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沖縄に関するnoto92のブックマーク (7)

  • 米軍統治下に建築された沖縄の銀行

    2020年12月、沖縄のオフィス街の中心である那覇市久茂地(くもじ)にあった琉球銀行店ビルが老朽化に伴う建て替えのため営業を終えた。 地上5階、地下1階の建物で、建設されたのは1966年の沖縄が米軍統治下の最中。 米国民政府と沖縄米国陸軍工兵隊の監理の下でアメリカの設計事務所が設計し、地元の建設業者が施工。 当時のアメリカの先進技術が詰まった建造だった。取り壊し前に内覧会が催されたので参加してきた。 沖縄に伝わるアメリカ様式 沖縄といえば赤瓦の家に屋根の上にはシーサーという光景を思い浮かべがちだが、沖縄は1945年から1972年5月15日の沖縄土復帰に至るまで27年間アメリカに統治されていた時代がある。 なので、街のあちこちにはまだ米軍基地関係の軍人やその家族のために建てられたアメリカ様式の外人住宅と呼ばれる建物が残っていたりもする。 これは外人住宅 今回の琉球銀行ビルも、昔に建てられ

    米軍統治下に建築された沖縄の銀行
  • なぜ…「優しくて立派な人」が非情決断 沖縄戦司令官の孫、探し続ける答え(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

    「優しくて立派な人」と聞いていた祖父はなぜ、住民を戦闘に巻き込む非情な決断を下したのか-。75年前の沖縄戦で旧日陸軍第32軍を率いた牛島満司令官(1887~1945)の孫、牛島貞満さん(66)=東京都=はその答えを探すため、沖縄に足を運び続ける。「過去に目をつむるのではなく、事実を未来に生かす。それが祖父と1文字違いの名を持つ孫の宿命と思っている」。沖縄戦体験者の証言に耳を傾ける中で、あの戦争の現実が見えてきた。 【写真】祖父の牛島満司令官 祖母の家の応接間には、軍服姿の祖父の大きな写真が飾られていた。祖父が自決した日と伝わる6月22日には一家総出で靖国神社を参拝していたが、中学2年からはついて行くのをやめた。文献を読んで沖縄戦や司令官としての祖父を知り、周囲の評価とのギャップに疑問を抱くようになっていた。祖父は沖縄島南部へ撤退し、持久戦を続ける決断をした。その結果、多くの住民が犠牲と

    なぜ…「優しくて立派な人」が非情決断 沖縄戦司令官の孫、探し続ける答え(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
    noto92
    noto92 2020/08/11
    歴史と向き合う真摯さにただ尊敬を覚える
  • 「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇 - Yahoo!ニュース

    太平洋戦争では、日で唯一の地上戦が沖縄で繰り広げられた。米軍が上陸した際、沖縄島や慶良間諸島では集団自決が行われた。最も自決した人が多かった渡嘉敷島では、村長の号令のもと329人が命を落とした。ただし、手榴弾の不発などによって一命を取り留めた人もいる。あの集団自決の現場では何が起き、どのように生き抜いたのか。75年前を振り返ってもらった。(文・写真:写真家・亀山亮/Yahoo!ニュース 特集編集部) 5月1日から68日間、新型コロナウイルスの新規感染者数ゼロが続いた沖縄。だが、7月に入ると、在日米軍基地を含む県内で感染者が急激に増加。さらなる感染拡大への恐れと自粛の空気が強まりつつある。例年であれば夏休みの観光客で賑わう那覇市内の国際通りも、人通りが減っている。 今年はそんなコロナ禍の影響で、生まれ故郷の島へ帰れなかった人がいた。 「(3月28日の渡嘉敷島の)慰霊祭、毎年行ってたけど、

    「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇 - Yahoo!ニュース
  • 大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判 - Wikipedia

    大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判(おおえけんざぶろう・いわなみしょてんおきなわせんさいばん)は、元沖縄戦指揮官および遺族が、大江健三郎・岩波書店を名誉毀損で訴えた裁判。集団自決訴訟、沖縄戦集団自決裁判ともいわれる。原告側は「沖縄集団自決冤罪訴訟」と呼称した。事件番号は、平成17年(ワ)第7696号出版停止等請求事件。 岩波書店発行、大江健三郎著『沖縄ノート』と家永三郎著『太平洋戦争』の記述を巡り争われ、大江・岩波書店が勝訴した[1]。 概略[編集] 沖縄戦の集団自決について、岩波書店発行の書物『沖縄ノート』(著者:大江健三郎 発行:1970年)、『太平洋戦争』(著者:家永三郎 発行:1968年 文庫として2002年に発行)に当時の座間味島での日軍指揮官梅澤裕(うめざわゆたか)および渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次(あかまつよしつぐ)が住民に自決を強いたと記述がされ、名誉を毀損したとして梅澤裕お

  • 「震える少女」沖縄戦証言に圧力 見知らぬ男性、女性宅押しかけ非難 - 琉球新報デジタル

    米軍撮影のフィルムに映る震える少女(沖縄公文書館提供) 沖縄戦の記録映像で映し出される「震える少女」として紙に名乗り出た浦崎末子さん(82)の自宅を男性が訪ね、証言をとがめるような言葉を投げ掛けていたことが25日、関係者への取材でわかった。浦崎さんはこの一件以来、外部との接触を控えるようになったという。座間味村での「集団自決」(強制集団死)の証言者らにも同様の接触があったことも判明。沖縄戦の継承が課題になる中、証言を封殺する動きに識者は「証言者の萎縮、戦争の教訓継承の妨げになりかねない」と警鐘を鳴らしている。 浦崎さんの親族によると、浦崎さんの自宅に男性が現れたのは昨年8月ごろ。ドアを開けて応対した浦崎さんに「あなたが浦崎末子さんか」と尋ね、いきなり「どういうつもりか」と詰め寄った。 「震える少女は私」と浦崎末子さんが名乗り出たことを報じる2019年6月23日付紙は昨年6月23日

    「震える少女」沖縄戦証言に圧力 見知らぬ男性、女性宅押しかけ非難 - 琉球新報デジタル
  • WEB特集 首里城焼失… ~カビラさんのお父さんが いま沖縄に思うこと~ | NHKニュース

    沖縄の首里城の焼失から1か月がたつのを前に11月27日のラジオ第1「三宅民夫のマイあさ!」で沖縄やNHKに深いゆかりのある昭和女子大学名誉教授、川平朝清さん(92)にインタビューしました。川平さんは、ご存じ、フリーキャスターのジョン・カビラさん、そして俳優の川平慈英さんのお父さん。三宅民夫キャスターが沖縄や首里城への思いをうかがいました。

    WEB特集 首里城焼失… ~カビラさんのお父さんが いま沖縄に思うこと~ | NHKニュース
    noto92
    noto92 2019/12/05
    面白いインタビュー。台湾史を考える上でも貴重な証人
  • 産経、3記事とも当事者に取材せず痛烈批判 沖縄めぐるネットと新聞報道 | 沖縄タイムス+プラス

    産経新聞は2月8日付紙面で、沖縄県内の交通事故で「米兵が日人を救出した」という未確認情報を伝え、それを報じない沖縄2紙を批判した記事について取材が不十分だったとして「おわびと削除」を掲載した。これまでにも当事者に取材しないまま、米軍や自衛隊に否定的な県内の動きを痛烈に批判する記事があった。

    産経、3記事とも当事者に取材せず痛烈批判 沖縄めぐるネットと新聞報道 | 沖縄タイムス+プラス
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