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ブックマーク / www.artonx.org (77)

  • L'eclat des jours(2009-07-19)

    _ 今日のRubyKaigi ささださんが、今にも泣き出しそうに感じたのは、おれだけか? (昨日の懇親会で、何気なくるびまの話を訊いたら(というか、今日のお題をすっかり失念していたのだが)、明日、終了のお話をするんだとかいってはぐらかされたが、終了ってそういう意味だったのか)。 _ 超人たちのWikiあるいはペディア(education) 江渡さんのパターン、Wiki、XPを読み終わって、振り返るに、おれは第3部のWikiが2つの意味でどえらくおもしろかった。 1つは、それが実装に関するトピックだということで、Wikiというソフトウェアについての考察だからだ。 で、問題はもう1つのほうにある。 パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則 (WEB+DB PRESS plusシリーズ)(江渡 浩一郎) 以前、山形浩生のアマゾン書評を読んでいて、やたらと印象に残ったのが、アイン?ランドの

  • L'eclat des jours(2009-07-13)

    _ 7ページでわかるパターン、Wiki、XP 先日のジュンク堂トークセッションで、角谷&懸田コンビの掛け合いで、実は、7ページでこのの内容がわかる秘密兵器として紹介されていたのが、クリーンコードのコプリエンの前書きだ。 いや、それデタラメじゃねぇか、とあらためて読んで思ったが、でも、確かにおもしろい点は突いている。 Clean Code アジャイルソフトウェア達人の技(Robert C. Martin) 一体、コプリエンは前書きに何を書いているのだろうか? 印象深いのは、5Sだ。整理、整頓、清掃、清潔、しつけ。もちろん、クリーンコードというの前書きなので、一言でまとめれば、「このを読んで、きれいなコードを書きなさい」に尽きる。 これは、K&Kがetoさんからのアジャイルを始めるには何すれば良い? という質問に対して、ちょっと考えただけで、「あいさつすること」と答えたことに通じるものが

  • パターン、Wiki、XP――時を超えた創造生成の原則 - L'eclat des jours(2009-07-10)

    _ パターン、Wiki、XP――時を超えた創造生成の原則 江渡さん(と角谷さんと懸田さん)のトークセッションを聴きにジュンク堂。 以下、メモの生データ どういうつもりで書いたのか 『パターン・Wiki・XP』ができるまで 2007年、オブジェクト倶楽部のイベントで講演したのがきっかけ。 2008年にプロジェクト開始 情報収集:中埜さんなどにインタビュー(都市計画の専門家としての山形浩生、ソフトウェアとしての平鍋) 2009年1月頃にレビューを開始 (角谷さん、懸田さん、shinoさんなど) →これによって、よりよくなった 例)3部構成が、2部と3部の入れ替え、章の追加 なぜ書いたのか? 内容は短時間で説明できない。したがって、なぜを説明する。 Wikiというシステムに興味を持ったのが2002年頃。 quikWebを作った (開発中の議論が良い経験になった) 機能追加によって悪くなることがあ

  • 5年後に後悔しないJavaプログラムの書き方 - L'eclat des jours(2009-07-02)

    _ 5年後に後悔しないJavaプログラムの書き方 ここ数日、死ぬほど後悔しまくっているので、あらためて(というのは、数年前にも一度後悔しまくって、そのときの知見はあらかた処方箋とかコーディングの掟に書いているからだが)後悔しないための書き方をいくつか紹介する。 とにかく、ファクトリメソッドパターンを使うこと。 これは当に重要。しかも簡単でありながら効果は絶大。 だめな例。 public class FooBar { private Connection conn; ... protected void setup() { ... conn = DriverManager.getConnection(url); ... } urlを指定することや、DriverManagerの実装を交換すれば良いだろうと想定していても(というか、Connectionならそういう方法もあり得るが、そうはいかな

  • L'eclat des jours(2009-06-12)

