今年2013年の5月ごろ, ライフゲームを遡れないかというネタを思いついた. 新卒向けのイベントでパズルを出したいという要望が人事からあったので, ライフゲームを進めると短縮URL(の一部)がでてきたら面白いかなと思ったのだ. そういうわけで非常に適当に作ったものが haruyama/yalifegame. 私の実装は適当かつ力技なので効率的ではない. 1世代進めると 「mixi」 という文字を出す例を示す. なお, kaggle で以下のコンテストが現在開催中であることを知人に教えてもらった. Description - Conway's Reverse Game of Life | Kaggle
技術書を買っただけで満足するwブクマするだけで理解した気、分かった気になっているw勉強会(笑)には参加するが復習も実践もしないw一つの言語を使い込めてないのに複数言語に手を出すw流行りの技術に飛びつくけど直に飽きるw専門と断言できる技術領域がないwVisualStudioを貶す割には、パフォーマンス分析とかテストなどの便利機能は使えないwWPFが分からないだけなのに、自前で作る方が偉いと思っているwオーバーヘッドやフットプリントなどデメリットを考えず、すぐにtemplateとか純粋仮想関数を使って可読性を落とすwオブジェクト指向/デザインパタンを何か特別の技術だと思っているw無駄なところにラムダ式を使うwメモリ使用量や計算量の予測ができないw最大負荷を予測した上で始めから対策を取った実装が出来ないwHHKでないと仕事できないwとりあえずVim(笑)を使うw用途もないのにマックブックプロを買
目次 概要 この記事の目的 なぜ勉強するのか なぜ休職したのか(働きながらではダメなのか) どのようにして休職したか 金銭面の問題 勉強を継続するために気をつけたこと どのくらい勉強したか 何を勉強したか 反省 まとめ 概要 5月に休職しました。 休職開始から今日まで主にプログラミングの勉強をしていました。 11月から仕事復帰します。 この記事の目的 私が休職して勉強することを決めるとき、経験談を参考にしようと思い似たような方がいないか調べました。 しかし、私のニーズに合う情報はほとんど見つかりませんでした。 私と同じように休職勉強を考えている方にとって、少しでも参考になればいいなと思い書きます。 なぜ勉強するのか 私は業務ならば並以上の働きをしていると思っています。 社交辞令もあるでしょうが、社内・顧客ともに良い評価を頂いています。 一方で、経歴を増すごとに自分の中で技術力に対する不安が
昨日、文化勲章と文化功労者が決まり、フラッシュメモリの発明者の舛岡富士雄先生(東北大学 名誉教授)も文化功労者に選ばれました。 文化功労者というのは文化庁によると、「文化の向上発達に関し特に功績顕著な者」が選ばれるそうです。 舛岡先生は私が東芝に入社した時の上司です。 舛岡先生の下で、下っ端としてフラッシュメモリの研究開発に携わった私も、ちょっとだけでも「文化」に貢献できたのかと思うとうれしいです。 私は舛岡先生と出会わなければ、東芝に入社することも、フラッシュメモリや半導体に携わることも無かったでしょう。 そもそも、私は博士に進学するつもりだった修士の時に、(私にとっては運命的な出会いで)舛岡先生にお会いして、「これだ!」と思い、博士課程への進学をやめて、東芝への入社を決意しました。 当時の東芝は、研究所の所長さんが自分の部署で採用する新人を決められたので、私にとっては東芝に入社したかっ
高校時代の友人からの、久しぶりの電話の第一声は 「昨日会社に辞表を出した」だった。 並河健という友人 友人の名前は「並河健(なみかわ けん)」。 電話の翌日には日本維新の会から公認されたというニュースを見た。 http://j-ishin.jp/candidate/ 電通への中途入社自体がかなり異例らしいが、その職をさっさと辞めたと聞いた感想は、 驚き半分、「ようやくか」という感情が半分だった。 彼との出会いは高校一年の時、 中高一貫の進学校で、中学から上がってきた彼と、高校編入組の自分は出席番号が一つ違いだった。 初めて会った15歳の時から、33歳の今まで、彼の基本スタンスは驚くほど変わっていない。 彼のベクトルはあくまで「国を良くしたい」だった。 高校一年でそんなことを言うと、かなり「尖った奴」だが、実際彼もそう見えた。 高校卒業後、その芯にある方向性が変わらないまま、防衛大学校に進学
