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ブックマーク / noir555.hatenablog.jp (116)

  • 岡山城、岡山後楽園、名君の条件 - 夫婦写真散歩のススメ

    吉備路の歴史 これまで二回にわたってお届けしてきた吉備路の歴史を辿る旅。 古代吉備国とは? 古代吉備国は現在の岡山県全域と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県西部にある佐用郡の一部と赤穂市の一部などにまたがる広大な領地に少なくとも75以上の部族がまとまり、統治、構成されていたと考えられています。 南は瀬戸内海に面し、北は標高1,000mを超える後山、三国山、津黒山、蒜山、道後山など東西に連なる中国山脈。 吉備水軍 その間を吉井川、旭川、高梁川の三大河川が瀬戸内海へと流れ、渡来人から学んだ水運、海運、造船技術を磨き、先進的な技術を身に付けた吉備の豪族は四世紀には吉備水軍と呼ばれ、海上支配の地方豪族としてこの地の繁栄に寄与していました。 古代吉備国の経済力 渡来人や朝鮮半島、大陸との交流によってもたらされた優れた製鉄技術、瀬戸内海沿岸の製塩技術を持ち、温暖な気候と豊穣な土地を利活用した農業も盛

    岡山城、岡山後楽園、名君の条件 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/04/22
    江戸時代、名君として称えられた岡山藩主池田光政、綱政親子の評伝から優れた政治指導者、名君の条件を考えてみました。日本三名園のひとつ岡山後楽園の写真もお楽しみください。
  • 吉備津神社 - 夫婦写真散歩のススメ

    比翼入母屋造=吉備津造 全国で唯一の独創的な「比翼入母屋造」、それゆえ「吉備津造」と呼ばれるようになった美しい殿および拝殿が国宝に指定されている吉備津神社。 日書紀にもその名前がある由緒も格式もあるこの立派な社は岡山市西部、歌枕にもある「吉備の中山」、その西麓に鎮座しています。 記紀が語る吉備津神社の歴史 主神に祀られているのは大吉備津彦命。日書紀によると第十代崇神天皇の時代、ヤマト王権に従わない各地の豪族に対し、教えを受けない者があれば兵を挙げて討伐するようにと、北陸、東海、西道、丹波に派遣された四道将軍の一人として将軍の印綬を授けられます。 大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の第三皇子、もとの名前を五十狭芹彦命(イサセリヒコミコト)といい、西道のちの山陽道にやってきた武勇の誉の高い皇族だったといわれています。その子孫が後の世で代々吉備の国造となり、古代豪族・吉備臣になったとされています

    吉備津神社 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/04/11
    日本神社建築のなかでも唯一無二の独創と1700年以上の歴史がここにあります。古代国家成立の謎解き旅になりました。吉備津造と呼ばれる建築物が国宝に指定されている吉備津神社を歩いてみましょう。
  • 備中国分寺 - 夫婦写真散歩のススメ

    三寒四温、風の温もりと冷たさも行きつ戻りつ、花暦も確実に進み、墨東にも春がやってきました。 決算期、年度末、番組改編期、新年度の準備と慌ただしく過ぎた3月も早、晦日(つごもり)。 吉備路の魅力 今回は吉備路を歩いて、味わった2013年の春の記録をお届けします。 晴れの国岡山はフルーツ(果物)王国 後の世で晴れの国と名付けられ、白桃、マスカット・オブ・アレキサンドリア、岡山ニューピオーネ、シャインマスカット、晴王、瀬戸ジャイアンツ、別名「コタツぶどう」とも呼ばれるグローコールマン&紫苑、あたご梨、いちごなどの果物がその温暖な土地で育てられ実ることになる吉備路です。 吉備路に咲く蝋梅と桃の花 時間を1,700年以上遡ってみると、古代吉備王国は畿内や出雲国と並ぶ大きな勢力を持っていたといわれています。穏やかな瀬戸内海、実り豊かな自然と温暖な気候に恵まれ、交通の要衝として古くから繁栄した地域です。

    備中国分寺 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/04/11
    大和(奈良)、筑紫(北九州)、出雲に並ぶ巨大文化圏があった吉備路=現在の岡山県の神社仏閣、史跡を巡る旅は古代史の謎、ミステリーを味わう旅になりました。
  • 銀山温泉雪景色とおくのほそ道 - 夫婦写真散歩のススメ

