週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏…
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2009-08-29 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」 リンク先の記事には色々と突っ込みどころがあるが、少なくとも、趣味を愛する人の視点としてはちょっと弱いようにみえる。 一昔前まで、洋楽のアーティストというのは無条件に優れた存在で、それを聴いているだけで他者との差異化ツールとして機能していた。 洋楽って、そんな風に聴くモノなんですか? これは、優越感ゲーム・差異化ゲームのなかでも特に怠惰な方法であり、休み時間、クラスメートが見向きもしないような難解な哲学書をこれみよがしに眺めてみせて優越感にひたる手法と本質的には変わらない。文章を書いたid:republic1963さんは、音楽への造詣を深めることの重要性や聞く耳の涵養などについて(エントリ内で)まったく言及していないようだが、「聴くだけで」クラスメートに差を付けたいというのは、およそ趣味を愛している人間
金曜日。朝、記念賞授賞式。うちの黒田くんが賞をもらったので、お祝いに行く。 大野篤一郎名誉教授による「セネカの幸福論」という講演がある。 ひさしぶりの大野先生のお話を聴く。 どこから始まりどこに行くのかわからない哲学的知性の遊弋。 忘れられかけた「古き良き大学」の空気が大野先生の笑顔から感じられる。 基礎ゼミでは「友人と恋人はどう違うか?」というお題。 おもしろい主題である。 これについては私見があるので、それを述べる。 「友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱」という詩章がある。 知性、気づかい、向上心というようなものが友人を選ぶときの条件であるよということである。 では、配偶者の条件は何か。 与謝野鉄幹のこの「人を恋ふる歌」は広く人口に膾炙した「妻をめとらば才たけて、みめうるわしく、情けある」で始まる(男性配偶者の条件については言及していないが、同列に論じてよい)。 はたしてこれは
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
友達がほしいという毎度おなじみの愚痴 非モテは彼女ができても非モテ この手の“自称非モテ”の文章は、インターネット上にほとんど定期的にあがってくるが、一体全体、彼らはどういう状態まで辿り着いたら満足の境地に至るのか、本当にわからない。 せっかく彼女ができたのに、そのことを喜ぶ前に「俺は青春がしたかったんだー」などという人は、おそらく、4年前に彼女が出来たんだとしても、それならそれなりに「俺は○○がしたかったんだー」と言っているだろうし、高校生や大学生の時に彼女が出来たなら出来たなりに「俺はもっとかわいい彼女と青春したかったんだー」などと言っているのが眼に浮かぶ。一歩前進した自分を評価するでも、彼女に感謝するでもなく、不満と不足を口にする人の欲求に際限があるとは思えない。 また、オタクだと自認し、なおかつオタクな会話に飢えているくせに、周りのオタクをショボいと見下して「本当の友達がいない」な
先日の記事「スタバな大手様」へのコメントで、権兵衛さまから頂いたコメント マーケティングを蔑視する人というのは私もよく見かけます。 要するに「その原作に対する愛を感じられない、商業主義丸出し」に対する嫌悪なんでしょう。 かと思えば、人気のあるジャンルにすぐに移ったりと、結構矛盾してる姿が見受けられることも。 人に見てもらうための努力、というのも原作や自分の作ったものに対する思いの一つではないでしょうか。 http://blog.livedoor.jp/umi0202/archives/51767766.html#comments こちらへの返信を考えているうちに長文になってしまったので新エントリーとして書いてみます。コメント無断転載すみません>権兵衛さま (*こちらの記事へ直接おいでの方へ。上記は「売れている大手を見て自分の営業努力不足を省みる事もなくただひがみ妬む人の中には
腹立たしいです。 怒りでキーボードを打つ手がうまく動いてくれない。 今でも娘の泣き顔が頭にこびりついて離れません。 昨日行われた千葉ロッテマリーンズの試合でMVPという応援サークルが起こした暴挙と騒然としたスタジアムの雰囲気については多くの方がすでにご存知かと思います。 私と小学生の娘はライトスタンドで観戦していました。 娘は西岡選手の大ファンです。 いつもは嫁も合わせて3人で行くのですが、嫁に実家での用事があったために初めて娘と2人でスタジアムに行くことになりました。 ところがあの有様です。 私たちと目と鼻の先に陣取ったMVPが汚らしい横断幕を掲げるのを見て娘に何か悪影響がないかな?と心配していたのですが、幸いにも娘は試合を楽しんでいるようでした。そう見えました。少なくともその時点では。 ところが、試合も終盤に差し掛かり、トイレに行った娘が号泣しながら帰っきました。 何があったのか聞いて
下北沢のいいところは、道を歩いていると、音楽CDの広告看板があることだ。通るたびに、なんだかたのしい気持ちになる。これからリリースされる新譜を宣伝している。いいなあ、CDの看板。すごくぜいたくをしているような気になる。 CDなんて買わなくても生活できてしまうのである。まったく必需品じゃない。これだけ景気がわるいとか、CDが売れなくなったとかいわれていて、CDそのものが販売フォーマットとして終わるんじゃないかとかいわれて、まあそうなのかも知れないけど、やっぱりわたしは、CD屋さんとか中古レコード屋さんとかがすきだ。 道ばたに新譜CDの看板があると、なんだか九〇年代の渋谷みたいな感じでキラキラしていてたのしいし、気持ちによゆうがでてきて、「人はパンのみにて生くるにあらず……」という心境になる。いくら経済がひっ迫しても、表現する人はいなくならないし、音楽だってかならずどこかで鳴っている。 下北沢
