう
ビジネスモデルの一つにされただけ。 アニメオタクを気持ち悪いと思っている層もいるし、犯罪予備軍だと思っている層もたくさんいる。 オタクはお金を持っていて、好きなものには惜しみなくお金を落とすと気づかれただけのように感じる。 企業がtwitterでバズっているネタに便乗するのもオタクからのイメージをよくしネットからの評判をよくしようとしているだけ。 コミックマーケットがテレビに取り上げられる。痛バッグや痛車がメディアに取り上げられる。 初音ミクを県と協力してプッシュする。県がアニメの聖地巡礼を促す。 これに両手を上げて喜んでいるアニメオタクは、世間から認められて自分の立ち位置が確立すると思っているのか?
正確に言い直すと、「保守派とリベラルの両方に表現規制派がいるのに、リベラルだけがオタクから嫌われる理由」である。 結論を最初に書くと、それはリベラルが"自由"を重んじる思想だからである。 従来は男だけが持っていた自由を、女にも与えましょう。女は結婚前にセックスを楽しんでよいし、好きな相手と恋愛結婚をしてもよい。ファッションだって好きなものを選んでよい。この自由を拡大し、もっと確固たるものにしていきましょう。――これがリベラリズムの考え方だ。 そうやって普段から自由、自由と言ってきた奴らが、「エロ漫画を楽しむ自由」を奪おうとしてきたら、そりゃ当然、オタクたちだってブチ切れるわwwと思う。 これに対して、保守派は、自由というものの価値を重んじていない。 現代の保守派は、上述したくらいの権利を女性に認めてはいる。しかし、それは既存の社会慣習を承認したというだけのことであって、自由という観点からそ
先に言うとタモリは好きだ。 子供の頃からいいともをよく見ていたし、ジャングルクッキングとかのタモリもよく見ていた。 タモリ倶楽部も面白いし、いまでも好き。 しかし、タモリは全肯定されすぎな気がする。タモリが教養あるように思われている昨今だが、あれは教養ではなくて、豆知識の集積であるように感じる。 ブラタモリもまちの新たな見方を提供した番組のように思われているが、どうもサイエンス的な裏付けが弱い気がする。 いうなれば、やたら俗説をよく知っている戦国オタクのようなもので、最近のタモリ界隈の雰囲気は疑似社会科学っぽさが高い。 はてな界隈は疑似(自然)科学には目ざといが、社会科学や人文科学では途端に俗説をよく知っている戦国オタクのようなものを褒め称えている気がする。 #追記 想像以上に反応が大きくてびっくりした。殴り書きのつもりだったので、みんなの反応をみて自分の考えも少しまとまった。 タモリは科
先に言っておきます。これは一人の「オタサーの姫」の壮大な愚痴です。 誰かに言うのもバカバカしくて、ずっと言えずにいた愚痴です。 当然愚痴ですので、不特定多数の人を傷つけてしまうような言葉もあるかもしれません。 それでも、誰かにどうしても聞いて欲しいと思ったところでこのブログの存在を知りました。 いささか不慣れな箇所もあるかと思いますが、どうかご容赦ください。 私のいる環境は、いわゆる男女比のバランスの悪い環境です。 専攻の都合上大学のゼミにも女性はあまりおらず、サークル活動にも頻回で参加するわけではありませんが、女性は多くありません。 もともと興味があった分野が女性よりも男性寄りで、学部を選ぶ時も、一も二もなく今の学部を選びました。 その選択自体に後悔はありません。 入学して少し経って大学に馴染んできた頃、久々にあった高校時代の知人に、不思議な事を言われました。 「XXちゃんって、オタサー
スーパーサセコだったので、男の人のセックスの上手下手は実際にやらなくても、 わかるようになった。セックス下手な男は性格に問題あるケースが多いので、 ちょっとかっこいい位でなびかない方がいいよ。 ・ちゃらい遊び人 下手度120% いわゆる遊び人みたいな男は全員セックスが下手だった。これ確定っていっていい。 いろんな女の子とセックスしてるんだろうから上達しても良さそうなのに、下手。 全然優しくないんだよね。触り方も何もかも。これ、年齢とか関係なくて、 オッさんでもチャラチャラしてる人は本当に下手。 ・オタク 下手度80% カメコさんや、同人誌書いてるタイプの人ら。まず、ボディがだらしない人が多い。 特にガリガリの人は骨が当たって、あんまり気持ち良くない。 太った人は体臭キツイ事も多くて、シャワー浴びてもらってるのに辛いとかあった。 テクニックに関しては、身体中を舐めまわしたがるとか、ずっと乳首
オタク向け婚活パーティというものにこの1年で10回くらい通って、カップル成立4回、その後継続して会う人も絞れてきたので参加終了にしたアラサー女です。世話になったぜありがとうア○○ラ。 区切りがついたので、婚活パーティのあとの女子飲み(カップル成立しなかった子達で飲んで帰った)(何回かあったけど実のところこれが一番楽しかった)で話題になった「こうすればもっとモテそうなのにもったいなかった男性のポイント」を挙げてみたいと思います。 個人的な感想ですが、人見知りの引きこもりが自分を鼓舞してパーティに参加するのめちゃめちゃハードル高かったです。 料金や会話のシステム(女性は座りっぱなしで男性が席替えする)的に比較的優遇されてる雰囲気の女性側でもびびりまくるので、男性側はもっと気が重いんじゃないだろうか。 がんばって戦っている男性の参考になればうれしいです。 好きな作品の欄がもったいない 記入例をそ
