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ブックマーク / tokyocat.hatenadiary.jp (20)

  • 佐藤優『国家の罠〜外務省のラスプーチンと呼ばれて』(ASIN:4104752010) - 東京永久観光

    評判どおり実に面白かった。 ●国会プロレス「宗男vs眞紀子」の舞台裏 9.11の報復でブッシュがアルカイダの影を追いアフガニスタンに攻め入ったころ、日では鈴木宗男と田中眞紀子外相の闘争が激しくなっていた。やがて鈴木宗男は、かのムネオハウスに端を発した疑惑で逮捕され、政界から一度抹殺されてしまう。 国会プロレスのまさに悪役だった鈴木宗男。「疑惑の総合デパート」とまで呼ばれたが、強烈な信念の政治家でもある。とくに北方領土返還を目指したロシアとの交渉では余人をもって代え難い役割を果たしてきた。そうした政治活動を通じて深く根を張ることになった外務省で、鈴木の懐刀として図抜けたはたらきを見せていたのが著者の佐藤優だ。ロシア情勢の収集と分析を専門とする同省職員だった。 佐藤は鈴木宗男の訴追に巻き込まれる形で逮捕された。職務として行ったことが背任などに当たるとされたもの。外務省内の足の引っぱり合いも影

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    nobody 2007/09/18
  • 東京猫の散歩と昼寝 - ギャッツビーを読もう(と僕は言った)

    仕事の末期はいつも綱渡りで(期日までにちゃんと出来るか)、他になにかする余裕がなくなってしまう。そのせいで家と往復する電車の中くらいはどうしても違うことを考えたくなり、全然別のを読む。 といっても、心が忙しいと、たとえば小説などは集中して読めない。じゃあ何を読もうか。出がけに棚から急いで探してかばんに入れる。今回は野崎昭弘『不完全性定理―数学的体系のあゆみ』(ちくま学芸文庫)だった。 なんでそんなものをという感じだが、このまったく理に偏ったはずのテーマに、情や個性がどことなく浮かんできて、ふしぎと気持ちが落ち着くのだ。これに続けて出た『数学的センス』(同著者・同文庫)も同様。やはり文章には人格というものが現れるのか。カバーにある野崎さんの顔からは永井荷風の顔がどことなく浮かんできて、これまた吉。 不完全性定理そのものの説明は短い。肝どころが分かっている人じゃないと肝どころは分からないの

    東京猫の散歩と昼寝 - ギャッツビーを読もう(と僕は言った)
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    nobody 2007/09/04
  • 東京猫の散歩と昼寝 ■図で考えれば文章がうまくなるかもしれないのではないだろうかCommentsAdd Star

    『図で考えれば文章がうまくなる』(久恒啓一) asin:4569641385 どこかのブログで初めて知ったこの、開いてみたらいきなりこう言われた。 《ここではっきりと断言しなくてはいけません。「文章は考えるための道具としては弱い」のです》 日々のジョギングにせっせと励んでいたら「が脱げちゃいました」。そんな感じ。 これまで物書きの多くは、むしろ「書くことこそ考えること」というふうに説いていたと思う。私もそのように感じ、信じてきた。ところがそれは大きな錯覚だったかもしれないのだ。 《文章を書くという行為は、考えるためには適しているとはいえません。考えをうまくまとめて、よりよい内容にしようとするときに、考えるためには弱い道具を使うのは時間と労力がかかりすぎるのです》 じゃあどうすれば? 著者は、書こうとする内容をまず図に表わせと言う。 要領は簡単。思いつくキーワードをすべて紙に書き出し、似

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    nobody 2007/08/02
  • 彬子さま - 東京永久観光

    仕事の行き帰り、『ゲーム的リアリズムの誕生』(asin:4061498835)を読んでいる。私たちはどんな時代のどんなリアルを生きているのか。その質的な問いをめぐり、東浩紀は、情報社会とその生活という次元では、「環境管理」という核心の概念を見いだしたが、こんどは文学として括るべきオタク系表現とその鑑賞という次元で、それを凌駕するほどの決定的分析を…… いやそれはまたいずれじっくりということにして、ところでこれっていったい? http://www.asahi.com/national/update/0709/TKY200707090001.html そうか、こういうのが、キャラクター小説というか、まんが・アニメ的というか、リカちゃん人形というかウルトラ兄弟というか(古いね)、なんかそういう物語なのかも。皇室セカイ系! 浩宮さま、紀宮さま、浩紀さま

