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ブックマーク / blog.tinect.jp (96)

  • 「最強の自分」になれないおれたちは、病んでいく

    「好きで働いているんだろ?」 精神科医である斎藤環の『家族の痕跡―いちばん最後に残るもの』を読んでいたら、このような記述にいき当たった。 このように考えてみてはどうか。すべての「職業人」は「好きこのんで仕事をしている」のだ、と。 これを言うのは、正直に言えば、なかなか辛い。厳しい疲労とストレスに耐えて、それでも真面目に働いている人々を、もちろん私は尊敬する。 しかし、その尊敬こそが危険なのだ。その種の尊敬は、そのような生活スタイルがどうしても取れない人たちに対する軽蔑を伴わずには成立しないからだ。 それゆえこの尊敬は小声で口にされるべきものだし、まして自らの多忙さを誇る(=愚痴る)ことは、あきらかに下品な振る舞いなのである。 これには前段があって、ネット(当時の2ちゃん)に書き込まれたコピペがあげられている。 そのコピペ(詩)は見つけられなかったが、「働いたら負け」のインターネット・ミーム

    「最強の自分」になれないおれたちは、病んでいく
    neputa
    neputa 2022/04/15
    新社会人に厳しいようだけど厳然たる事実だよなとの思いで読んだ。競争を良しとする社会である以上、他者との比較から逃れられない感じあるけど、もっともっと自由に個々が生き方を選べるようになったらと思う。
  • 本当の上級国民。そういうものがいるか、いないか。たぶん、いる。いや、いるに違いない。

    おれはなぜ、この映画を観ようと思ったのか、よくわからない。 おれは社会の底辺を這いずる底辺層である。どういう展開になるかわからないが、「貴族」階級の姿など見たくもない。 おれが見たいのはおれと同じか、おれより下の階層である。ノンフィクション番組で言えば、フジテレビの『ザ・ノンフィクション』である。 松濤に住む箱入り娘を演じる門脇麦が気になったから、かもしれない。 おれにとって門脇麦といえば、白石和彌が監督した『止められるか、俺たちを』であの若松プロダクションの助監督である主演をつとめた門脇麦なのである。 革命的女性闘士から、松濤のお嬢様? それを見たかった? いや、違うな。再生してみて、「あ、門脇麦」と思ったくらいだからだ。 やはりなにか、耳にしたことある山内マリコ原作の、現代的な問題を描いた作品を観たかった、ということになるかもしれない。よく、覚えていない。 貴族の世界とそうでない世界

    本当の上級国民。そういうものがいるか、いないか。たぶん、いる。いや、いるに違いない。
    neputa
    neputa 2022/04/09
    とても共感できる言葉だ。 “もう、勝手にしてくれ。頼むから静かにしてくれ。ぜんぶ黒く塗りつぶせ。”
  • 記憶も記録も消え去っていく時代に

    手袋 もう、春だ。暖かくなってきている。それなのに、手袋の話をする。 冬、ラジオのパーソナリティーがこんなことを言った。 「以前は冬となればみな手袋をしていたのに、今はスマートフォンのせいか、あまり手袋をしていない」。 おれはそれを聞いて、思い当たることがあった。 コロナウィルスがやや低調になった秋だか冬だか、女の人と買い物に行った。 女の人は「手袋を買いたい」と言った。手袋を探した。 が、なんというか、手袋があまり売られていないのだ。 手袋売り場がない、少ない、そんなふうに感じた。そのときも、そんなことを言った。 「あれ、手袋ってこんなに売ってないものだっけ」。「なんか、選べない」。 あくまで、関東、南関東のラジオと、南関東に住むおれたちの話である。 それは明確にしておくべきだろう。だが、少なくとも南関東においては、そんな実感があった。 あれ、みんなスマートフォンの操作を優先して(スマー

    記憶も記録も消え去っていく時代に
    neputa
    neputa 2022/03/30
    手袋の話し同感。この冬、何年かぶりに手袋を買おうと思いあちこちの店をのぞいたのだが「手袋売り場ってこんなに小さかったっけ?」となり、気に入ったものを探すのに手間取った。スマホのせい、あるかも。
  • 暴力によって成立してる世界であっても、自虐の刃を突きつけろ