    もしあなたが歴史上の人物に会えるとしたら、誰に会いたいと思いますか? たった一度でいい。時をさかのぼり、歴史上の人物に会うことができ、質問が出来る。 そんな魔法が使えるとしたら…。 もちろん叶わぬ願い、ifですが、そんな夢想にワクワクしながら、さまざまな人物にさまざまな問いが浮かんできます。 もし、あなたが歴史上の人物に会えて、質問ができるとしたら、誰に何を聞いてみたいと思いますか? 松尾芭蕉「おくのほそ道」 元禄二年(1689)弥生も末の七日(陽暦五月十六日)、46歳という当時の平均寿命を超えた壮年に差し掛かっていながら、門弟曽良を伴って江戸を出発。 奥羽、北陸の歌枕や名所旧跡を訪ね、九月現在の岐阜県大垣までの全長600里(=約2,400km)を一日平均50kmペースで歩き、真の俳諧の「道」を実践し続け、「風雅の誠」を追い求め綴った俳聖松尾芭蕉、魂の記録、おくのほそ道。 風雅の精髄 日

    銀山温泉雪景色とおくのほそ道 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/03/09
    雪景色、雪見風呂、山形県尾花沢市銀山温泉の魅力と松尾芭蕉「奥の細道」。
  • 金沢兼六園、雪景色・ライトアップ - 夫婦写真散歩のススメ

    加賀百万石を築いた前田家 江戸時代、徳川政権下で最大の外様大名として、米位制のなか金沢を百万石を超える豊かな藩に育てた名門前田家。 豊臣秀吉政権下で五大老の一人として最も重要な役割を果たした前田利家を祖とし、現在の石川県金沢市に江戸、京都、大阪に次ぐ日第四の都市を築きあげました。 高い教養と仁徳を備えた加賀前田家五代当主にして加賀藩四代藩主、前田綱紀公の仁政によって、日屈指の城下町を作り、文化の香り高い産業も育ちます。 伝統と独創の加賀文化 加賀友禅、漆器、金箔工芸品、加賀蒔絵、大樋焼、九谷焼、そして茶道と共に生き続けてきた和菓子の伝統と独創など、歴史に学び、革新を続けながら、現代まで脈々と伝えられる金沢。 名君・前田綱紀 われに千里の思いあり 下 (文春文庫) 作者:中村 彰彦出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/05/10メディア: 文庫 石川県の「日一」 金沢市のあ

    金沢兼六園、雪景色・ライトアップ - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/03/07
    石川県金沢市、兼六園。美しき名勝の雪景色です。
  • 節分祭、葛飾区堀切散歩 - 夫婦写真散歩のススメ

    四季折々、季節の移ろいを言葉で表現し、暦のなかで確認してきた古の日人。 中国暦や西洋暦などを参考にして、日人が国土風土に合わせアレンジして、使ってきた暦。 二至二分、四立、五節句、二十四節気、七十二候、雑節、これらの言葉は農事暦としての役割を果たし、人が自然に寄り添い、自然といかに結び付いてきたか、日人がこまやかに花鳥風月をはじめとする自然現象を感じ取りながら生き抜く知恵と美意識を育んできたかがよく分かります。 二至二分(にしにぶん)=夏至、冬至、春分、秋分 四立(しりゅう)=立春、立夏、立秋、立冬 五節句=人日(じんじつ)、上巳(じょうし/じょうみ)=桃の節句、端午(たんご)、七夕(しちせき/たなばた)、重陽(ちょうよう)=菊の節句 日歴史のなかでは宮廷において節会と呼ばれる宴が催され、一年の間には様々な節句がありました。そのうちの五つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定

    節分祭、葛飾区堀切散歩 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/02/11
    おせち料理、節分の語源とは?二十四節気、七十二侯など農事歴と季節感、日本人の美意識、暮らしのなかに溶け込んでいた言葉の歴史を振り返ります。
  • 千寿七福神(千住七福神) - 夫婦写真散歩のススメ

    千住宿千寿七福神めぐり 千住宿の歴史 江戸時代、徳川幕府の政策として名高い五街道の整備。日光街道、奥州街道の初宿として栄えた千住。 歴史をさかのぼると鎌倉時代から宿場町として開拓され、水戸佐倉海道とも呼ばれたルートにも入ります。 さらには隅田川、荒川にも囲まれたこの土地は水陸交通の要衝として、江戸時代に始まった青物市場(=やっちゃば)など農作物の物流拠点としても繁栄した千住。 今回はその千住の街に設定された七福神を巡る散歩コース、現在のJR、東武北千住駅を中心に七カ所の神社を歩きます。 葛飾北斎、歌川広重の風景画にも描かれ、松尾芭蕉はこの地で、名句「行春や鳥啼魚の目は泪」を詠み、森鴎外旧居跡が残っています。 それでは千住の街を歩き、不況退散!七難除いて、「千の寿」招福散歩をご一緒に。 千寿七福神めぐり地図(MAP) 葛飾北斎作富嶽三十六景「武州千住」 江戸最大の宿場町、千住は江戸へ野菜を供

