改装後の扶桑型の防御方針は三年式徹甲弾に対する安全戦闘距離が20,000m~25,000m[46]となり、新たに水中防御として約69mm~76mmの厚さの鋼鈑が追加される事となった。これは概ね炸薬量200kg~250kgの魚雷への対応防御[47]に当たり、新造時には水中防御を有していなかった扶桑型にも改装によって水中防御が備わる事となった。[48]また、水中弾防御として弾火薬庫側に約50mmの甲鈑[49]が貼り増しされた。 第一次世界大戦とその影響[編集] 日本海軍が第一次大戦を通して得た教訓は以下の通りであった。 防御力強化の重要性[50] 主力艦中心主義と巡洋戦艦戦隊を中心とした前進部隊の価値の再認識。 また、英巡洋戦艦の喪失理由としては砲塔と弾火薬庫の局部的防御法の不備によって口径の小さい独巡洋戦艦の主砲弾によって撃沈される事となったと判断しており、これには英巡洋戦艦の軽装甲と独巡洋