西南戦争で右肋骨に銃撃を受け、警視庁では中間管理職の警察官――。幕末に活動した新選組の生き残りとして知られながら、史料が少なく、謎が多いとされる斎藤一の明治維新後の従軍歴などが5日、国立公文書館が所蔵する明治時代の恩給関係の文書で明らかになった。歴史研究家のあさくらゆうさん(46)が公開請求した。文書は、退職公務員の恩給請求書などをまとめた「明治廿六年官吏進退恩給二」の文官恩給の部。斎藤は警視
こんにちは。ヨッピーです(写真一番左) 先日「ウイルスバスター」というセキュリティソフトを展開するトレンドマイクロさんと一緒に「インターネットとセキュリティの歴史を振り返る」みたいなイベントをしました。 ヨッピーが破天荒な自分史を語るイベント「ガチでセキュリティな夜」レポート http://channel.trendmicro.co.jp/vb/archives/521 その時に「ヨッピーのインターネット史」みたいなのを発表しましてですね、 せっかく作ったのでWEB上にも残しておこうと思い、 こうやって記事にしている次第であります。 ちなみに、30歳以上のオッサンには「あー!懐かしい!!」ってなることうけあいですが、平成産まれの人達にはサッパリわからないかも知れません。「こうだったんだー」と思いながら読み進めるとなんとなく歴史の勉強って感じになる気がします。知らないけど。 ■僕と人生初めて
四式戦闘機 @ki84type4 信長のエピソードは色々あるが、一番訳が分からんのは安土城見学の話だ。信長は安土城の御殿を自分のみならず諸大名の家臣にまで見学させたのだが、その際一人百文の見学料を取り、しかも自分で入り口の横に立って見学料を徴収したのだそうだ。何を考えてこんなことしたんだろう第六天魔王。 2015-08-29 13:40:51 四式戦闘機 @ki84type4 しかも「諸大名及び家臣」だけでなく、町民百姓相手にまでが対象だったとかいう話もある。自分の城の自慢をしたかったのか威信を示したかったのかは分からない。拝観料を取るのもまあ、何か変わったことをシたかったのかもしれない。しかしそれを何故自分で受け取るんだ信長。 2015-08-29 13:43:54
【今回取り上げる書籍】 『奴隷のしつけ方』(太田出版/マルクス・シドニウス・ファルクス著、ジェリー・トナー解説) 奴隷をしつける……といっても、サディスティックな性嗜好をお持ちの御仁が嗜む刺激的なプレイの話ではありません。 本書は「わが一族は何世代も前から多くの奴隷を所有してきた。したがって、奴隷の扱いについてわたしが知らぬことなどない」と豪語する古代ローマ貴族が、“未開の民”である読者に向けて、古代ローマにおける奴隷の適切な扱い方や、よき主人となるための心構えを説いたものです。 いまいちピンとこないかもしれませんね。まずは目次を見ていただきましょう。だいぶ雰囲気が掴めるはずです。 【目次】 序文 主人であれ 第1章 奴隷の買い方 第2章 奴隷の活用法 第3章 奴隷と性 第4章 奴隷は劣った存在か 第5章 奴隷の罰し方 第6章 なぜ拷問が必要か 第7章 奴隷の楽しみ 第8章 スパルタクスを
2014/06/0722:00 人類が戦争で作った史上最大の穴、ロッホナガー・クレーター。フランスの片田舎にありながら、その爆発音はロンドンまで届いたという。 カテゴリ風景歴史 mankanshoku Comment(0)Trackback(0) photo: dailymail 1916年7月1日の朝、フランスのアルベール市北方に位置する村、ラ・ボワッセルにおいて、イギリス陸軍が地下道に仕掛けた爆弾を破裂させた。第一次世界大戦における「ソンムの戦い」の初日のことだった。イギリス陸軍工兵隊は深さ約15mの土中を掘り進め、イギリス側の前線からドイツ側の前線まで、長さ約270mのトンネルを貫通させた。そこはドイツ側の"Schwaben Hohe (シュヴァーベン高台)"と呼ばれる陣地の真下だったが、そこに25トンを超すアンモナル爆薬を仕掛けたのだ。爆弾は午前7時30分になる2分前に点火された。