    千寿七福神(千住七福神) - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/02/01
    江戸最大の宿場町、千住の街を歴史をたどりながらじっくり歩いてみましょう。七福神めぐりと共に大学誘致で多くの大学生で活気あふれる千住のいまを感じてみてください。
  • 深川七福神 - 夫婦写真散歩のススメ

    七福神とは何か?その起源と歴史 仏教、道教、神道において尊崇された天部や神、インド、中国、日と国際色豊かな福の神オールスター七柱を集め、神仏習合という日的な信仰スタイルから生まれた七福神。 七福神というユニット誕生の起源は京都。時代は室町時代末期までさかのぼります。当初は五柱で考案されますが、メンバーの増減、入れ替えなどを経て、安土桃山時代には福禄寿と寿老人が加わり、「七福神」として成立していたことが記録されています。 とはいえ戦乱の世が長く続き、覇権争いの中心地となっていた京都でいきなり現在のように庶民が七福神めぐりをしていたわけでありません。 天海僧正と七福神信仰 江戸幕府のブレーン天海僧正が徳川家康に勧めた七福神信仰がきっかけとなり、格的に世に広がりはじめた七福神。 江戸時代に入り、世情が安定しはじめ、京都、上方(大阪)を中心に展開された後世元禄文化と呼ぶようになった時代になり

    深川七福神 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/28
    伊能忠敬、伊東深水、長谷川平蔵、池波正太郎ゆかりの江戸深川町歩きの楽しみは門前仲町、森下、下町グルメと神社仏閣巡りによって祈りの歴史を味わう散歩になりました。
  • 下谷七福神、小野照崎神社 - 夫婦写真散歩のススメ

    下谷七福神めぐり+小野照崎神社 江戸開府から410年、その歴史文化を味わう新春開運散歩。 今回は下谷七福神とその道中、学問芸能のご利益で有名な小野照崎神社を歩く散歩コースをご紹介します。 江戸時代の大規模災害と復興の歴史 さて江戸開府後、267年という長い時間のなかには、明暦の大火をはじめとして、49回も町を焼き尽くした大火を経験します。江戸時代栄えた他の大都市と比較すると、京都が9回、大阪が6回、金沢が3回とその多さが突出していることが分かります。 また大規模な地震も267年間続いた江戸時代には分かっているだけで190回と地震国日を象徴するような記録も残っています。 現代の東京と江戸古地図を対照しつつ、神社仏閣を巡っていると江戸時代の火事、地震、そして大正時代の関東大震災、昭和20年の東京大空襲によって何度も焦土と化したものの不屈の精神と人々の献身によってその都度復興を遂げ、現代の繁

    下谷七福神、小野照崎神社 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/28
    恐れ入谷の鬼子母神、たこ八郎さんゆかりの寺、下谷七福神巡りと渥美清さん、樋口一葉ゆかりの小野照崎神社を歩きます。
  • 2012年夫婦写真散歩総集編 - 夫婦写真散歩のススメ

    今週のお題、「2012年、どんな年だった?」とはてな様に問われ、 この一年を振り返ってみます。 メインテーマは「歩く速さで街を丁寧に眺める」こと。 こころとカラダを動かしながら、発見や気付きによって、どんどん気持ちが澄んでいく。 時に慌ただしく、時に穏やかに、 流れの速さも、変わらない何かも、 感じ取るこころに起こる粒だった感情が交差する瞬間を丁寧に味わった一年でした。 春夏秋冬、風味絶佳 春は梅の香りから。 さくらの化粧咲き。 椿咲く春。 夏はその青みにこころ洗われ、 天空を彩る花火の「一瞬」の輝きに今年涙とともに見送った人を想う。 秋は錦織りなす自然の営みと 秋桜。 「冬はつとめて」。早朝の光と凍る水に、時の流れを味わう。 花鳥風月 源平桃の艶やかで、初々しい姿。 江戸三大祭りのひとつ山王権現、赤坂日枝神社境内の藤の花も美しく。 山形の野に咲くアザミ 山梨県南都留郡「西湖いやしの里根場

