◆書誌・情報学からの提案・ノート・随筆等の文章を、僅かなスペースではありますが、読者の皆様にお届けしております小冊子であります。 ◆パソコン・インターネットによるデジタル検索は、確かに調査の手間を省力化することに多大な力をもっています。しかし、問題はパソコン・インターネットによるデジタル検索情報で事足れり、という風潮です。 ◆いま現在、デジタル検索に「のっかってこない・ひっかからない」書誌情報も当然のように存在しています。それらを調べることは、いよいよ今後困難になっていくのかもしれません。 ◆また増え続けていく膨大な情報の中から、自分にとって必要な情報をいかにセレクトしてくるかという技術も、ますますこれからの日常生活においても必要とされてくるのではないでしょうか。 ◆そのような際の参照すべき原点として、私たちは近代を対象とする書誌・情報学の成果をもっています。しかしながら、それらは「埋もれ
-----人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、自ら自分に判決をくだしたも同然で、しょせん逃れられぬ運命、つまり自滅のほかあるまい。(キルケゴール) 読書力の限界を押し上げる方法 読書スキルを高め、読書力の限界を押し上げる最も確実な方法は、こうだ。 再読すること。 ボロボロになりながら読み進み、ヘトヘトになって読み終えた、自分にとっての限界本を、もう一度読むことである。 もう一度読むと、一度目には気付かなかったことに気付く。 読み飛ばしていた箇所、読み取れてなかった意味や連関、といった本の中に〈書いてあること〉もそうだが、一度目には見えなかった議論の飛躍や欠陥などの〈書いてないこと〉にも思い至る。 〈書いてないこと〉のうちでとりわけ重要なのは、最初は歯が立たなかったこの本が二度目となった今では一度目ほどには難しく感じない、という気づきである。 一度目の読
→紀伊國屋書店で購入 「聞き上手不要」 沼野充義という名前をよく見かけるが、どこから読み始めていいかわからないという若い人には、案外この本はいいかもしれない。これは沼野氏が〝書いた〟というよりは〝しゃべった〟ものだが、濃密な沼野トークがたっぷり5つのヴァージョンで聴ける。 昔から日本の文壇には座談カルチャーみたいなものがある。作家や評論家が顔を合わせ、ふだんの構えをちょっと外して、やや砕けた調子で本音をおりまぜながら実際に語る。いや、しゃべる。それがそのまま活字になる。「んなもの、単なる世間話ではないか!」との声もあるかもしれないが、こうした企画が意外とおもしろく読めてしまうのは、おしゃべりというものが相手の顔を見ながら行われるものだからだ。つまり、「この人なら、これくらい言ってもわかるだろう」とか、「この人には、これだけは言っておかないと」とか、場合によっては「このうすらトンカチめ」みた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く