「悪夢?うらやましい?」職場が猫だらけだとこんなことになる 職場に猫がたくさんいたら天国? それとも地獄?……そんな無謀とも思えるオフィスがオランダに実在します。 「Poopy Cat」は猫の使い捨てトイレを販売する会社で、猫がいるのも理由があるのです。 オフィスが猫まみれだと、どうなるかというと……。 1. パソコンの上に乗ってくる。 2. 肩にも乗ってくる。 3. 飲み物は狙われる。 4. 食べ物も狙われる。 5. プリンターも狙われる。 6. ゴミ箱=遊具。 7. ときどき戦いも発生する。 8. 人間の会議なのか、猫の会議なのかわからない。 9. 常に視線を感じる。 10. マッサージを要求してくる。 11. 電話中に「なでろ」と要求してくる。 12. 近所の子供も集まってくる。 13. 常に毛だらけ。 14. 掃除と同時進行で散らかる。 と言ったように、とても仕事がはかどるとは思え
朝鮮半島の影響を強く受けたとされる「大壁(おおかべ)」と呼ばれる5世紀後半ごろの建物跡が、奈良県高取町の森ヲチヲサ遺跡で見つかった。町教委が30日発表した。大壁建物跡は奈良、滋賀両県などで確認されているが、今回は1辺約13・5メートルの方形で国内最大級。渡来人の集会施設との見方も出ている。 幅約50センチ、深さ約35センチの溝の中に直径約20センチの柱を約50センチ間隔で立て、土を塗り込んで壁を造ったとみられる。床下に煙を通して暖める「オンドル」の焚(た)き口や煙道の可能性がある遺構も見つかった。 一帯は渡来系集団「東漢氏(やまとのあやうじ)」の拠点とされ、大壁建物跡は同町内だけで約40棟確認されている。日本書紀は、5世紀後半に雄略(ゆうりゃく)天皇に仕えた渡来系文官、身狭(むさの)村主(すぐり)青(あお)と檜隈(ひのくまの)民(たみの)使(つかい)博徳(はかとこ)が呉(中国)に渡り、知識
記録に当たってみると、ほとんどの場合、「爆撃された都市」には理由がありますが、「爆撃されなかった都市」にはあまり「決定的な」理由はありません。 例えば、ご質問の中にある「引用」サイトで、「倉敷には美術館があったから」とかいう種類の話は、まず全てが「根拠がない」「全くのヨタ話」であることが普通です。 そもそも、日本の都市で正式に「爆撃が禁止」されていたのは、質問者さんが出している、原爆投下目標の「広島」「小倉」「新潟」「長崎」の4都市と「京都」のみです。 4都市については、戦時中は「禁止する」としたのみで理由を伏せられています。 「京都」に至っては理由を記した記録自体がなく、指示は「上層部の意向により」となっているだけ、ただ、当時の陸軍大臣スティムソンの私的記録に「日本の歴史的古都を破壊するのは占領政策に差し障るため」とあるのを勝手に解釈しているだけです。 逆に、米軍がどういう要件で各都市を
■昭和二十年、終戦直前の思い出 昭和二十年春、当時私は三歳。満州事変で出兵し、傷痍軍人になって帰郷した父は、病が癒え、香林坊の自宅で、ロープ・ 梱包材料の商いを始めていた。 店は畳敷き。手回しの機械をコロコロ回して、麻ヒモの玉を巻き直ししている父の姿を記憶している。 戦争の影はわが家にも及び始めた。隣家の軒先にはいつも、村田銃を担ぎ、キャハンを巻いた兵隊さんが、数人屯していた。 向かいのNさんの家は、空襲時延焼を防ぐためと、強制取り壊しに遭い、引っ越していった。 各家、防空壕を掘らされた。私の家は、店の造作を取り壊して床に穴を掘り、形ばかりの防空壕を作った。 掘っているところを覗いていた私…こんな小さな洞穴…爆弾が落ちたら、焼き芋みたいになってしまうだろう…と、子どもながらに思った。 6月、母は祖母・姉と兄、そして私を連れ、弟をおぶって、金沢山手の母親の実家の、農家の納屋の2階へ疎開した。