    2012年夫婦写真散歩総集編 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/28
    東北、東京、関東甲信越、奈良、岡山、広島、山口、歩く、撮る、見る、その記録です。
  • 泉岳寺、東禅寺、高輪潮の香散歩 - 夫婦写真散歩のススメ

    高輪、地名の由来 高輪という地名の由来を調べてみると、時代を15世紀までさかのぼることになり、軍記物語に高縄原という地名で紹介されていることがどうやら始まりのようです。 一の縄をピンと張ったように長く続く道を縄手と呼び、丘陵地=高台にあった高縄手道を略して、高縄と呼んだことがこの地名の由来です。 高輪潮の香散歩 今回は高輪潮の香散歩、都営地下鉄浅草線泉岳寺駅を起点に旧品川宿周辺入り口までを散歩します。 高輪大木戸と品川宿 日史上最大の城下町に成長した江戸。高輪大木戸はその江戸市中への東海道からの入り口を意味します。宝永七年(1710年)江戸幕府は高輪に石垣を築き、高札場を設け大木戸としました。 江戸時代以前から漁港、商港として栄え、江戸幕府成立以降大名の参勤交代が起爆剤となり、一大宿場町として繁栄した品川宿も目と鼻の先であることから、東海道を西へ旅する人を見送ることを口実に(苦笑)遊興

    泉岳寺、東禅寺、高輪潮の香散歩 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/27
    忠臣蔵、風光明媚な観光名所、品川高輪御殿山、幕末の歴史、東海道。神社仏閣と高層ビル。歩く楽しみの多い街です。
  • 成田山新勝寺(千葉) - 夫婦写真散歩のススメ

    「成田屋!」という威勢の良い掛け声、沸き起こる喝采。歌舞伎の屋号、その始まりともいわれる名跡「市川團十郎」の屋号であります。 初代市川團十郎の父・堀越重蔵は成田山新勝寺に近い下総国埴生郡幡谷村に住んでいて、新勝寺とは少なからず縁があったといいます。 子宝に恵まれなかった初代市川團十郎が、父由縁の成田山に参籠して、世継ぎ誕生を不動明王に祈願をしたところ、見事その翌年、元禄元年 (1688) に二代目團十郎を授かります。 二代目はすくすくと健やかに成長したので、初代團十郎はこれに感謝して、元禄八年 (1695) 山村座で『成田不動明王山』を上演します。 当時、正義の若武者が豪快に立ち回る「荒事」は江戸庶民の絶大な人気を博し、荒事の創始者初代市川團十郎の文字通り千両役者の活躍によって、見事大当の演目となり、舞台には銭10貫もの賽銭が投げこまれ、大向うからは「成田屋!」という掛け声が掛かったといい

    成田山新勝寺(千葉) - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/25
    歌舞伎の名門成田屋の由来、平和の祈り、参道の賑わい、国際都市成田のいまを感じ取ってみてください。
  • 建長寺(鎌倉五山第一位) - 夫婦写真散歩のススメ

    抜けるような青い空。10月の三連休ともなれば、陽射しも秋へと移り変わり、柔らかいラインライトが美しい季節です。 三回目を迎えた「武家の古都鎌倉を歩く」をテーマにした夫婦写真散歩。 臨済宗建長寺派大山、巨福山建長興国禅寺 この日の古都鎌倉は時折心地よい風が谷戸を吹き抜け、歩く楽しみを満喫できる陽気でした。 今回は臨済宗建長寺派大山、「巨福山建長興国禅寺」(通称:建長寺)をご紹介します。 休日にも関わらず、鎌倉学園の学生たちが溢れる天下門に着き、 建長寺天下門 案内板を眺めます。いくたびも地震、火災による焼失を乗り越え、再建された伽藍配置を確認します。 建長寺伽藍配置図 隣接する鎌倉学園といえば、桂米丸落語芸術協会最高顧問や堺正章さん、桑田佳祐さんをはじめ、プロ野球選手、文化人、政治家など数多く輩出した中高一貫の進学校。 I LOVE YOU -now & forever- (完全生産限定

    建長寺(鎌倉五山第一位) - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/25
    鎌倉五山の筆頭格、その歴史をしっかり読み解くと武家が迷いながら、新しい時代を切り開いてきたことが分かります。
  • 円覚寺(鎌倉五山第二位) - 夫婦写真散歩のススメ