    自分に向ける刃が他人に向かう 佐藤優と斎藤環の対談である『なぜ人に会うのはつらいのか』にこんなやりとりがあった。 斎藤 ……で、そんな彼らも、実は優生思想を自ら振りまいている部分があるんですよ。自分が疎外されたと感じた時に、彼らが必ずと言っていいほど口にするのが、「俺なんか生きていてもしようがない」というひと言なのです。なぜなら、金も稼げない、生産性もない、何の役にも立っていないのだから……。しかし、そうやって並べていくロジックの全てが、「役に立たない人間は生きているな」という優生思想に、見事に収斂されてしまう。 佐藤 往々にして、そうやって自分に向ける刃は、他人にも向くことになります。 おれは、これについて思い当たるところがあった。 おれは常々、自虐を振りまいている。振りまいている自虐の「自」からはみ出ないように気をつけてはいる。 しかし、気をつけたところで受け取り手が「これは自分のこ

    暴力によって成立してる世界であっても、自虐の刃を突きつけろ
    neputa
    neputa 2022/02/26
    言葉を発することそれ自体が常に暴力性を含むのは確かに。一方、言葉によって進化してきたのもまた事実で人類が完全に黙することはないのだろう。言葉を発し続けたその先でよい解決が見つけられるといいな。
  • 独身中年のおれは社会の「不審者」であることを甘受する

    独身中年の不審者度 『見知らぬ人はすべて「不審者」、行き過ぎた通報も…平日昼間に出歩く中年男性の僕が困惑した理由』という赤木智弘氏の記事を読んだ。 平日の昼間に中年男性が一人でうろついていると、「不審者」扱いされる現実があるんじゃないか。 声優の落合福嗣氏なんて、平日に娘と公園で遊んでいただけで通報されたぞ、という話だ。 防犯としての「挨拶」を教育している例もあるし、なんでもかんでも「事案」になってしまう世の中ってどうなん? 偏見があるんじゃないの?……というような内容かと思う。 これに関して、おれも当事者の一人ということになる。 というか、通報する側である子供連れの親、あるいは子供そのものといったものも当事者であって、社会のほとんどの人間が当事者といえるかもしれない。 とはいえ、やはり中年独身男性で単独行動も多いおれは、「不審者」の対象たりうる一番の存在であって、我が事と思わざるを得ない

    独身中年のおれは社会の「不審者」であることを甘受する
    neputa
    neputa 2022/02/15
    人類は人権と平等という概念を発明したけどその実現方法は迷走したままだ。早期実現を。この表現好き“「ひょっとしたら悪い人ではないかもしれないけれど」という想像をひとさじ混ぜておいて欲しいのだ”
  • 占いもなにも信じない知人が「整体」の効果だけは力説していて、ちょっと驚いた。

    なんであなたが整体に? 二十年以上つきあっている人がいる。その人は性格として神秘的なものや宗教的なものに対して、ひどく懐疑的だ。 懐疑的というか、ちょっと遠くからバカにしているようなところがある。占いもなにも信じない。そういうところがある。 つきあいが長いので、その人にはその人なりのエキセントリックさがあるのは知っているが(美大出のデザイナーだし)、そのエキセントリックさは、そういう方面にはまったく向いていない。 デザイナーにはその感性ゆえか新興宗教にはまってしまう人もおり、そういう勧誘も受けたりもしたが、なにも影響受けることなく生きてきた。 が、その人が「整体」に通っているということを聞いて少し驚いた。 なるほど、座り続ける仕事ゆえに、腕がしびれるなど身体に問題があるのは知っていた。が、そんな場合は整形外科にでも行くものと思っていた。 というか、整形外科に通っていたが効果がないと言ってい

    占いもなにも信じない知人が「整体」の効果だけは力説していて、ちょっと驚いた。
    neputa
    neputa 2022/02/05
    すごく素敵な。覚えておこう。 "ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 判断できないことを、判断しないままにしておける姿勢、しておける能力”
  • 才能のない精神障害者にはロールモデルが存在しない

    ロールモデルの存在 ロールモデル。参考にすべき先達者。自らがそうなりたいと思えるような存在。そんなものだろう。 一般的な人間。例えば、大学を出て上場企業に勤めているような人にとっては、そのロールモデルを探すのは難しくないことだろう。 定年まで勤め上げて(いま現在、それが難しいかもしれないという話はあるかもしれないが)、老後は年金をもらってどうする。あるいは、早期に退職して別道を歩む、ベンチャー企業に転職する、などなど。 そんなロールモデルが身の回りや、あるいはネットを検索して出てくるのならばよい。 人生の指標になる。そのとおりの道を歩まずとも、ある程度の目印にはなるだろう。 が、おれのような人間はどうだろうか。 大学中退の高卒、そして精神障害者。実家が太いも細いもなく、一家離散済み。 そして、っていけるだけのさしたる才能もない。なんとなく生かされてしまっている。そんな人間の、ロールモデル