数日前、Twitter で「頭で稼ぐ時代に、汗をかくことは意味がない」と書いたところ「肉体労働者たちの仕事も社会には必要だ」という意見をいただいた。そもそも、私はホワイトカラーの仕事について述べていたのであって、肉体労働者のことは念頭においていなかった。やや面食らったのだが、その後あれこれ考えてみて、思ったことを記してみる。 私は来月で40歳になる。平均寿命が80歳という時代なので、ちょうど人生の折り返し地点か。「もう半分しかないか?あと半分もあるか?」と聞かれれば「あと半分もある」という気がする。もちろん80歳まで生きられる保障はどこにもないけどね。 私が大学を出たのが23歳のとき。それから17年間いろんな仕事をしてきた。転職回数はたぶん10回以上。(たぶん、というのはもう多すぎて正確にカウントできないという意味)仕事は大体 IT 関係が多いのだが、実は肉体労働の仕事もずいぶんやった。群
11.6インチのIPSディスプレイ(解像度1366×768)搭載で176度の超広視野角を実現、CPUにExynos 5250 GAIA アプリケーション プロセッサ、本体フレームはマグネシウム合金製のフレームで重さは1.04kg、最大6時間の連続使用が可能なChromebookが「HP Chromebook 11」です。 HP Chromebook 11. Made with Google http://www.google.com/intl/en/chrome/devices/hp-chromebook-11/ これがHP Chromebook 11。11.6インチのIPSディスプレイ搭載。USB2.0ポートが2つと充電用のmicroUSBポートもあり、Android端末の充電に使うものと同じ充電器で充電が可能。ユーザーの使用体験を邪魔することなく自動的にOSが最新の状態にアップデートさ
京都大学大学院、情報学研究科での2年間 「どんな大学院生活だったんですか?」 おおぉぉぅ!!!!!! ・・・ほとんど忘れたね。 確かに、「起業してからのコト」については、書いたり答えたりする機会があったけど、、、「学生時代の事」はあんまり聞かれたコトがないカモ。。。 土曜日(6月1日)は大学院のOB達によるオープンイベント『超交流会2013』だ。イイ機会だし、大学院時代の記憶を整理しておこーと思った。イベントの統一テーマは「みんなのカミングアウト」だし。。。 0. 「学部」時代はオチコボレ 1993年、京都大学 建築学科に入学。授業には全く行かず、毎日遊び呆けた。 1995年、マッキントッシュと言うパソコンを買った。ゲーム機として。 大学院に進学する前、大学4年間は、通称『ドロップアウト組』に属していた。カッコ良さそうな響きだが、何か特別な「組織」がある訳ではなく、単に「落ちこぼれた人達」
最近は制作の仕事だけでなく、採用活動にも絡んでいます。 日本側の偉い人が面接をする際などに通訳をしています。 色々な人と話をする機会があるので、感じた事をまとめます。 ①面接をすっぽかす人が結構いる スカイプでやることになっていたのに、ログインしてこない。 そのあとメールを出しても音信不通という人もいます。 もう決まったのなら一言言ってもいいのに。意外にいい加減。 ②最初から条件交渉は美しくない 「手当は出ますか?」 「家はどうしますか?用意してくれますか?」 「保険はどうですか?」 海外からの応募の人でよく見られる質問です。気になるのは わかりますが、ファーストコンタクトでこういった質問は NGではないでしょうか。もし自分が条件優先なんだ、 というのを表現したいのならわかりますが、個人的には 通訳していてもいい気持ちはしません。 労働市場も各国(または世界的に)相場があって、 だいたいの
就職して&常駐して4,5年目。 客先の直属の上司からは体のいい雑用としての役割を求められる。 言われたこと以外の余計な口出しをしようものなら、あからさまに嫌な顔をされたり鼻で笑われたり、まともにとりあってくれなかったり、最初から否定的な捉え方をされたり、そういうことは想定・期待していないんだから余計なことをするなという空気を言外にもひしひしと感じる。 一見理解ある上司のように対応・行動しているから余計にたちが悪い。変にプライドが高く、完全に自分の掌中におさめておきたい、余計なことをさせたくない的なところにつながったりして、一筋縄ではいかずに胃を痛めている。 いや実際に変なところで何かされたら責任とれんからってのはわかるけどさ。そうじゃない部分でも何かとつねに見下すっつうかバカにされてる感があるんだよね。まあ外注なんて所詮そんな立場なんだろうけどさ。 一方、客先の直属の上司の上司とか、客先の
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