    _ 誰が成熟すべき? さて、いよいよ佳境に突入した。 プログラマーのジレンマ 夢と現実の狭間(スコット・ローゼンバーグ) まあ、眼光紙背に徹す読み方をすれば、パールにバールを打ちおろそうが、Javaスクリプトがトプリクスだろうが、内容にはまったく関係ないわけで、字面を追ってもしょうがあるまい。 つまり、CMMとアジャイルの対比のくだりにさしかかった。 久々に今日は昼間もコードを打ちまくっていたのだが、以前から薄々気づいていたことが確かな感触としてわかったように思う。 まず、前提として箸棒は棚上げしておかないとややこしい。 人の10倍の生産性うんぬんというのは、その個人の中で成熟度のレベルが極めて高いということだ。したがって、その成熟した方法論を外した方法論を押しつけると、生産性は下がる。 それだけのことだ。 したがって、CMMという考え方そのものは正しい。成熟したチームあるいは個人であって

  • 日本庭園のようである - L'eclat des jours(2009-06-07)

    _ 僕はチルチル、ねらってやってんだ 「Web日文化圏、私なりの考察」を読んで、ちょっと考えた。 以前、twitterの良さは140文字という短さにあるのだと考えて、今でもそれは変わっていないのだが、さて、問題がある。 140文字という字数制限があれば、当然、ちゃかちゃか打ってはサブミットという動きになる。 おれの予想だが、1400文字制限のサブミットに対して140文字制限のサブミットは、1:20から1:30くらいに膨れ上がるんじゃないか。1400文字のBlogは3日に一回という人も、twitterなら3日に20から30をポストするんじゃないかということだ。 もし、その予想が正しければ、twitterの負荷は、ミニブログとか言ってはいるものの、ネットワーク上のトラフィックはもちろん、IOに関する転送量も、並みのBlogシステムより大きいものとなる。もちろん、人数が同じだとしてだ。 だか

  • L'eclat des jours(2009-06-04)

    _ 選択枝を示さないという方法 子供に水たまりなら、選択肢(横を歩け)1つ与えるほうが良いかも知れないが、かならずしも、肯定的な唯一の方法を示すのが良いとは思えない。 もし、水たまりに入るな、というのが指示であれば、飛び越える、違う道を行く、船を造る、抱っこしてくれとねだる、選択肢はいっぱいある。後は想像力と実装力のバランスの問題だ。 でも、Aしろ、というのが指示であれば、Aするか(正解)、Aしないか(不正解)になってしまう。(あえてやろう、Bである、ということを選択するのが難しくなるので、それをやって、しかも成功するとプロジェクトXとなる) 評価者にとっても被評価者にとっても、後者のほうが楽だが、それが良いことかは別問題だ。 ケースバイケースなのかも知れないが、おれは、「水たまりの向こうへ行きなさい。ただし、水たまりの中に入ると失格です」のほうがいいなぁと思った。ゴールとルールが示される

    nobyuki
    nobyuki 2009/06/04
    ”"ケースバイケースなのかも知れないが、おれは、「水たまりの向こうへ行きなさい。ただし、水たまりの中に入ると失格です」のほうがいいなぁと思った。ゴールとルールが示されるという方法だ。"
  • しかし君らは本当にバカだなぁ - L'eclat des jours(2009-05-29)

    _ しかし君らは当にバカだなぁ おれも含まれているのが残念なところだ。でも、それはここでは触れない。 さて、おれは、クールな人々のプログラマティックな闘争の物語が好きだ。それが事実に立脚していればなおさらだ。 したがって、プログラマーのジレンマを読むのは当たり前のことだ。 このジャンルの今までの最高傑作は、『ソフトウェアの限界』である。ロバート・ブリッチャーというエンジニアの著作で、まとまりには欠けるが情熱の込められたである。ブリッチャーは大規模ソフトウェアの失敗を内部で経験した。(中略)AASは、航空交通管制システムを近代化する計画だった。1981年に始まり、数十億ドルを費やしたあげくにほとんど何の成果をあげることなもなく1994年に「打ち切られた」。 (中略) AAS計画は、ピーク時には1日100万ドルの政府の資金を使い、IBMの従業員2000人をプロジェクトに投入し、プログラムの

  • L'eclat des jours(2009-04-24)