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  • 舞いミク(私たちはどうつながっているのか) - 東京永久観光

    『私たちはどうつながっているのか―ネットワークの科学を応用する』 増田直紀 著/中公新書(asin:412101894X) たとえば《マイミクのネットワークはスモールワールドであり、スケールフリーであることが知られている》…なんて言われて、「え? 何それ、知らない。でも知りたい」と思う人や、あるいはこんなふうに話を振ってそのマイミクから注目を集めたい人は、このを読むと吉。 今や会員が1000万人を突破したというミクシィ。ではその膨大なミクシィ会員からてきとうに1人を選び、その人を目指して、あなた → あなたのマイミク →マイミクのマイミク → マイミクのマイミクのマイミク → ……と進んでいったなら、平均して何人目でその人のページまでたどり着くだろう。100人目? 1000人目? 10000人目? いやじつは最短ルートを進めばざっと6人目くらいでどんな会員にも行き着いてしまうらしい。世間

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    nobody 2007/06/06
  • 東京猫の散歩と昼寝 - 言葉でコミュニケーションできるとはかぎらない

    そういえば、『ククーシュカ』というロシア映画をDVDでこのまえ見た。asin:B000HXE3I0 第二次大戦中にソ連がフィンランド侵攻した頃の話。そのフィンランド辺境で、ラップ人の若い未亡人が住む田舎屋に、いろいろあって前線から逃れてきたフィンランド兵そしてソ連兵がそれぞれ同時にかくまってもらう形になる。おもしろいのは、3人とも別の言語なので会話がまったく通じないこと。兵隊はもちろん敵同士であり、おまけにソ連兵はある理由からフィンランド兵をナチスドイツの一員だと誤解している。ラップ人女性をめぐる三角関係と嫉妬もわきあがる。彼女の死生観は現代人とちょっとずれたところもあったりする。 『山の焚火』というスイス映画をむかし見たが、たしか聾唖の弟に姉ひとりがつきそう場面がずっと続くので、台詞がほとんどなかった。「静謐」とはこの作品にこそ当てはめるべき言葉というかんじ。 それから、新藤兼人監督の『

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    nobody 2007/03/23
  • 侯孝賢との再会 - 東京永久観光

    侯孝賢(ホウシャオシェン)の映画特集があった。先週末まで渋谷シネマヴェーラで。「全部観るぞ!」くらいの気持ちだったが、 まったく果たせず5のみ。『川の流れに草は青々』『童年往事 時の流れ』『恋恋風塵』『悲情城市』『ミレニアム・マンボ』。 侯孝賢のよさがまた身にしみた。でもやっぱり言葉にならない。感動した理由の核心を突く説明ができない。ただ、改めて気づかされた特異な印象を報告することはできる。 たとえば、今ここで注視すべき人物の手前や奥に、雑然として不明瞭な光景がしばしば広がっている。柱だのスダレだの邪魔になる物もよく映り込む。音声も同じで、周囲のガヤガヤザワザワが始終聞こえている。画面に入っていない人や物のノイズも混じる。鍵になるはずの人物の言動があえて際だたないことが珍しくない、ということになる。そもそもそうした人間関係や物体関係をどうもいつも丁寧には教えてもらっていない気もする。する

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    nobody 2006/10/23
  • 昭和史のスタンダード? - 東京永久観光

    「国連安保理が北朝鮮制裁決議」「北朝鮮は完全拒否」というニュース。ふとそっくりな歴史に思い当たる。1933年、日の満州支配を非難する決議を採択した国際連盟の総会で、かの松岡洋右は堂々と反論文を読み上げ、「さよなら」と叫んで退席したという。日はそのまま国際連盟を脱退。 世界中から顰蹙を買っていながらよくまあそんな態度で。北朝鮮に対する呆れた気分によって、当時の日をめぐる国際的な空気が分かるのかもしれない。一方、現在の控えめな外交とは正反対の日があったことが、なんとも不思議ではある。 ちょうど、半藤一利『昭和史 1926-1945』(ASIN:4582454305) を読んでいたので、余計そんなことを考えた。 この、読み進んでいくうちにどんどんハマっていく。それと歩を合わせ、日という国がまた、あれよあれよと戦争の深みにハマっていく。 日戦争について基歴史くらいは押さえておか