    才能のない精神障害者にはロールモデルが存在しない
    neputa
    neputa 2022/01/27
    それほどロールモデルを必要とはしていないと感じる。仮にあったとしてもかえって反発しそうだし。著者はロールモデルになることはあってもロールモデルを必要としてる人ではないと思う。
  • 比較されて、負けてしまった人間に救いはあるのか

    マックス・シュティルナーが言ったかもしれないこと 栗原康という人の『何ものにも縛られないための政治学』というを読んだ。 そこに、マックス・シュティルナーという思想家の考え方が紹介されていた。 シュティルナーは自由主義を三つに分けたという。 (一)政治的自由主義……カネによる支配 (二)社会的自由主義……社会による支配 (三)人道的自由主義……人間的なものによる支配 政治的に自由になる。すると、人はカネによって上に立ったり、下に置かれたりする。カネがすべてを支配する。 それじゃあいけねえとなって、金持ちが支配するなんてやめて、社会のためにみんなやっていこうとなる。 みんながみんなのために。一見、悪くない。 だが、その世界ではかられるのは、人がいかにみんなのために、社会のためになることができるかどうかだ。 みんなのためにならないことは評価されないし、みんなのためにならない人間は糾弾され、排除

    比較されて、負けてしまった人間に救いはあるのか
    neputa
    neputa 2022/01/07
    人類が競争から解放され相対的な価値から絶対的な価値観へとシフトしていくのだろう気はする。そうなるとまた問題が出てきて揺り戻しがあってと、ずっとそのサイクルから逃れられないのだろうとも思う。
  • おれはいつ宇宙への想いを失ってしまったのだろう

    地上で財をなした金持ちが宇宙へ行く たまには宇宙のことも考える。 ZOZO創業者でスタートトゥデイ社長の前澤友作さんが宇宙へ行った。 ちょっとした無重力体験ではなく、それなりに国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する。 これについて、金持ちの道楽だとかなんだとか批判的な声もある。 だが、おれの感想は違う。 「すげえな!」。これである。 なにせ宇宙へ行くのだ。 宇宙はやばい。死ぬかもしれない。 海の男たちの言葉に「板子一枚下は地獄」というのがあるが、宇宙空間だって隔壁一枚向こうは地獄だ。なにせ空気がない。 空気がないところに行けるならまだしも、その前にロケットによる打ち上げがある。 ロケットによる打ち上げによる人身事故(人身事故という言葉がふさわしいかわからないが)は、ひょっとしたらあの1986年のチャレンジャー号爆発事故からだろうか。 いや、違った。コロンビア号空中分解事故というのもあった

    おれはいつ宇宙への想いを失ってしまったのだろう
    neputa
    neputa 2021/12/22
    いまSF小説『三体』を読んでいる最中で宇宙が非常に身近だと錯覚していたが、目が覚めた。そうだよなあ、何となく近いと思っていた未来は結構遠いんだよな。
  • おれが抑うつ状態になったときのことを書き留めておきたい。

    うつ)」という言葉はわりと広い概念ではないかと思う。 もちろん、「うつ」=「うつ病」=「大うつ病性障害」と考える人もいるだろう。 とはいえ、信頼にたるかどうかわからないWikipediaでも「抑うつ」として項目があるように、「抑うつ状態」というものがある。 その根っこは、いわゆる「うつ病」である「大うつ病性障害」であることが多いのかも知れない。 しかし、実態、その原因は多岐にわたるといっていい。 たとえば、大切な人を喪ったとか、職を失ったとか、そういう人生上のイベントで気が塞ぐ場合もあるだろう。 それで抑うつ状態になることもある。 それは人間の心理として当たり前のことではあるので、病気としてみなされない場合もある。 おれはべつに「だ死のう」という軽い使い方をしてもいいと思う。 ちょっとした軽く不愉快な出来事でも、人はになると思う。 とはいえ、おれは双極性障害と医師にも行政にも認め

    おれが抑うつ状態になったときのことを書き留めておきたい。
    neputa
    neputa 2021/11/26
  • 数学ができなかった人間の残り滓が「文系」と呼ばれるのではないか。