【画像】コボちゃん作者の植田まさし先生が、33年間11000話以上の連載からベスト話をついに発表! 98: ワールド名無しサテライト :2015/07/10(金) 20:24:43.99 ID:4w9HW44k.net コボちゃん 【特盛!植田まさし 爆笑カップイン!】 117: ワールド名無しサテライト :2015/07/10(金) 20:25:04.25 ID:mVdsuPSo.net コボちゃんて毎日だっけ? 141: ワールド名無しサテライト :2015/07/10(金) 20:25:55.00 ID:VMAD2hvp.net まだやってるのか 植田まさしも息長いな 151: ワールド名無しサテライト :2015/07/10(金) 20:26:08.30 ID:dnUf96Jm.net コボちゃんと聞いて(´・ω・`) 159: ワールド名無しサテライト :2015/07/10(金
アッシリア(Assyria, 古典シリア語: ܐܬܘܪ, ラテン文字転写: ʾāthor, アラビア語: اشور)は、現在のイラク北部を占める地域、またはそこに興った王国。アッシュル市を中核とし、帝国期にはニネヴェやニムルドが都として機能した。歴史地理的名称としてのアッシリアはチグリス川とユーフラテス川の上流域、つまりメソポタミアの北部を指し、メソポタミア南部は一般にバビロニアと呼ばれる。最終的にメソポタミア・シリア・エジプトを含む世界帝国を築き、その遺産はハカーマニシュ朝(アケメネス朝、ペルシア帝国)に受け継がれてその王権や社会に影響を与えた。 紀元前824年と紀元前671年のアッシリアの版図。 アッシリアに関連した都市と国の位置関係 ハニガルバトとは、『ミタンニ』に対するアッシリア側からの他称である。 アッシリアの世界帝国。強力な軍事力と過酷な統治体制でアッシリアは最初の「世界帝国
Historiae 『歴史』(れきし、ἱστορίαι, ラテン文字転記: historiai(ヒストリアイ))は、ハリカルナッソス (現在のトルコ・ボドルム) のヘロドトス (紀元前5世紀、生没年不詳) が記した歴史書である。この書を著したことにより彼は「歴史の父」と呼ばれる。 紀元前5世紀のアケメネス朝ペルシアと古代ギリシア諸ポリス間の戦争(ペルシア戦争)を中心的主題とし、ペルシアの建国および拡大、オリエント世界各地の歴史、風俗や伝説をちりばめた地誌でもある。紀元前443年、アテナイによる南イタリア(マグナ・グラエキア)のトゥリオイ市の殖民にヘロドトスは参加し、この地で記した。イオニア方言で記述されている。 ヘロドトスは古代世界を旅し、各地の話を集めて行ったと思われる(それゆえか疑わしい話も少なからずある)。10世紀後半に東ローマ帝国で編纂されたスーダ辞典によれば、ヘロドトスは統治者へ
チュニジアの英雄とは言わずと知れた『ハンニバル・バルカ』であろう。ハンニバルは第二次ポエニ戦争(BC218~BC201)にて象の部隊と共にアルプス越えを行ったことで有名である。その象の数は37頭といわれている。イタリア半島へ進軍し、ローマの元老院を驚愕させたのは多くの人が知るところだ。一時は、ハンニバルはナポリの北までローマ軍を追い詰めたというのでその勢いたるや相当なものであったのだろう。 ハンニバルはカルタゴが滅びた後もローマ史上最大の敵として後世まで語り伝えられているようだ。20世紀以上経った現在でもイタリア人は子どもを叱る時には『戸口にハンニバルが来ているよ!』という言葉が使われるようであり、ローマ時代には如何にハンニバルが恐れられていたかがわかる。 多くの日本人もハンニバルの象部隊に対してロマンを感じているようだ。私も子供の頃から父親からハンニバルの象部隊によるアルプス越えの話を聞
カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠:アルプス紀行 ・・・2つの有力ルート(+4ルート)を行く -Hannibal-Elephants-Route ■はじめに:時代・歴史: ・ 紀元前BC218年(2200年以上前)、カルタゴの名将・勇将Hannibal Barca(ラテン・仏・英)/Annibale Barca(伊)/Hanni-baal(フェニキア)/ハンニバル・バルカ(BC247/246-BC183)(当時28/29才)が象とアルプスを越えました。 ([歴史的根拠]) ・第2次ポエニ戦争において、海戦では不利と読んだハンニバルは、象を先頭に陸路をたどり、険しいアルプスを踏破して、イタリアに進軍し、忍法にも通じる戦法でローマ軍に連戦勝利し、ローマ周辺に攻め入ったのです。(泣く子も黙るハンニバル・・・) ・行軍の規模は、歩兵3.8万人、騎兵8千騎、象37頭(南フランス・アルル付近でロー
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 弓形の弧長を求めるために関孝和は、 arccos^2 (24/25)≒0.0805390964213483117、 という値を、分数 200860100457/2493945312500≒0.0805390958054538 で近似している。何桁の連分数を展開してるんだあ!と悶絶 佐藤賢一の中の人 @ke_1sato めちゃくちゃ精密な近似である。(もちろん真値が分かれば連分数そのものは難しい計算ではないし、近似が精密になるのは当然なのだが。。。)これをどうやって見つけたんだ!!!、というのが今の課題。10^(-10)のオーダーで近似するとはね。 pic.twitter.com/YTteV1mptE
“耳鼻削ぎ”とは穏やかではない。というか、野蛮。現代人はそう感じるだろう。日本の歴史上で耳や鼻を削ぐといえば、戦国時代の話かな。敵の首をいくつとったか戦功を証明するのに、首だと持って帰るには重いから耳。いや耳だと左右二つ削いで数をごまかせるので鼻になったんだっけ。いやはや、戦国時代は血腥い…。 著者は日本各地の“耳塚”“鼻塚”を訪ね歩き調査する。無惨に討たれた武士たちの耳や鼻が何百と葬られたというのなら、さぞや怨念が染み付いているだろう、怨霊話もあるだろう。耳や鼻を削ぐという行為の意味もみえてくるだろう、と思いきや。 なぜかどこへいっても「耳の神様が耳の聞こえをよくしてくださるところ」という話ばかりだったのだという。 私は日本中の耳塚・鼻塚を訪ねてまわり〜(中略)けっきょくのところ、どこの耳塚・鼻塚からも不気味な怨霊譚が聞かれることはなかった。それどころか〜(中略)土地の人から愛され、ご利
[17日 ロイター] - ミャンマーは今、重大な人道的危機の真っただ中にある。同国に住む少数民族ロヒンギャの多くが、迫害から逃れようと過密状態の船に乗り込んでいる(その多くには過酷な運命が待っている)。 6月17日、ミャンマーに住む少数民族ロヒンギャの多くが、迫害から逃れようと過密状態の船に乗り込んでいる。写真は同国沖で漂流していた船に乗っていた難民ら。ラカイン州の難民収容キャンプで4日撮影(2015年 ロイター/Soe Zeya Tun) ロヒンギャの難民船が向かっているのは、彼らを助けることのほとんどできない国々だ。率直に言えば、一部の国は彼らに救いの手を差し伸べることにも関心がない。 なぜ、こうした状況が生まれたのだろうか。 <ロヒンギャとは何者か> ロヒンギャは、仏教徒が圧倒的多数を占めるミャンマーで暮らすイスラム系の少数民族。彼らの敵対勢力の多くは、ロヒンギャが民族的に異なる集団
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