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2011年1月2日のブックマーク (4件)

  • 逃げ切りメンタリティ

    「逃げ切りメンタリティ」とは、私が執筆中の書籍(エンジニアとしての生き方)で初めて使った造語だが、「サラリーマン経営者が、『とりあえず自分の退職金が出るまで会社が存続してくれれば良い』と問題を先送りして、リスクを避けた経営をする心理状態」のことを指す。 使い方は、こんな感じだ(一つ前のエントリーより引用)。 しかし、そんなことをするとハードウェア全盛の時代に働き盛りだった40代50代の人たちは自分たちの居場所がなくなるし、万が一失敗した場合は自分たちの退職金も危うくなるわけで、今の経営陣にこんなことを言っても馬の耳に念仏。彼からからすれば、とにかく自分が円満退職するまで会社が存続してくれることがなによりも大切。余計な冒険などせずに、問題をできるだけ先送りにして、今のままの形で次世代にバトンタッチするのが一番の得策。そんな「逃げ切りメンタリティ」が今の日をだめにしている。 「最近の若者が元

    nippondanji
    nippondanji 2011/01/02
    同意。新陳代謝のない世界に未来はない。
  • 「ガラパゴス問題」に対する少し前向きな一考察

    昨日の「日のケータイが『ガラパゴス化』した当の理由」には沢山のコメントをいただいたが、その中には、「じゃあ、日はこれからどうすれば良いのか」という質問があったので、私の考えを少し書いてみる。 まず、ケータイやテレビのように消費者向けのデバイスを作るのであれば、世界規模でビジネスをすること以外は考えない方が良い。先のエントリーで書いた通り、日の携帯メーカーは、単に「ソフトウェアの開発能力・デザイン・おもてなし」で負けているだけでなく、ビジネスの規模の違いから、部品の調達コスト・製造コストでAppleに大きく引きはなされているのだ。「悪かろう高かろう」では勝てるわけがない。 もし、日のメーカーがAppleやSamsungと気で戦おうとするのであれば、(1)コスト面での徹底的な合理化をはかり(役員のお抱え運転手を廃止する、年功序列で給料だけが高くなってしまった人たちに辞めてもらう、系

    nippondanji
    nippondanji 2011/01/02
    普通に考えると引き抜くならAppleからじゃね?なんでMSやGoogleしか挙がってないんだと。
  • AndroidはiPhoneに対抗するべきではない

    2007年に米Appleが発表した「iPhone」が、モバイル業界に衝撃とともに受け入れられてから3年――。2010年は「iPhone 3G」「iPhone 3GS」「iPhone 4」と世代を重ねるごとに進化するiPhoneに追いつけ、追い越せと言わんばかりに、Android搭載端末を中心に多数のスマートフォンが登場した。まさに「日でのスマートフォン元年」といっても過言ではないだろう。 そんな2010年を振り返り、「スマートフォンオブザイヤー2010」を選定すべく、アスキー総合研究所 所長の遠藤諭氏、慶應義塾大学大学院 政策メディア研究科 特別招聘教授の夏野剛氏、通信ITSジャーナリストの神尾寿氏に集まっていただき、スマートフォン談義に花を咲かせていただいた。さまざまな視点からモバイル業界に関わる3人が見た、2010年のスマートフォン事情とは――。 iPhone 4の優位性が目立った2

    AndroidはiPhoneに対抗するべきではない
    nippondanji
    nippondanji 2011/01/02
    何故か一言もSymbianが出てこないけどスマフォの市場を開拓したのはSymbianだよね?その市場を美味しく頂いてるのはAppleに違いないけど。//消費者にとっては常に競争が生じてるのが良い状態。Android頑張るべし!
  • 凶悪な犯罪者には人権なんていらないんじゃないの? - ヒューライツ大阪(財団法人アジア・太平洋人権情報センター)

    ヒューライツ大阪のセミナー情報や、人権に関わるタイムリーなニュースをEメールで月2回ペースでお届けします(無料)。 人権はすべての人に保障される普遍的な権利です 何人もの人を殺したような凶悪な犯罪者は、他の人の人権を著しく侵害したのだから、人権を保障されなくてもいいのでしょうか。決してそうではありません。人権は、すべての人が生まれながらに持っている、侵してはならない普遍的な権利であり、凶悪な殺人犯でも人権を主張することができます。日国憲法第36条、自由権規約、拷問等禁止条約は、拷問や残虐な刑罰を禁止していますが、それは凶悪な殺人犯も、拷問による取り調べや残虐な刑罰を受けない権利を持っていることを示しています。 人権は市民から国家に対する自由の主張です(国家VS市民) そもそも人権は、市民が国家に対して、抑圧・干渉の排除と自由を主張することから始まりました。国家権力の一方的な判断により、市

    nippondanji
    nippondanji 2011/01/02
    人権は人類が長い歴史を経てようやく勝ち取ったもの。本当に大切にしないと権力者に搾取される日々が待っている。