    高卒 インターネットで持続性のあるハンドルをもって情報を発信し続けている人は、大学卒業者以上である比率が高い。 ソースは……ない。 おれが二十年くらいネットをやってきた、電子肌感覚である。 「そんな電子肌なんてSFっぽい感覚などあてになるのか」と思うあなたは、やはり大学を出ていないだろうか? というわけで、おれは珍しいとはいかないまでも、少数派の高卒インターネット人である。 高卒が少数派なのは、たしかネットに限らずリアルな数だとしてそうだったと思う。 少し前、鳥貴族で飲んでいてそういう話題になって、おれは「まだ、大卒の方が少数派ですよ」と言って携帯端末で調べたら、違った、というのがソースだ。 そのときおれはビール的なもののアホみたいにでかいジョッキを一杯飲み干したあとだったので、正確かどうかはわからない。たしかちょっとだけ大卒の人が多かった。 したがって、ここでおれは高卒してすぐに働きに出

    数学ができなかった人間の残り滓が「文系」と呼ばれるのではないか。
    neputa
    neputa 2021/11/16
    科学技術が文明を加速させ世界最大の宗教が科学に寄り始めた資本主義なのだから「理系」の存在感が増している。しかし肝心の人間は感情の生物であり数字だけでは腹は膨れない。この記事のような文章が必要なんだ。
  • 切った鼻毛の中に白髪を見つけたとき、男は“人生の秋”を知る。

    かつて、偉大なる詩人である田村隆一はこう述べた。 鼻毛って言えば、男は鼻毛を切って白髪を見つけたときに、“人生の秋”を知るんだ(笑) おれは二十代前半からライフステージというものがほとんど変わっていない。 同じ零細企業の、同じ一番の下っ端で、同じ低賃金で働いている。 結婚もなければ、子供をもうけることもない。 他人の結婚式に出たこともなければ、親戚の子供にお年玉をあげたこともない。 日から一歩も出たこともなければ、神奈川県から外に出ることも稀だ。 というわけで、おれはほとんど人間的な成長をしていない。 自分の魂を変えるようなイベントもなければ、自ら魂のあり方を変えて新しい体験をしようということもなかった。 ただ怠惰に、ぼんやりと過ごしてきた。 だから、おれの魂の部分は、同世代の多くの人間に比べてえらく幼いままだ。 悪く言えば幼稚、無理して良く言えば「若い」。 が、肉体というものは老いる。

    切った鼻毛の中に白髪を見つけたとき、男は“人生の秋”を知る。
    neputa
    neputa 2021/11/03
    自分も明確に「老いが始まった」と実感したのは40代に入ってからだな。季節も秋だし人生も秋だな。みんな少しでも幸せなことが多い秋になるといいな。
  • 日本人は、いったいいつまでマスクを着け続けるのだろうか。

    第5波後の日 今、これを書いている現在、日における新型コロナウイルス感染症は第5波が落ち着いたところにある。 第5波どころか、2021年で一番落ち着いているという具合である。 第5波は、とても高い波だった。そこから考えると、あまりにも落ち着いてる。 落ち着いていて悪いことはない。当たり前の話だが。 落ち着き始めたころには、「なぜ落ち着いたのか」、「よくわからない」という専門家の記事なども多く見かけられたが、そのような記事もネット上では少なくなっているような感じだ。 なんで波が収束したのか、おそらくはいろいろの複合要因があるのだろうが、結局のところよくわからない、というのはちょっとよくない。 波を収束する手段が明確であれば、次の波への対応策も打てるだろう。 現状では、やはりワクチン接種をすすめ、手洗いなど基的な対策をして、密を避けて、ということになるだろう。 第5波が去ったのは紛れもない

    日本人は、いったいいつまでマスクを着け続けるのだろうか。
    neputa
    neputa 2021/10/22
    もともと一定のマスク率の高さがあった謎の風習がコロナでより強化されコロナ明けはある程度はずす人も出るけどコロナ前よりは高いに落ち着くに一票。いずれにせよコロナ収束と痛手を受けたところへの手当を望む。
  • 「親ガチャ」につける薬はなさそうだ。

