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岡山に関するnoto92のブックマーク (2)

  • 新コロナ禍の内海フェリーを経営支援し、国際両備フェリーで航路再編 | 両備グループ ポータルサイト - Ryobi Group -

    両備グループ 代表兼CEO 小嶋光信 小豆島の草壁港から高松港へのフェリーを運航している内海(うちのみ)フェリー㈱への経営支援の打診は、もともと2016年5月8日に元オーナーのK会長から「経営不振で万が一の場合は両備で支援いただきたい」との要請があり、万が一の場合はお引き受けしますと口頭にて約束をしていました。 しかし、K氏が急逝されO氏が社長として引き継がれた際、出来るだけ自力でやってみるということで2017年以後毎年航路についての方向性の話し合いは続けていました。 2019年5月と11月には、O社長からフェリーの新造船計画について説明がありましたが、現状の内海フェリーの体力からは新造船建造は無理で、フェリー航路は池田航路に集約し、高速艇2隻新造での草壁航路の存続を勧めましたが、彼はフェリーの建造に踏み切りました。 ところが、今回のコロナ禍により2020年7月2日に急遽、正式に経営支援の

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  • 江戸初期まであった幻の島「児島」を求めてドローン飛ばす

    1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:国内唯一!ウラン坑道は廃退的な異世界だった > 個人サイト オカモトラボ 江戸時代の初めまで瀬戸内海に浮かんでいた「児島」 日列島の形は絶えず変化を遂げている。 その最たるものの一つは岡山県の南側であろう。あまり知られていないが海岸線が現在とは大きく異なる。 独立した島が多数存在し児島という巨大な島も横たわっていた。 400年前の岡山県の南側の地図(点線が現在の海岸線)。 そして児島と州との間には「吉備の穴海」という海原も広がり、現代人がイメージするのとは全く違う日列島の輪郭がそこにあった。 しかもナウマン象が闊歩していたような大昔の話ではなく、ほんの400年ほど前の話である。 干拓よって江戸初期に児島と州は陸

    江戸初期まであった幻の島「児島」を求めてドローン飛ばす
    noto92
    noto92 2019/08/09
    竹原行った時、塩田の紹介を見たんだけど、江戸時代の「干拓」欲(食糧増産欲)はすごいなと思った。重機のない時代やで。
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