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    nobody 2006/10/23
  • もやもや顔とくっきり顔 - 東京永久観光

    ブログをよく知っている人の顔を初めて(これまたネット上だが)知るという体験をした。 ある人について声をまず電話で認識するということは仕事などで多い。しかし電話しながらその人の顔をさしたる根拠もなく漠然と思い浮かべている。後で実際会うと想像とはずいぶん違っている。私の場合だけだろうか、そういうことはとても多い。それが面白い。 まだ声しか聞いていないのに、いかなる仕組みでその顔が思い浮かぶのだろう。見た記憶のある顔と見た記憶のない顔では、思い浮かべる機構は同じではない気がする。だったらその時当に「顔を思い浮かべていた」と言えるのだろうか。 さらに面白いのは、実際の顔を見てしまうと、会う前に声とともにモヤモヤ漂っていた「顔もどき」は即座に消え去ってしまうことだ。「顔もどき」はもう思い出せず、その正体ももはや追求しようがない。 同じ話。中学生くらいから世界地図を見ていて中国とソ連の間にひたすら茶

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    nobody 2006/09/26
    東京猫の散歩と昼寝 - もやもや顔とくっきり顔
  • 幻覚キノコの代わりに 鈴木清順『陽炎座』 - 東京永久観光

    鈴木清順の『陽炎座』をDVDで久々に見て、腰を抜かす。うわこれほど凄かったっけ。前作『ツィゴイネルワイゼン』がなんだか大人しく渋い映画に思えてきた。 楽しみどころは、全部。ともかくDVDを借りてモニターの前に座るべし。見始めたら最後、もう一瞬たりとも目が離せない。 だからここでは、あまり指摘されていないかもしれない一点だけ。全般に映像のつながりが悪くないだろうか。すなわち、今のカットは前のカットの続きなのになんかスムーズにつながっていないと感じることがけっこうあった。映画の撮影自体は当然カットごとに区切って行われるわけで、それを編集の技ですんなりつなぐのが常道だろう。でもこの映画は、そのつなぎに拘ることを「あえてはしなかった」または「あえてしなかった」かのようにも思われるのだ。 結果として、私は同じものを見ているのにカットの前後で空気が微妙に入れ変わっている、とでもいうようなヘンな感触。た

    幻覚キノコの代わりに 鈴木清順『陽炎座』 - 東京永久観光
  • ひと昔、ふた昔どころじゃない - 東京永久観光

    このあいだNHKでみた映画『二十四の瞳』が、やけに心に残っている。木下恵介監督・高峰秀子主演のほう。 ロケーションをはじめとして見どころは多いが、唱歌がたくさん聞こえてくるのもその一つ。「七つの子」「故郷」「村の鍛冶屋」などなど、新米の女先生と1年生児童のシーン等に合わせて流れる。おもしろいのは、女先生に代わってベテランの男先生(笠智衆)が慣れない音楽の授業を担当したとき、みんなに歌わせたのが「ちんちん千鳥」で、こっちは子供たちにずいぶん不評だったこと。現在の子供にすれば「七つの子」も「ちんちん千鳥」も似たようなものなんじゃないかと思って。それと、「アーニー・ローリー」「埴生の宿」といった英国の曲がやはりどこか垢抜けて響く。「仰げば尊し」や「蛍の光」も好いメロディーだが、どちらもスコットランド民謡。そんななか、これはいい歌だと気づかされたのが、「浜辺の歌」(林古渓作詞、成田為三作曲)。《あ

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    nobody 2005/12/09
  • 東京猫の散歩と昼寝 - 見きわめるべき困難が見えているか

    『波状言論S改』を読んだ。東浩紀が企画し、宮台真司・北田暁大・大澤真幸それぞれをゲストに招き、最近の関心事や発言の真意に、鈴木謙介とともに迫る。そんな3鼎談をまとめたもの。 ゲストの選択について、東は「社会学が大衆化し社会の道具として使われる現在、新しい総合教養人としての役割がもっとも期待される3人」(主旨)といった紹介をしている。実際このメンツなら多彩なテーマが総覧できそう、くらいの期待で読み始めた。 ところが意外にも、全体を通して1つの焦点が、私の印象としては浮かんできた。それは「ネオリベラリズムもしくはリバタリアニズムの台頭」ということになる。我々の社会および思考が今まさに収束しつつあるパターンを捉えようとすると、やはりネオリベラリズムという傾向は、いくつもの観点からして見逃せない背景あるいは対峙すべき課題なのだろう。改めて認識した。 とりわけ東は、ネオリベラリズムとして括るべき変動