    人間は人間を知りすぎてしまった 人間は人間を知りすぎてしまったのだと思う。薬もできていないのに。 人間が人間を知りすぎた。それは主に科学的に知りすぎたということだ。 もちろん、人間は古くから人間を知ろうとしてきた。 遠い天体の動きも知ろうとしたし、目には見えない小さな生物についても知ろうとした。 もちろん、自分自身にもその興味を向けてきただけだ。 骨はどのようにつながっているのか、筋肉はどのようについているのか、内臓はどのような役割を果たしているのか……。 やがて、あるいは最初からかわからないが、とうぜん意識を司っていると考えられる脳についても知るようになる。 あるいは、遺伝というものについて、遺伝というものの子に与える影響まで知るようになる。 もちろん、研究者には、「まだ知っているだなんて言えない」と言われるだろう。 まだまだ天体についても、人体についてもわからないことだらけなのもたしか

    「親ガチャ」につける薬はなさそうだ。
    neputa
    neputa 2021/10/08
    恵まれた家庭がクソを輩出することもある。親もそうだが、その後の出会いも重要なガチャと思う。いずれにせよ人間の世界に希望は感じない。
  • 生涯で一度しか、投票の棄権をしたことがない、という話。

    おれと選挙権 おれはおそらく、生涯で一度しか投票の棄権をしたことがない。 一家離散でごたごたしているとき、それどころではなかったのだ。 その一回を除いて、たぶんすべての選挙に投票してきた。 市議会選挙、県議会選挙、県知事選挙、市長選挙、国政選挙。 なぜ、投票するのか。 おれはこの国のあり方について、根的に疑いを抱いている。 選挙行動は、そのあり方について「現状の肯定の一票になりかねない」という思いすらある。 それでも、投票してきた。 一つには、せっかくある権利を行使しないというのはもったいないという感情であり、もう一つは、投票には参加しなくちゃ面白くないぜという思いである。 後者については「馬券を買う」と同じものであると明らかにしておく。 というわけで、おれは今までたくさん票を投じてきた。 なんと、与党側に投じたのは一度きりである。 選挙権を得てすぐ、なんかの選挙に出てきた人が、同じ中高

    生涯で一度しか、投票の棄権をしたことがない、という話。
    neputa
    neputa 2021/09/30
    泡沫候補と言われる方も開票すれば票が入っている。政見放送で正直なところ引いてしまった方もそうだった。一票の向こうには人生があるわけで、みんな含めての社会だ。そう思うので共感の思いで読んだ。
  • テロってなんだっけ。磯部涼『令和元年のテロリズム』を読んだ。

    磯部涼『令和元年のテロリズム』というを読んだ。 はて、「令和元年のテロリズム」はなんだろうか? あるいは、どれだったろうか? 川崎殺傷事件 取り上げられているのは、まず「川崎殺傷事件」。これについては、あまり記憶になかった。 朝、私立小学校のバス待ちの列に包丁を持った男が襲いかかり、児童一名、その児童とは別の児童の保護者一名の生命を奪った。 ひょっとすると、覚えている人はあまり多くないかもしれない。 なぜならば、犯人が事件直後に自殺しており、なおかつその犯人は実社会にもネットにもなんのつながりもなく長年引きこもっていたからだ。 捜査関係者が「当に実在したのか」と言うくらい、なんの人生の痕跡も、犯行への意思も残されていなかった。 生まれ育ちからある程度はストーリーが構築できないではないが、直接的な動機については謎である。 元農林水産省事務次官長男殺害事件 とはいえ、この事件の影響があった

    テロってなんだっけ。磯部涼『令和元年のテロリズム』を読んだ。
    neputa
    neputa 2021/09/09
    読み応えがあった。「テロリスト濃度」自分は今どの位だろう。客観的に見て不明でも全て起こるべくして、起きる明らかな理由があっての事と思ってる。そして多くの人は当事者意識はなく過去もこの先も有るコトと思う
  • 格差は悪なのか、平等よりも大切なものとは?

    おれは数字が苦手である。もちろん、その先の数学も苦手である。 となれば、経済が取り扱う数学というものもまったくわからぬ。 わからないが、現代社会を生きるのに、経済というものを少しは解さなければいけないという思いにもかられる。 というわけで、図書館で経済あたりの棚を見ていて目に入ったのがこのである。 とハリー・G・フランクファートによる著書である。 「格差は悪なのか?」と言われると、なかなか挑発的なような気もする。 ぱらぱらめくってみると、次のような文章が目に入った。 道徳性の観点からすると、万人が同じだけ保有するというのは重要ではない。道徳的に重要なのは、万人が十分に保有することだ。 まあ、そりゃそうだよな。 そう思って、おれはこの薄い(翻訳部分と解説が拮抗している)を読んでみることにした。 翻訳者の山形浩生いわく、このはピケティの柳の下のドジョウだが、そのドジョウも自ら訳したのだと