    _ 実用的な脳みそ 昨日は、リファクタリング・ウェットウェアのちょっと気持ち悪い点にフォーカスしてみたが、実はそれほどぶっとんだことをアンディハントは書いていない。 せいぜい、プラグマティックな効用もあるようだから現代のシャーマニズムも取り入れてみました、程度だ。多分。書いている人も気にはしていて、 さあ、ここは我慢して私の話を聞いてください。というのも、「妖精が使う魔法」のようにうさんくさい話と思われそうだからです。 なんていう言葉がちょくちょく出てくるからだ。 それどころか、 数年前、右脳に基づくありとあらゆる長所を約束した自己啓発が続々と出版されました。右脳の料理まであったと思います。 もちろん、そんなのは意味がありません。「アホだ!」と言ってもいいくらいです。 と、自分の脚に銃を撃つ始末だ。というのも、うさんくさいことを言い出す奴は、他人のうさんくささに不寛容だし(だめだ、フ

  • なんとも奇妙な現実主義者 - L'eclat des jours(2009-04-23)

    _ なんとも奇妙な現実主義者 オライリーからリファクタリング?ウェットウェアの献きて、えらくおもしろくて、あっというまにほぼ読了した。どうもありがとうございます。 しかし、はたと考える。おもしろいは、どえらくおもしろいのだが、このは、なんかいやなスメルジャコフ。ウェットウェア=生ものだし。 リファクタリング・ウェットウェア ―達人プログラマーの思考法と学習法(Andy Hunt) アンディハント(いわずとしれた、Tell Don't AskとかDRYの達人プログラマの片割れ)は、この比較的薄いで、何を書いているのだろうか。 それは、身も蓋もない言い方をすれば、「右脳を使え!」ということだ。それだけだ(追記:いやまてSMART)。 いちおう、いろいろ調べて書いているようで、そこまで身も蓋もないことは言わないけど。右左の分類はどうやら正しくはなさそうだ。したがって、LとR(LeftとRi

  • L'eclat des jours(2009-01-23)

    _ ハードウェアゴルファー ウォズのおもしろいのは、とにかく部品数を減らすことが楽しくてしょうがないらしいことだ。 シュガートのFDDをハックして2週間でアップルIIとインターフェイスできるようにするところ。 まずドライブ自体とそのコントローラーボードをチェックし、どのように動作するものなのかを理解した。 マニュアルを読んだ。そして回路図を検討し、(略)そして、22個ほどあったチップのうち、20個ほどは不要だと判断した。 まったくわからないが、そんなことあるんだろうか? (別のチップに置き換えるとかかなぁ) DRAMのリフレッシュのところもえらくおもしろいテレビを上から下へと、1ラインずつスキャンしていく。アメリカテレビの場合、ライン1をスキャンするのに、だいたい65マイクロ秒の時間がかかる(略)このうち、40マイクロ秒くらいは見えるんだけど、残りの25マイクロ秒くらいは見えな

  • L'eclat des jours(2008-12-16)

    _ 残ってるのは終わりではない証拠? たとえば、COBOLの時代は終わった。という断言をするとどこからともなくとおりすがりが湧いてきて、まだまだメインフレームは現役でっせ(実はPL/Iで記述されててもお構いなしに)とか書いていったり、あるいは.NETでもCOBOLが使えまっせとか(そりゃあることは知っているが、それはメインストリームか? それでどれだけの新規案件が取れるのか?)言って、全然終わっていないと一生懸命主張するとする。 第三者がそれを見て感じることは、なんだろうか? 見苦しいなぁ、というか、まさか終わってたとは思わなかったけど、当に終わってたんだな、という感慨だ。 というわけで、終わったことがわかったので、クラウドについても調べることにする。 #でも、対比がまずいのではなかろうかとか。 むしろ、そういう終わりうんぬんで言うと、萩原さんの、ACIDは終わったのほうが、しっくりとく

  • L'eclat des jours(2008-12-09)

    _ 手を動かすのは野蛮の証 考えなくてもありもの使ってだらだらすればそれでいいじゃんを読んでいて、むしろ逆ではないかとか思いもする寒い夜。 2種類に分けて考えてみる。 ・とにかくひたすら何かしてアウトップトを出す ・アウトプットを出すための何かをへろへろ作ってからアウトプットを出す と、下のほうが段階も多いし、字数も多い。 同じ7でも、朝4、夜3のほうが良いってのと同じで、きっと最初のほうがスマートに見えるんじゃないかなぁとか。 あるいは手数というものの数え方にあるのかも知れない。 今、1000回キーボードを叩いて同じものを5個作る作業があるとする。 前者を選択すると1000×5で5000ステップだが、最初のアウトプットは1000で手に入る。 後者を選択すると仮に3000×1+10×5だとすると全部で3050ステップだが、最初のアウトプットは3050まで待つ必要がある。 (というか、305

