【ニューヨーク三木幸治】核兵器禁止条約が国連本部で採択された7日、最後に議場で思いを語ったのは広島市出身でカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(85)だった。「この日が来るのを70年間待ち続けた」。あふれる喜び、そして被爆者の苦しみを語り終えたサーローさんに対し、議長や各国大使、NGO関係者ら全員が総立ちで1分間、拍手を送った。 「核兵器禁止を希望していたけど、本当に(条約が)実現するなんて」。サーローさんは採択後、こみ上げる涙をぬぐった。13歳の時、爆心地から約1.8キロの学徒動員先で被爆。両親は無事だったが、4歳のおいは皮膚が垂れ下がり、変わり果てた姿で亡くなった。「人間はこんな死に方をしてはいけない」。原爆で亡くなった人たちの命が無駄にならないように、核兵器のない世界をつくり出すと誓った。カナダを拠点に被爆証言を続け、40年以上になる。 日本政府は7日、改めて条約の署名をしない意