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2013年3月1日のブックマーク (6件)

  • 日本の文系研究者が「海外流出」する理由 | 日刊SPA!

    の理系研究者の「海外流出」が問題となっているが、文系研究者も海外に活路を見出しつつある。その理由は、日の大学の教員ポストがあまりにも少ないからだ。東京の大学で日政治思想史を専攻して博士号を取得した後、中国で5年間「外教専家」(外国人教員)として働いた神谷昌史氏はこう語る。 「中国行きを決めた大きな理由は、日に研究者のポストがなくて生活が不安だったからです。それまで出身大学で研究補助員をしていたのですが、任期切れ直前でした。塾講師でもして生計を立てるつもりでいた矢先、指導教員から中国の大学を紹介されたんです」 日語教員と言っても、神谷氏の研究対象は明治・大正時代の日の思想家だ。日教育の経験もなければ、教育法を研究したこともない。中国語も大学院受験のために独学で勉強した程度。文章は何とか読めるが、全く話せない状態で中国に向かったという。果してそれでやっていけたのだろうか? 「

    日本の文系研究者が「海外流出」する理由 | 日刊SPA!
  • 1万点に及ぶインターネット上の無料講義の情報を集めたデータベースが公開

    米国のオンライン大学に関する情報サイトOEDb(Open Education Database)が、2013年2月28日に、“Free Online Open Courses Directory”を公開しました。このウェブページは、世界中の大学などがOCW(Open Course Ware)のようなかたちでインターネット上で無料公開している講義の情報を集めたものです。現在、1万点を超える講義情報が登録され、芸術、ビジネス、教育、工学・コンピュータ、リベラルアーツ、数学、医学、科学という8分野に分類されています。 Free Online Courses – Open Education Database http://oedb.org/open/ 10,000 Free Courses Listed in a Massive Open Courses Directory(iLibrarian

    1万点に及ぶインターネット上の無料講義の情報を集めたデータベースが公開
  • 情報社会において図書館が果たす役割とは? IFLAがリソースページを開設

    2013年3月1日、国際図書館連盟(IFLA)が、“IFLA and the Information Society”というウェブページを開設しました。情報社会において図書館が果たす役割をテーマに、それに関連した資料をまとめたものです。またこれに加えて、2013年版に改訂した、インターネットガバナンスに関するIFLAの立場を表明した文書を公開しています。 IFLA and the Information Society http://www.ifla.org/information-society Statement on Internet Governance http://www.ifla.org/node/7515 Just launched: New webpages on IFLA and the Information Society (IFLA 2013/3/1付けの記事)

    情報社会において図書館が果たす役割とは? IFLAがリソースページを開設
  • JSTORが検索システムを一新へ

    JSTORが検索システムを一新し、来週末にもベータ版を公開すると発表しています。ベータ版では、インターフェースの変更、検索語の提案やスペルチェックといった機能の追加、検索結果画面でのプレビューの提供等があるとのことです。 Better Search, Better Research (JSTOR 2013/3/4付けの記事) http://about.jstor.org/beta-search

    JSTORが検索システムを一新へ
  • 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

    詳細検索 「絞り込み条件」をあらかじめ表示した検索画面です。多数の条件を組み合わせた高度な検索が可能です。

    国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)
  • オスカル・フォン・ミラー - Wikipedia

    父フェルディナント・フォン・ミラーはバイエルン王国のヴィッテルスバッハ家に仕える鋳金師・彫刻家であった。1875年に貴族に昇格した。父と同名の兄フェルディナント・フォン・ミラーも名にバロンを冠し、ミュンヘン王立意匠学院の院長となって家業を継いだ。おかげでオスカルは人生を選ぶことができた。1921年ヴィルヘルム・エクスナー・メダル受賞。 オスカルはミュンヘンポリテクニクムで建築学を専攻していたし、初めての仕事土木業だった。しかし電気学の興隆を察知して研究するようになり、1881年のパリ国際電気博覧会ではエミール・ラーテナウと知り合った。刺激されたオスカルはミュンヘンでも博覧会を主催してしまい、マルセル・ドプレの57km を超える交流送電を演出した。1883年にラーテナウと仕事をすることになり、ドイツエジソン社のマネージャーとなった。1890年に自分の電気店を構えた。翌年、フランクフルトの国

    オスカル・フォン・ミラー - Wikipedia