    JR北鎌倉駅。鎌倉を代表する寺院が集まることから、昭和初期、地元の皆さんの要請で参詣者の便を図るために作られた駅舎は緑に包まれた山の谷間にある円覚寺の境内に位置し、静かな住宅地に囲まれています。 「古都鎌倉にふさわしく、静かで素朴な駅」と理由から、関東の駅100選にも選ばれています。小津安二郎監督の「麦秋」もこの駅が舞台。小津監督自身も北鎌倉に住んでいらっしゃったこともあり、お墓も円覚寺にあります。 小津安二郎 大全集 DVD9枚組 BCP-027 出版社/メーカー: 株式会社 コスミック出版発売日: 2012/04/08メディア: DVD購入: 5人 クリック: 9回この商品を含むブログ (11件) を見る麦秋 [DVD] 出版社/メーカー: コスモコンテンツ発売日: 2011/02/26メディア: DVD購入: 2人 クリック: 20回この商品を含むブログ (1件) を見る 臨済宗円覚

    円覚寺(鎌倉五山第二位) - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/25
    三解脱門の威容と見晴茶屋の心地よさをぜひ味わってみてください。鎌倉時代、武士が禅のこころを学ぶために通ったお寺です。
  • 葛西神社と業平山南蔵院(しばられ地蔵) - 夫婦写真散歩のススメ

    「葛飾」の歴史をさかのぼると、正倉院文書にもその地名が書き記されているように奈良時代、律令制国家建設のなかで令制国として広大な領地を有する大国と定められた下総国にその起源はあります。 そして下総国の国府、中心地は葛飾郡でした。 以前市川真間の手児奈伝説を紹介したときに詳述しましたが、葛飾郡は南は江東区(亀戸、大島、北砂、南砂、東砂)から北は茨城県古河市にいたる広い領域にわたります。 中世では現在の江戸川をはさんで東側を葛東、西側を葛西と呼ぶ慣習も生まれます。 現在の行政区分でいうと東京都葛飾区と江戸川区の全域、墨田区、江東区の一部がそれにあたり、葛飾郡一帯が「葛西」に一致する事になりました。 源頼朝=鎌倉殿の御家人となり、奥州藤原氏との戦いで武功を挙げた葛西三郎清重の居館、葛西城も江戸川の西側にあったと推測されています。 また江戸時代に始まった利根川の東遷事業によって明治時代後期まで長い時

    葛西神社と業平山南蔵院(しばられ地蔵) - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/23
    6世紀から幕末まで大国として栄えた下総国葛飾郡の総鎮守葛西神社から現在の葛飾区金町周辺を散歩します。縛られ地蔵のある南蔵院は大岡越前の名裁きの舞台としても時代劇ファンには楽しめる散歩になるでしょう。
  • 豊山神楽院長谷寺(奈良県桜井市) - 夫婦写真散歩のススメ

    豊山神楽院長谷寺文学散歩 奈良県桜井市初瀬、ここは古事記、日書紀を筆頭に夥しい数の文学作品にその名を刻む土地であります。 初瀬を流れる川は古くは神意を仰ぎ、「神河」と呼ばれていました。 また日最古の歌集である万葉集巻の一、冒頭の長歌、5世紀頃、雄略天皇、青年時代の御詠歌ともされる伝承歌謡に「泊瀬朝倉宮」という表記があります。 雄略天皇(418年?〜479年)が「泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)」を置いたとされるこの地に関して、さまざまな議論が存在しますが、まずは「萬葉集」最初の歌を一度虚心坦懐、ゆっくり味わってみてください。 萬葉集巻の一、冒頭の長歌:雄略天皇 原文 篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母 訓読 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち

    豊山神楽院長谷寺(奈良県桜井市) - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/23
    奈良県桜井市初瀬。ここは古事記、日本書紀を筆頭に今日に至るまで夥しい数の文学作品にその名を刻む土地であります。錦秋の長谷寺で日本文学の精髄を味わった文学散歩を七年ぶりに加筆、改稿しお届けします。
  • 華厳宗大本山東大寺 - 夫婦写真散歩のススメ

    華厳宗大東大寺を歩く、撮る。 司馬遼太郎著「街道をゆく 奈良散歩」の一節に「東大寺境内は風景が多様で、どの一角にも他に類がない」とあります。 ワイド版街道をゆく24 作者:司馬遼太郎朝日新聞出版Amazon十二万坪を超える広大な敷地を歩きまわると、その言葉がすぅーと沁み入るように実感でき、海外文化を積極的に取り入れてきた歴史の息遣いさえ聞こえてくるような気がします。 さまざまな災禍を乗り越えた歴史、時代の流れを読み解きながら、建造物を眺めれば、溢れんばかりの創意工夫やそれを具現化した人々の献身と熱気を感じることが出来る。そんな思いと期待を胸に秘め、気負わずのんびり歩きます。 性急に時間的効率重視であちこち回って、印象が散漫になることを避け、圧倒的なスケール、さらに自然との調和に宿る先人たちが残した文化、美をたっぷり味わいながら、じっくり歴史文化の息遣いと向き合う旅を目指しました。 穏

