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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (7)

  • 初音ミク時代の芸術作品 - 過ぎ去ろうとしない過去

    人間が器械装置によって代理されることで、人間の自己疎外は、きわめて生産的に利用されることになった ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」 初音ミクについて考えてみるとき、やはりそれは複製技術の進歩がもたらした表現形式であることを考慮せざるをえない。技術自体が問題になっているのでは無い。新しく画期的な技術は、毎日世界中で誕生しているのである。重要なのは、まさにその技術がどのような表現を可能にしたかなのである。複製技術による表現形式は当然初音ミクが最初ではない。たとえば舞台に対して映画は複製技術の産物である。舞台俳優と彼の人格が切り離せないのに対して、映画俳優は彼の人格から追放される。舞台俳優が役の中に没入できるのに対して、映画俳優は大衆の前に晒されざるを得ない。つまり映画俳優は――これを、(大衆音楽における意味での)ヴォーカリストや声優に置き換えても構わないが――器械装置の前で演技

    初音ミク時代の芸術作品 - 過ぎ去ろうとしない過去
    neko73
    neko73 2012/09/05
    複製技術と同時性か。
  • 「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - hokusyu’s blog

    もちろんトリアージを拡大解釈するなってことは大事なんでしょうけど、どうして人はトリアージみたいなものを拡大解釈したがって、しかもそういうエントリには賛同ブコメがいっぱいつくんだろうってのも大事では。いや、「誰かを切り捨てなければ誰かを助けることはできない」っていうのが、彼の中で事実(Wirklichkeit)を通り越して真理(Wahrheit)にまで達しちゃってる人っていますよねっていう話なのですが。 http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200308.html#02 なぜこんなに「月宮あゆが助かる〜」という考えを僕が憎むかというと、「誰かが助かることで、他の人は助からない」という考えというのが、ある種の奇妙な「社会性」みたいなものを他人に押し付けるために使われることが多いからなのかも。 倫理的な問題を考えるときに、「思考実験を構成して、選択肢のどれを選ぶかについ

    「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - hokusyu’s blog
    neko73
    neko73 2012/03/20
    随分前の話みたいだけど今の状況にも通じるものがあるだろうか。
  • <剥き出しの生>と非常事態 - 過ぎ去ろうとしない過去

    3月11日の夜、菅直人首相は大震災の発生後、初めての首相会見を開いた。わたしはそれをテレビで見ていたのだが、強烈な違和感をもったことを覚えている。会見の内容自体は、震災直後に首相が発するコメントとしては無難なものだったと思う。問題は、その呼びかけ対象である。かれは、終始「国民」ということばを使っていた。「住民」でも「市民」でも、いろいろ選びようがあったはずなのに、である。少なくとも、東北地方に一人の外国人もいないなんてことはありえない。ぼくはそのうち外国人へのフォローがあるのだろうと見ていたのだが、結局最後までかれは、「国民」に呼びかけるのみで、それ以外のことばは一度も用いられなかった。 菅首相のコメントに呼応するかのように、次の日からあらゆるマスメディアでは「国民」あるいは「日」の文字がおどった。東北地方で起きた大震災および津波の被害は、何の留保もなく「(日)国民の危機」と同一視され

    <剥き出しの生>と非常事態 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • ボイコット記事FAQ - 過ぎ去ろうとしない過去

    昨日の記事について(いつのものことですが)主旨がきちんと伝わってないようなので、新たに説明しようと思いました。今回は誤読されたままブクマが伸びるとまずいので。 元の文章はこちら。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110305/p1 Q1:ボイコットって多数派の支持が得られると思っているからやるんだよね?多数で少数を押しつぶすことを肯定していいの? A1:ぼくもまだ勉強中なのですが、いろいろな人から話をきくに、ボイコットとは必ずしも多数派の支持があるという確信をもって、あるいは実効性への確信をもってやるものではないそうです。テラカオ先生も言っているように、「ボイコット(不買運動)は、実際に当該サービスを「買わない」ことだけでなく、「支持しないから買わない」と表明することに大きな効果」があるのです。実際問題、このボイコット運動によってかれらを追い詰めるのは難しい

    ボイコット記事FAQ - 過ぎ去ろうとしない過去
  • とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去

    はじめに結論から書いておこう。「国家が暴力を独占する」の意味は、国家が自らの暴力の行使に対してのみ、正統性を付与するということである。国家というのは、征服によるものであれ、共和主義的な統合によるものであれ、その集団がある領域内を実効支配した時点で、定義上、その領域内には少なくとも国家に匹敵しうるような暴力を行使可能な集団は存在していないはずである。だが、国家はなお支配のために「暴力を独占」する。それは、自前の暴力組織にのみ正統性を与えることによってであって、そうやって正統性を与えられた暴力組織を「軍隊」や「警察」と呼ぶ。ウェーバーによればその正統性の源泉は、近代国家においては「合法性」である。その正統性(=合法性)に基づいてはじめて、政府は国家内の自律的な暴力集団を規制したり弾圧することができるのである。 軍隊や警察は、人を殺しうる力を持っている。たとえ侵略軍から「国家を防衛」するためであ

    とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去
    neko73
    neko73 2010/11/21
    誰かと思ったらhokusyuさんか。
  • 尖閣動画流出によって勢いづく排外主義者たちを許すな - 過ぎ去ろうとしない過去

    今年の9月7日に発生した、海上保安庁の船と中国漁船が尖閣諸島*1付近で衝突した事故の映像が、ある海上保安官によって流出した問題が話題となっている。議題のひとつは、映像がどのようにして流出したかであるが、はっきりいえばそんなことは関係者の間で了解がつけばいいだけの話であって、わざわざ朝から晩まで公において騒ぐ必要がある話だとは思えない。 映像流出は正当化されるべきかどうか、は議論の余地があるといえるだろう。当然ながら、機密である情報をリークすることは法的には問題がある。しかし、ある組織において不正が行われているとき、内部告発によってその事実を明るみに出し、不正を正そうとすることは、一般論としては、その例外として保護されなければいけないだろう。ただし、その告発が正当なものであるかどうかは、当然ながらその内容を吟味しなければならない。 内部告発は、公において知られていなかった不正を明るみにだす。

    尖閣動画流出によって勢いづく排外主義者たちを許すな - 過ぎ去ろうとしない過去
    neko73
    neko73 2010/11/15
    "映像の公開をあれだけ要求していた人々が、映像の内容自体について全くといいほど沈黙していることがその証明となっている。つまり、何も語るべきことがないのである。"だよなぁ。アレの何が公益通報なのやら。
  • 「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト産業」については以下のリンクに要約がある。 http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb811.html http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20061004NGFinkelstein.htm また、今回この文章を書くにあたって以下のなどを参照した。 「シリーズ・ドイツ現代史」は値段・分量ともに手ごろで、また質の高い議論がなされていると思うので、機会があったらぜひ参照してほしい。 さて、題の批判にはいるが、このの問題をここの資料まで検証して指摘していくのはキリがないし、質的だとは思えない。よって、いくつか確実に問題点を指摘できることをいくつか取り上げた。したがって、取り上げていない論点に関してぼくが承服しているというわけではない。 ■ユダヤ人請求会議は、

    「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去
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