このコンテンツは1997年にnamcoが開発したPS用ゲーム「風のクロノア」に関する データや小考察を取り扱っております。 また、小考察を目的として来られた方へ―― これらを書いた私newは、全く持って頭に知識というものを蓄えておらず、 考察などではなく“どくしょかんそうぶん”とでも表した方が良いというモノです。 それでは何故人々に誤解を与えるようなものを公開しているのかというと、 これは私よりもはるかに機智に富んで造詣が深い方が読まれる事で 「なんだこの無茶苦茶な考察は!こんなのよりもっと凄いものを書いてやる!」と クロノアという素晴らしいゲームに対し論じてくれる人の出現を願って書いたものなのです。 一応私の持てるだけの知識を駆使して(殆ど他の人からの意見パクりですが)全力投球したものなので、 嘘はついていないつもりです。 こうした点を踏まえて以下を楽しんでいただけたら著者としては安心し
Something Orange - 「キャラ」を見ずに「作品」を語るひとたち。について……なんだけど、元の話題を把握できているかどうか自信ない。明後日の方向に暴走して、まったく関係のない話になってるような気もする。 さて。 小説はいくつもの要素から成り立っているけれど、自分はそれを大きく3つに分けている。「設定」「物語」「文章」の3つ。5つならそこに「人物」と「構成」が加わる。そして、それぞれの要素は、さらに細かい要素から成り立っている。…ここまでは俺自身の感覚的な話ね。別にこの分類について是非を問うているわけではないので。 さてさて。 小説を評価する方法の一つとして、それぞれの要素について個別に評価していくものがある。「設定が興味深かった。構成がよかった。人物もよかった。文章はいまいちだった――」みたいな。小学生の読書感想文のような。じゃあこれを「小学生評価」と呼ぼう。ちなみに私はこの
昨日、『零崎軋識の人間ノック』を読んでつくづく考えた。いやあ、キャラクター小説って、本当におもしろいですね。 零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス) 作者: 西尾維新,take出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/11/08メディア: 新書購入: 7人 クリック: 66回この商品を含むブログ (236件) を見る ぼくだけではないと思うが、いったんあるキャラを好きになってしまえば、そのキャラがほかのキャラと絡む、それだけである種の快楽性が生まれる。『人間ノック』でいえば、玖渚友がちらっと出てきてわがまま言っているだけで何となく楽しい。 『涼宮ハルヒの憂鬱』でいうなら、ハルヒとキョンがいつものように絡んでいるだけで一応おもしろいし、評判のよくない〈ネギま!〉の新作アニメも、お馴染みのキャラが出ているだけでそれなりに楽しく見れたりする。 涼宮ハルヒの憂鬱 1 通常版 [DVD] 出版
糸井 どうぞいいですよ、回してください。(ビデオカメラに向かって)こう向けばいいかな(とほおづえをつく) 変? かわいい? NBO それは変です(笑)。日経ビジネスもWebではテキストだけではなく、Podcast、動画配信をしています。正直、まだまだ試行錯誤でやっているんですけど、糸井さんはWeb上での動画配信の手応え、可能性についてどうお考えですか。 映像も疑われたら「おしまい」 糸井 何の問題もないです。とにかく、やっちゃったら、何の問題もない。それが1つ。あと、これ(動画)を(コンテンツの主軸として)頼れるほどお客さんがまだ見てくれないんですよ。 「ほぼ日」で動画を見にお客さんが来るかなぁと思って掲載をしても、「うーん、面倒くさいから見てません」とか、「早く文字にしてください」と言ってきます。だから、今は、コンテンツをかいつまんだ形で動画でやっています。 あと、悔しいのは、いくら動画
主にPCを使ってウェブサイトを閲覧している人と、主にケータイを使っていてPCは全く(またはほとんど)使わない人では、たとえ同じページを見ていても、まったく行動や思考形態が違う。「ケータイ族」という言葉もあるが、ネットでの常識はケータイの人たちに通じず、ケータイの常識をネットばかりの人は理解していない。 入院中、ケータイしか使えない状況で4か月を過ごし、強制的に「ケータイ族」にならざるを得なかったのだが、そこで「ケータイ文化圏」と「ネット文化圏」の違いがわかってきたように思う。 ■ネットユーザーは実は特殊な人種 このブログを見ているような人は、おそらく、PCからアクセスして、ブラウザでウェブサイトを閲覧し、Yahoo!やGoogleを使って検索して自分で調べ物をできる人たちだろうと思う。そして、それくらいのことは当たり前にできることだと思っているかもしれない。 しかし、そういった人たちは、実
競馬サブカルチャー論とは この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで,歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し,数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と,その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。 ―馬は,常に人間の傍らに在る。 その存在は,競馬の中核的な構成要素に留まらず,漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載では,サブカルチャーの諸場面において,決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。 ※本稿には,PCゲーム版の内容に関する強烈なネタバレが含まれています。本文に施されている注釈は,熟読したい人向けです。なお,ゲーム版を"水瀬名雪"→"沢渡真琴"→"川澄舞"→"月宮あゆ"→"美坂栞"*1の順でクリアした後の読者を想定していま
2006年03月27日 ギャルゲー批評を考える 小説は本という形式上、単線的であることを逃れられない。必ず収束することが(未完であっても)約束されている。一方で、データという形式のギャルゲーは単線的な形を取る必要性がない。そこには複数の選択肢と結末が与えられている。もっとも、そこには「世界観(作品を制作する際の前提に置かれる最大設定)」という名の便利な主軸がある(そして残りの設定は世界観へと回収されていく)。プレイヤーはまさに作品に踏み込んだ瞬間にそこに統一された「世界観」を確認しようとする。作品はそれ自体として完結しており閉鎖的である。そこにはひとつの「作品」=「世界」しか存在しない。その「作品」=「世界」をコーティングするものとして一貫して存在すると我々が錯視する「世界観」ももちろん一つである(多くのギャルゲー批評においては通常、「世界観」が統一されていることが良しとされ、様々な矛盾や
評論サイト。筆者then-dの観想的生活。ブンガクからギャルゲーまで。Tactics、Key作品中心。MOON.、ONE、Kanon、AIR、CLANNAD、planetarian、智代アフター等。written by then-d e-mail : then-d(at)jcom.home.ne.jp (上記の"(at)"を"@"に置き換えたものがアドレスです) ようこそいらっしゃいました。こちらはthen-dの日常生活と個人的な論考や思いつきを書き付けたページです。 ご挨拶が遅くなりましたが、「コミックマーケット74」において個人評論サークル「theoria」にお越しいただきましてありがとうございます。今回の新刊『葉桜の季節に君を想う』(D.C./D.CII本)及び既刊「『リトルバスターズ!』ファーストインプレッション」・Tactics/Keyゲーム評論集『永遠の現在』につきまして
注:『The Game Design Reader』は、ゲーム研究の論文集です。ゲームデザインの教科書である『Rules of Play』の著者であるサレンとジマーマンによって集められた32本の論文が14のトピックに分類されています。ゲームを研究する上でおさえておきたい論文が集まっているんですが、残念なことに英語で、邦訳の見通しもたっていません。CEDEC2006では、この本の紹介を3人で分担して行いましたが、以下は私の発表分で、報告用のメモに手を加えて文章にしたものです。 [『The Game Design Reader』について][ゲームを語ろう] CEDEC2006レギュラーセッション IGDAアカデミック(1) ゲーム学研究の世界動向:「The Game Design Reader」の読み解きで見る先行研究 3)物語を経験させる方法 増田 泰子 1 はじめに この発表では
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