    華厳宗大本山東大寺 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/23
    奈良時代、聖武天皇の治世下で進められた国家的大事業のシンボル、東大寺大仏殿造立。平城京の東にある大寺(官立寺院)=「東之大寺」、それが東大寺の名前の由来です。
  • 富士山 - 夫婦写真散歩のススメ

    謹んで新年のお慶びを申し上げます。 昨年は多くの方々にお世話になりました。 ありがとうございます。 2013年(平成25年)、年の初めに、日を代表する山、「富士山」をお届けします。 富士河口湖から眺める日の出前 日最高峰の独立峰にして、その美しく、神々しい姿は数々の芸術作品に影響を与え、古くから神聖視され信仰の対象にもなってきました。 日文学史においても数多くの作品が残されています。 まずはお正月にふさわしく富士山を真正面から堂々ととらえた最初の作品を味わいます。 萬葉集に収められた山部赤人によって詠まれた有名な長歌、その反歌です。 山部赤人 万葉集巻の三(317) 題詞 山部宿祢赤人望不盡山歌一首[并短歌] 原文 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不

    富士山 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2013/01/08
    河口湖、西湖を歩き撮影した女富士と呼ばれる優美な姿です。
  • 盛岡城、盛岡八幡宮、櫻山神社 - 夫婦写真散歩のススメ

    イーハトーブの森を歩く、撮る イーハトーブの森を歩いた三日間の旅。 三ツ石山登山、松川の森を九時間以上歩き続けた疲労も 松川温泉のおかげで翌朝にはすっかり癒え、 最終日も朝6時からブナ・ミズナラ・カエデの原生林を歩きます。 宮澤賢治没後「雨ニモマケズ」手帳と名付けられた黒い革の手帳に書かれた詩が思い浮かびます。 宮沢賢治「きみにならびて野にたてば」 きみにならびて野にたてば、風きららかに吹ききたり、 柏ばやしをとゞろかし、枯葉を雪にまろばしぬ。 げにもひかりの群青や、山のけむりのこなたにも、 鳥はその巣やつくろはん、ちぎれの艸(くさ)をついばみぬ。 宮沢賢治「きみにならびて野にたてば」 八幡平市松川の森 ミヤマシシウド まさに名残のシシウド、花火のように儚げで美しいその姿。 色づき始める八幡平市松川の森。 錦絵のような美しい紅葉に染まる八幡平の秋を想像しつつ、 松川地熱発電所 自然と地元住

    盛岡城、盛岡八幡宮、櫻山神社 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2012/11/05
  • 宮沢賢治のふるさと、イーハトーブの森を歩く。 - 夫婦写真散歩のススメ

    宮澤賢治37年の人生 1896(明治29)年2万人の犠牲者を出した「明治三陸地震」の2カ月後に岩手県花巻市に生まれ、1933(昭和8)年病床で「昭和三陸地震」に遭遇し、その年、37年の短くも烈しい人生の幕を閉じ、この世を去った「宮澤賢治」。 東日大震災後、改めてその存在が注目される国民的作家、宮沢賢治(名:宮澤賢治)は数多くの評伝や遺族、友人知人の証言などからも多感な少年時代を過ごしたようです。 宮澤賢治の青春 病気などの理由で屈とした青春時代を送ることになり、けっして優秀とは言えなかった盛岡中学での生活でも、進学を許されてからの集中力は凄まじく、名門盛岡農林学校(現在の岩手大学農学部)に首席入学を果たし、優秀な学生として卒業後、研究生としての在学も認められるほどになります。 県立花巻農学校に就職 就職は現在の県立花巻農学校で教師として、ユニークな授業の実践など豊かな教育活動を展開し

    宮沢賢治のふるさと、イーハトーブの森を歩く。 - 夫婦写真散歩のススメ
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    noir555 2012/10/27
    宮沢賢治ゆかりの地、名峰岩木山をのぞむ三ツ石山、松川地熱発電所、八幡平松川温泉周辺の森を9時間歩いた写真散歩の記録です。究極の森林浴が味わえる美しい森です。