    格差は悪なのか、平等よりも大切なものとは?
    neputa
    neputa 2021/08/27
    興味深い話で面白かった。平等を強制すべきでは無いが、権利は平等に持てるべきと思う。行使するかどうかは個人の自由として。今の資本主義に次ぐ経済システムが早く来い。
  • 人には、持って生まれた「行動ポイント」のようなものがある

    持って生まれた行動ポイント 人間には、どうも持って生まれた行動ポイントというようなものがあるように思える。 「行動力」とすると、ちょっと意味が広がりすぎてしまうので、あくまでゲーム的な「ポイント」だ。 1ターンの間に1回行動できます、あるいは2回行動できます、それとも、10回? 自分は、かなり少ない行動ポイントしか持たずに生まれてきた人間のように思える。 なにかにつけ、だるい、面倒くさい、やる気がしない……。 1ターンのうちに1回なにかできればましな方だ。子供の頃から、そうだった。 これがもう、年を取り、さらに精神に障害を抱えてからは、さらに極まってきた。 いや、そこまで極まる前からそうだった。 ニートをしていたら、実家が失われ、一家離散という目に遭って、極貧の一人暮らしをしはじめたときからそうだった。 貧しさと選択肢 貧しいと、なにかをする選択肢が減る。 「貧乏だって、いろいろな楽しみが

    人には、持って生まれた「行動ポイント」のようなものがある
    neputa
    neputa 2021/08/20
    「行動ポイントはマイナスだけど親が富豪」とかだと死ぬほど退屈そう。己の持つポイント量を自覚できるかが第一関門で、あとはその手札をどう切っていくかに人生の楽しみはあるようにも思う。考えさせられる記事。
  • おれは、手をつないで徒競走をゴールしたい人間だ。

    このごろ短歌に関するを読んでいるのだが このごろ短歌に関するを読んでいる。 短歌にはとなったもの以外に、いや、それ以前の発生の場所として歌会などがあるらしい。 お題が出されて、それについて匿名で歌を提出する。歌人たちがお互いに点をつけ合う。題詠形式というらしい。 そんなことを読んで、おれは歌人でもないし、歌人になりたいわけでもない。 短歌を書いているわけでもないし、書いたとしてもそれを発表する気もないのに、「おいやめろ」と思ってしまう。 それはきついなーと思ってしまう。 なにせ、だれかと同じお題で競って、点数がつけられてしまうのだぜ。 それって、すごくきつくないか。苦しくないか。悲しくないか。怖くはないか。 おれは怖い。枕に顔を突っ伏して、足をばたばたしてしまうくらい怖い。 もちろん、歌会に誘われたわけでもない、参加しようとしたわけでもない。 ただ、そんなことを読んだだけで、そうなっ

    おれは、手をつないで徒競走をゴールしたい人間だ。
    neputa
    neputa 2021/07/06
    競争の場は仕事感義務感を帯びてくるので確かに自由は失われていく。表現は生きる事とイコールだから自由でありたいという気持ちもよくわかる。
  • 「人殺しの顔をしていない、人殺し」が、怖くてならない。

    人間の悪意に絶望するのこと ある建築会社が手がけたアパートの階段が壊れて、人が亡くなったというニュースがあった。 さらにその会社が同じような手抜き建築でつくったアパートなどが二百件超あるという。 おれはそのニュースを読んで、とても嫌な気持ちになった。 おれは自分のソーシャル・ブックマーク・サービスに、次のようなメモを残した。 「殺人事件のニュースなんかより、こういう話のほうが人間の悪意に絶望して、すべてが嫌になってしまう。」 言いすぎじゃないかと思う。自分でもそう思う。 だいたい、どんな殺人事件と比べているんだ。そういう話になる。 もちろん殺人事件には殺された人という取り返しのつかない存在があって、その人を永遠に失う家族や友人たちだっているだろう。 もちろん、一度にたくさんの人を殺すような事件もあるし、許しがたいような動機の事件もある。 それでもなお、なにか、おれには欠陥住宅をつくりつづけ

    「人殺しの顔をしていない、人殺し」が、怖くてならない。
    neputa
    neputa 2021/06/10
    森永ヒ素ミルク、薬害エイズなど企業・国ぐるみで人殺しをし更に自己正当化して裁判が、最近の日本でもある。そして悪とされる側も自分の身内が殺られればキレる。人命軽視と重視は人の中に共存する感情と思う。