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    nobody 2005/11/26
  • 東京猫の疲労と爆睡 - バカ社長みたいな「私」

    前野隆司著『脳はなぜ「心」を作ったのかー「私」の謎を解く受動意識仮説』 たとえば「直角三角形があります。直角を挟む2辺の長さは3cmと4cmです。では斜辺の長さは?」という問いを出されれば、いろいろ考えたり思い出したり計算したりして「5cm」と答える。そのとき我々は、「私」が自主的に意図して考えたというふうに感じている。ところが実はそうではない。当は、ニューロンという小人の群れが勝手にああでもないこうでもないと情報をやりとりした結果としてその答えに到った、とみるべきだ。「私」は常にその小人たちの動きを端から眺めているだけ。小人たちの統率や指揮すらしていない。それでも、小人たちの仕事を「私の仕事」と錯覚することによって、「私」という自己意識は生じてくる。 同書が示す「受動意識仮説」とは、だいたいこんなかんじ(いくらか私なりの表現に換えた)。この見方は、意識がどういう構造になっているかを大き

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    nobody 2005/09/23
    おやすみなさい.
  • 世論調査 - 東京永久観光

    質問(1) あなたはどちらがいいですか ・戦って生きる ・戦わず生きる 質問(2) あなたはどちらがいいですか ・戦って死ぬ ・戦わず死ぬ 質問(3) あなたはどちらがいいですか ・戦って生きる ・戦わず死ぬ 質問(4) あなたはどちらがいいですか ・戦わず生きる ・戦って死ぬ 質問(5) あなたはどちらがいいですか ・昭和20年8月15日 ・昭和80年8月15日 質問(6) あなたはどちらがいいですか ・昭和20年8月15日 ・1945年8月15日 質問(7) あなたはどちらがいいですか ・昭和80年8月15日 ・2005年8月15日 質問(8) あなたはどちらがいいですか ・すいか ・プール 質問(9) あなたはどちらがいいですか ・選択肢は他にある ・選択肢は他にない

    世論調査 - 東京永久観光
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    nobody 2005/08/15
    九段の問い。(単位は段か条か問か……適切なものがわかっていません)。
  • じゃ、そろそろ、まとめに入ろう - 東京永久観光

    人間はどれほど普遍的な存在なのだろう。つまり、我々の身体や認知のありようは、この地球およびこの宇宙で生じうる生命や知性として、どれくらい必然的なのか、汎用的なのか。そんなことがずっと前から気になっている。できればゆっくり思いをめぐらせてみたい。 たとえば、視覚があったり脚で歩いたりというのは、動物ではかなり一般的だが、植物だと全然そうなっていないな〜、とか。あるいは、現象や事物をことごとくうつしとる言語みたいな働きは、やっぱり人間にしかないのかね〜、とか。そういったこと。 また当然ながら、もし地球以外に生物や文明が存在したばあい、こうした視覚や歩行や言語なんかは、まずたいてい伴わってしまうのか、といったこと。呼吸しない生命とか交信しない知性というものは想定できないのか、といったこと。 そのうえでさらに考えてみたい――。宇宙広しといえど光の速さや重力は変わらない。それでも、この宇宙を超えた別

    じゃ、そろそろ、まとめに入ろう - 東京永久観光
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    nobody 2005/07/24
    いいんだもん。。
  • 議論に鉄砲はいらないが白旗もいらない - 東京永久観光

    靖国神社は、戦争にまつわる犠牲を「悼む」場でもありえるのだろう。しかしそれ以上に、靖国神社は戦争にまつわる犠牲を「讚える」場にみえる。これがなにしろ最も気になる。次に、「御国のために殺されたこと」だけでなく「御国のために殺したこと」もドサクサまぎれに讚えていないか。似たようなものとも言えるが、これも相当気になる。そんなこんなで、小泉首相の靖国参拝が私はべつに嬉しくない。 まったく同じ理由から、戦勝国が「御国のために殺されたこと」を「讚える」ことも「御国のために殺したこと」を「讚える」ことも、べつに嬉しくない。 とはいうものの、国家とは自国の戦死者を讚えずにはいられないものなのだろう。戦死者を讚えなければ、自らが行った戦争を否定することになってしまう。国民としても戦死者を讚えることは常識だと考える人は少なくないようだ。ただ、日のあの戦争だけは100パーセント否定されたので、その戦死者も堂々

