タグ

communicationに関するnekosichiのブックマーク (4)

  • セックスで愛を育む - nuba

    雑記 | 18:16 |  セックスにおける愛撫という行為を考えたとき、どうしても面倒くさいという後ろ向きの考えが頭を過ぎる。要は射精できればいい、そういう短絡に男は唆され勝ちで、他聞に漏れず僕も射精という結果ばかり追い求めてしまう。性器同士をくっつけ、比べものにならないほどの快感を得るのには、実はそれほど入念な愛撫を必要としないからだ。女性器が濡れ、筋肉がほぐれさえすれば男性器を挿入し、射精することは容易だ。だから僕は遠慮を知らず突き上げる衝動の促すまま愛撫に手を抜き、利己的なセックスに終始てしまい勝ちだ。 しかし、三十を過ぎてからそういうセックスの在りようというのが僕のなかで変わってきているように思う。ただ射精を導くための利己的なそれが、確かにそこに存在する相手を感じるものへと変容しているのだ。僕は屹立する陰茎をぶら下げたまま、丁寧に愛撫する。裡では射精の悦び目掛けて打ち震える衝動が渦

  • 「わからない」を自分で引き受ければ他人の目を気にして焦る必要はない。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 うーん。わからなかったら、わからないでいいじゃんと思うんだけどなー。 すくなくとも焦ってすぐにわかろうとしなくてもいいと思うんですよ。 わかるとかわからないとか所詮は個人の問題だと思っています。 いや、全部がそうじゃなくて、人間社会の仕組みとしての決めごと―たとえば試験の答えだとか、法律で決められてるやっちゃいけないこととか、待ち合わせの場所と時間とか―そういうのは、決まっていることをわかる必要があって、決めたことが1つなら答えは1つです。 でも、そういう決めごとの外にあるもの―たとえば他人の気持ちとか、誰かによって主張された内容とか、自然や日常の出来事をどう解釈するかとか―を、どう見るか、わかるかは所詮は、わかる側の個人的な問題でしかない。たとえ相手に「なんで、私の気持ち

  • 携帯電話を持たずに高校を卒業した19歳だけど

    ぶっちゃけ今の時代、携帯電話は必需にならざるを得ないと思う。  現在19歳大学一年の俺は、高校卒業まで携帯電話を持っていなかった。  ついでに言えばネットも必要なときだけ一回30分と決められ、小遣いは月に1200円だった。  家の電話からどこかに掛けると10分もしないうちに止められ、  仮に向こうから掛けてくれたとて30分も話していると「そろそろ止めて勉強したら?」と。  おそらく文部科学省辺りが提唱する「子どものあるべき姿」にはかなり即していた気がする。  実際、その状況に慣れてしまえる程度にはうちの教育も間違ってなかったのだろう。  特に揉めたりもせず(たまに愚痴ったけど)、のんびりしてたはず。  とはいえまあ、その環境が高校でできた友達のほぼ全てを奪ったのも事実。  高校入学してできた友達の話。  そのうちクラス内で一番仲のよかった友達をAとしておく。  はじめ、教室でいつもAとくだ

  • Life Like Light

    Life Like Light

  • 1