いや、金がないとか暇がないとかモテないとか、そういうことじゃなくて。 女子高生痴漢絵師とか、女子中学生監禁学生とか、ああいうイカれた犯罪者がたまに出現しちゃうのは防ぎようがないことだとは思うんだけど、連中を持て囃したりネタとして消費したり犯罪者を擁護したりするオタクがかなりの数出現してきていてつらい。もちろん一般人男性にもかなりそういう連中はいるだろうから、オタクだけ取り出してそう言われるのは心外だと言えるかもしれない。でもネット上で目立ってるのは、明らかにオタクの二次加害者だよね。二次元と三次元は関係ないとか、架空の児童より実在児童の人権をとか、そういう旗印がどんどん汚れていくのが見えるのがそれらを未だに掲げ続けようと思っている人間にとってはつらすぎる。 昔は楽しく観れていた小説やアニメや漫画を見直すとたまに地雷にぶち当たってつらい。『涼宮ハルヒの憂鬱』のどぎついセクハラは流石に読んでた
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。 フェミニズムとは何だろうか。 私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。 しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。 そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らない
はじめに90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。 本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。 「おたく」の誕生第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄
男性アイドルのファンはほとんどが女性だ。しかも年齢層も低いことが多いと思う。そんな若い女の子達が最近コンサートのチケットをツイッターやネットオークションやチケット売買サイトなどでチケットの定価よりも何倍もの高額でやりとりしているのは少し話題になっているとも思う。若い女の子達が軽い気持ちで大きなお金を手にしたり、使ったりしてしまうのだ。ここで具体的な名前は出さないけど、今から話すのは有名なアイドルの事務所のファンの話だ。私もその事務所に属しているタレントのファンをしている。いわゆるオタクだ。オタクをやるには稼ぎが必要で、今学生の私はバイト代でコンサートに行ったり、CDを買ったりしている。今通ってる学校の学費も奨学金とバイト代から出さないといけなくて、この夏は一瞬頭がおかしくなった。足りると思ってたものが全然足りなくて、このままじゃだめだと思ってなんとかもっと稼げるものはないかと思って、私はい
リア充グループと交流していて分かるのは、オシャレとは埋没なのだということ。 しめじのような量産型女子大生よろしく、世のリア充はちょっとした手間と金額を惜しまないことにより、周りから浮かないことを優先している。 リア充のオシャレはコミュ力の一貫だ。一般に支持率の高い服装をすることで、自分は特別変わってはいない適度にオシャレにも興味があり常識もある付き合いやすい人間であるとアピールできる。 その結果、友人や彼氏彼女ができやすくなる。 けれどオタクやオタサーの姫がやるオシャレは埋没とは真逆であって、個性的な自分を演出することが先に出る。 周りから浮いても自分の好きな服を着ることがオシャレなのだと思っている。 あえて人に媚びたオシャレをしないことが自分の美学だと思っている。ある意味では、全く服に興味がなくダサすぎて浮いている人もそれに含まれる。 最近話題の、いわゆる「童貞を殺す服」を着ている女子は
「物語を消費する」とかクッソ偉そうなこと書いたけど、要はアニメ観るのがしんどくなってきた。 例えば、重厚で深い設定を読み込む必要のある物語や悲しくも美しく泣かせる物語みたいに、少し身構える必要のあるアニメじゃなくても、観るのがしんどい。 ヤマカン言うところの「美少女動物園」とかでも、まず第一話を観るのがしんどい(これから物語にいざなわれる、その体験がまず面倒くさい)。 重い腰を上げて第一話を観ると意外と楽しめたりするんだけど、途中で飽きて最後まで観られなかったりする。最後まで観ることに成功して「ああ、よかったなあ」と思っても、その「ああ、よかったなあ」が続かなくて、やはり最終話まで観ることがない。 そういえば前期は「長門有希ちゃんの消失」を楽しく観ていたはずなんだけど、途中で観なくなってしまった。何か特別な理由があるわけではなくて、ぷつりと観なくなってしまった。 「別にアニメなんて観なくて
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