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    nobody 2005/06/03
  • 経済大盛りつゆだく - 東京永久観光

    稲葉振一郎『経済学という教養』。これは凄い! やっぱり独創的というべき一冊だろう。感想を頑張って書いた(別ページへ)。 ASIN:4492394230

    経済大盛りつゆだく - 東京永久観光
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    nobody 2005/05/22
    稲葉振一郎先生の『経済学という教養』について。http://b.hatena.ne.jp/entry/246822経由。
  • 俺のドラマを見ろ! - 東京永久観光

    TBSのドラマ『タイガー&ドラゴン』、評判を聞いておととい初めて見た。 http://www.tbs.co.jp/TandD/ ひとつの単純なストーリーを語る・伝える、ただそれだけのために、まるで遊園地のからくり屋敷かコースターのごとく、転換や起伏をよくぞここまで富ませたものだ、という感じ。そうか、これがまさに「俺の話を聞け」魂だ。 筋の話と、回想の話と、落語の話と、いろいろ絡み合ってくるところが、なんといっても絶妙だろう。わざとらしくも目立ったのは、同一人物(役者)が、似ているけど別のしかし関連する他のシチュエーションを演じる、しかもそれが再帰的にもなるといった手法。こういうものに私は小劇場系の演劇を通して馴染んでいった部分が大きいと思うが、考えてみれば、芝居においては役者の体も衣装も舞台もリニアに連続しているのであって、それに比べて、編集してつなげることが前提で万能でもあるテレビドラ

    俺のドラマを見ろ! - 東京永久観光
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    nobody 2005/05/09
    を!! fav.経由。tokyocatさんタイドラを語る。あとで読みますので、とりあえず、コメント略で。すいません。
  • ブログ世界の広さと狭さ - 東京永久観光

    どのポータルサイトもブログサービスを提供するようになって、ブログの総数というのは間違いなく増えているのだろう。そうなると、1人の人間はいったい何人の人間が毎日書くことを毎日フォローできるのか、などと余計な心配をしたくなる。個人が日々のインターネットに期待する役割の総量に対して、その役割を担えるブログの総量はすでに飽和しているのではないか、と。 はてなアンテナ(ブックマークしたサイトの更新と内容がチェックできるサービス)は、200までサイトを登録できる(無料ユーザーの場合)。アンテナに追加しようかどうしようかという局面では、すでにブラウズしているサイトの総数もさることながら、内容の分散度も大いに関係してくる。新しく出会ったブログが、これまでにない傾向や個性を醸していれば、これからもぜひブラウズしようと思う。しかし、アンテナに200近くあるサイトですでに馴染みになっているAさんのブログやBさん

    ブログ世界の広さと狭さ - 東京永久観光
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    nobody 2005/04/17
    引用「ブログの総数」「毎日フォロー」
  • 死に組、生き組 - 東京永久観光

    イタリアの民間人が米軍に撃たれて死ぬなんて「あってはならぬ」(少なくとも建前としては)。しかし、イラクの民間人が米軍に撃たれて死ぬこともまた「あってはならぬ」(少なくとも建前としては)。でも今回のニュースを見ていると、同じ「あってはならぬ」の希望にもあまりの格差が感じられる。「同盟先進国の高官や記者をイラクの一般人と同じく無造作に撃ち殺す(撃ち殺そうとする)とは何ごとだ!」といった、おかしな憤りが混じっているように思えてならないのだ。また誤射か故意かという話もあって、ぜひとも白黒はっきりさせてほしいが、これだって、じゃあイラク人への爆撃や乱射はどうかといえば、同様に疑わしい場合があるのだろう。だったら同じく《誰かが責任を取らなくてはいけない》。ところが我々は、米軍に撃たれたイラク人となると名前も職業も顔も分からないし数も多すぎるしいちいち検証していられません、とでもいうような、すこしも理由

    死に組、生き組 - 東京永久観光
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    nobody 2005/03/08
    イラク 誤射 受容 差異 誰経由? うわっ、他人さん経由だった。なんか、びっくり。←意外だったらしい
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