いい加減世代間の話するの飽きてきたけど投票明日だし、 今回は選挙も世代間闘争みたいな感じがするので最後に。 我慢すればいつか報われるというのは、 経済が右肩上がりだった世代の人特有の価値観だと思う。 それとももっと昔からあったか。 あったね、多分。 我々の世代は、我慢なんぞしたらいいように利用されるだけで将来報われる可能性なんて絶対ないので 何か不具合があるなら我慢なんてしないですぐ改善に向かわないとねというところ。 何回か書いた気がするけど、 努力という言葉と、我慢という言葉、 この二つの意味が私にはよくわからない。 何かを頑張ったことのない人生だからかなあ。 ただやる、ことを「努力」とわざわざ言うのはなんでだろう。 辛いからか。 納得して受け入れたんじゃないの?「我慢」って表現するのは何? なんでするの? その辺がわからない。 二つとも、将来の成果を期待して現在の何がしかを犠牲にすると
私が生まれて初めて総選挙の投票所へ行ったときのことです。 思えば、今から15年以上も前の話になってしまいました。 最近、言動がおっさんくさくなってるのも無理はありません。 それはともかく、当時 投票所で、選挙の投票用紙と一緒に、最高裁判所の国民審査用紙を受け取ったのですが…… 当時、大学の法学部で学生をやっていたクセに、そこに並んでいる裁判官の名前を、一人も知らない自分にショックを受けました。 あれ以来、最高裁の出した新しい判例について、どの裁判官が関与し、どういう意見を示したのか、自分なりに確かめてから国民審査に行くようになりました。 しかし、せっかくですから、そうやって個人的に調べたデータを、決して法律に詳しくない全国の多くの有権者の皆さんへも、わかりやすくお伝えできないだろうかと考えるようになったのです。 今では、そんな考えを実現してくれる、インターネットという便利な場も整備されまし
うちはインターネットを介して知り合って(先日は某所でご取材いただきありがとうございます)、 おかげさまでノーストレスでえっらいのんびり暮らしています。 ネット婚はさして珍しくもなく、まあこれからは自然な流れかなあと思います。 近くの6割(気が合う人)よりインターネッツ上の9割(10割はおもしろない)ということですね。 地元じゃゆるく浮いてた感がある自分ですが、 世界を広げれば拾う神あり。 まあもう一つ、よかったなあと思ったのは、30代で出会ったことです。 なんかもういろいろ落ち着いてから会うっていう。 恋愛経験に限らずいろんな人を見て、自分の価値観が半熟くらいまでになって、 もう変われない部分もあるかもしれないけど、 社会的には若年だからまだまだ変われる、みたいな年代。 晩婚化が嘆かれているけど、いいと思うんですよね。 20代でケコーンして上手くいってる人たちはもちろんそれでいいけど、 私
スイーツとはとうてい呼べないような完全なる喪女だけど、 スイーツ(笑)叩きはなんか嫌な気分になる。 叩かれている者に該当しなくても、誰か(特に、複数)が何かを、該当者のいないところであざけ笑ってたりするのが多分単純になんか……嫌なんだと思う。って書いてみれば、当たり前のような気もしてきたけど…… どちらかというと煌びやかな女子陣にイジメられた方だが、それでも誰かが叩かれるのを見るのは嫌だ…… なぜ嫌なのか……これは私がいい人だからとかじゃなくて、単にその矛先が、いつ自分に来るかが怖くて、嫌なんだろうと思う。 叩いている人はよく他人を叩けるなと思う 自分だったらそれが跳ね返ってくるんじゃないかと思ってとてもできない。 絶対に自分は叩かれない立場だと確信しているのだろうか?そんな確信は自分にはとてもできない、現にいじめられたことがあるし、すでに 叩いてるのも叩かれてるのも他人でも、とにかくその
叩く人はなぜ叩くのでしょうね。 なぜ嫌なのか……これは私がいい人だからとかじゃなくて、単にその矛先が、いつ自分に来るかが怖くて、嫌なんだろうと思う。 http://anond.hatelabo.jp/20090601060344 自分は例外って思っている(叩かれる側に立つことを想像していない)か、叩いている間は叩かれることがないと信じているかではないかなぁ。あるいは、沸点が低い人なのかもしれないし、叩かないと自分を保てない人なのかもしれない。 「いつ自分に来るかが怖い」って匿名氏さんは書いているけど、刃物のように鋭い批判もあるけど、実際の刃物や鈍器と比べたら、命をもってかれるリスクは低いと僕は考えています。過去、批判されたり嘲笑されても、今日も生きてますし。 本当に怖いことは何か、ご自身で「怖い物の優先順位」を整理してみると、もしかしたら気持ちが落ちつくかもしれないですよ。 要す
友人続々ミクシィで無責任擁護…京教大レイプの余波 「そこに酔いつぶれた女の子がいるから襲う」 暴行事件の“余波”に揺れる京都教育大(クリックで拡大) 京都教育大生6人による女子学生(当時19)への暴行事件で、関西地区の大学生らが相次いで、会員制日記サイト「ミクシィ」に被害女性を非難する書き込みをしていることが分かった。書き込んだ中には女子大生もいるが、内容はいずれも伝聞や憶測の類。書き込みがミクシィ以外のサイトに流れて問題になると、あわててミクシィを退会するなど、無責任さが際だっている。 《酔いが醒めて我にかえって、法に訴えかけるなんて卑怯きわまりない》《女のせいで将来ある人たちが6人もこんなことになってしまって残念です》 この文章は、立命館大国際関係学部3回生女子がミクシィに書き込んだもの。この女子大生は小学校から高校まで京都教育大附属に通い、《加害者も被害者もよく知る》立場という。立命
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