吉備路の歴史 これまで二回にわたってお届けしてきた吉備路の歴史を辿る旅。 古代吉備国とは? 古代吉備国は現在の岡山県全域と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県西部にある佐用郡の一部と赤穂市の一部などにまたがる広大な領地に少なくとも75以上の部族がまとまり、統治、構成されていたと考えられています。 南は瀬戸内海に面し、北は標高1,000mを超える後山、三国山、津黒山、蒜山、道後山など東西に連なる中国山脈。 吉備水軍 その間を吉井川、旭川、高梁川の三大河川が瀬戸内海へと流れ、渡来人から学んだ水運、海運、造船技術を磨き、先進的な技術を身に付けた吉備の豪族は四世紀には吉備水軍と呼ばれ、海上支配の地方豪族としてこの地の繁栄に寄与していました。 古代吉備国の経済力 渡来人や朝鮮半島、大陸との交流によってもたらされた優れた製鉄技術、瀬戸内海沿岸の製塩技術を持ち、温暖な気候と豊穣な土地を利活用した農業も盛