  • L'eclat des jours(2008-10-09)

    _ 文化大革命 が撮り溜めしてあったビデオを飯いながら見てたら、えらく感動してしまった。 あまりにも出来過ぎているから、もしかしたら新説あるいは珍説かも知れないが、それにしても説得力があったからだ。 その時歴史が動いた「ひらがな革命」 正直最初は大して興味も持たずに見ていたのだが、大好きな曹丕の「文章は経世の大業にして……」が出てきたので、思わずまじめに見始めたところ、菅原道真が遊びもしなければ家庭も省みない勉強一代男として学の分野で君臨せんとするまさにそのとき、わずか16歳にして大貴族藤原の息子、藤原時平が出現する。この男、権門の子弟ということで日版科挙も受けずに参内するという裏口っぷりを発揮する(が、政治は不可解なものだから、このシステムも実はここぞというときには機能することもあるのだな、と後でおれは気付く仕組みだ)。 発揮するのは良いのだが、当時、女がすなる和歌で恋歌ばかり詠む

    nobyuki
    nobyuki 2008/10/09
    時平イカすwwww俺自身はキャラ的に道真に近いなぁ。
  • L'eclat des jours(2008-07-24)

    _ Common Lispの 実践Common Lisp(Peter Seibel) 1回しか行けなかったけど、RHG読書会でレビューしていた実践Common Lispが予約可能になった。確かに「実践」とつくらしい楽しいおいおいがあったような気がするんだけど良くわかんないや。 _ 魔術 Yuguiさんの初めてのRuby at Junkの2次会に参加(と今頃、書いている)。 初めてのRuby(Yugui) コンパクトにまとまっている良いだと思うし(1.9の情報があるのは良い)、ところどころYugui節といったほうが良い言い回しがあってそれが楽しかったりもする。 たとえば この慣習はRubyにも引き継がれていますが、よく考えるとRubyでは[]=も三項ですね。 2次会では、オライリーの方から、奥付秘話を聴かされた。どうも、このの誕生にはおれの存在が深く関わっているらしい。でも、おれは

  • L'eclat des jours(2008-07-16)

    _ 今日の、一つかしこくなった インドで留学生してあっちで数年就職してた人とちょっと話して、長年の疑問というか不思議について別の見方が聞けて納得感があったのでメモ。 おれ:子供(たぶん、小学高学年か中学)のころに、インドってカーストとかのせいでえらく非効率だって聞いた。んだけど、なんかそれは偏見じゃないかって疑ってるんだけど。その例に出てきた話ってのは。ホテルに泊まったら電灯が切れている。フロントに電話したら、しばらく待っててくれと言われた。しばらくするとノックの音がした(エヌ氏じゃないけど)。開けるとインド人が4〜5人入ってきた。梯子を用意する係が梯子を電灯の下に置いた。電灯を外す係が切れている電灯をはずした。電灯を付ける係が…… インド帰り:ああ、それはわかりやすくて良い例ですね。もっとも、8人から10人くらい来ると思いますけど。 おれ:えー、これは良い例……というか、もっと多いのか!

  • L'eclat des jours

    _ プッチーニのつばめ 東劇のメトライブビューイングでつばめ。プッチーニは初期2作品とこの作品だけは観たことなかったから実に楽しみ。 パリが舞台だということは知っていたが、想像していた内容とはかけ離れていたので驚きがあった。 第1幕は主人公(マグダ)のサロンが舞台。詩人のプルミエというカイゼル髭の伊達男が娼婦仲間と軽口を叩いている。パトロン連は集まって紳士たちの世界の話をしている。 プルミエが作詩中の詩をピアノの弾き語りで歌うが途中までしかできていない。マグダに続きを作れと無茶ぶりすると、お針子時代に学生と恋に落ちるといった内容の見事な詩を歌いあげる。 そこに紳士仲間の息子(ルッジェーロ)が訪問してくる。パリの最初の夜を楽しめ、いや楽しめる場所はないパリは死んだというような話をしているところに、小間使い(リゼッテ)が参戦してきて、いかにパリが素晴らしいかを力説する。最後、小間使いは奥様(=