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哲学に関するnubonuboのブックマーク (7)

  • 文学の哲学にはどのようなトピックがあるのか - Lichtung

    文学の哲学は、存在論、認識論、倫理学、心の哲学、そして美学から、哲学的に文学を考察する研究ジャンルである。 物語とは何か、物語は人生の何を教えてくれるのか、作者とは誰か、詩的想像力とは何か、フィクションとは何か、詩の深遠さとは何か、キャラクタになぜ惹かれるのか、文学作品はどんな存在なのか、そして、文学とは何か。 稿は、The Routledge Companion to Philosophy of Literature*1 を参照しながら、主に英米圏における文学の哲学の主要な32のトピックを紹介する。文学の哲学について関心のあるひとがさらに学びを深めるために、あるいは、美学や文学の研究者の方が研究の手がかりとするために役立てばと思う。計三万字強あるので、頭から読んでいただくのもうれしいが、気になるところからすきな順番で読んでもらえればと思う*2。 定義とジャンル 1. 文学の概念 2.

    文学の哲学にはどのようなトピックがあるのか - Lichtung
  • 「意識」ってなに?——稲垣諭氏インタビュー|ヒルズライフ

    何かを想う時、わたしたちの頭の中には、その“何か”に紐づいた存在や匂い、音、情景、触り心地などの記憶が立ち現れます。それは、おなじ瞬間におなじ空間にいたとしても、ひとりひとりそれぞれに異なっています。 それでは実際、わたしは、日々の体験をどの感覚で受け取り、どんな風に感じているのでしょうか。この人は、あの人は、どんな世界を見ているのでしょう? ここでは、さまざまな方と一緒に世界の見え方を探求し、自分以外の世界を感じられる場をつくりたいと思います。子どもがおままごとの中で、もうひとつの世界を立ち上げていくような気軽さと夢中さで、誰かの意識に飛び込んで遊ぶ、今まで知らなかった色彩をみつける、相手を重さで感じてみる——。 頭も身体もやわらかく、いつもとべつの方法で世界と交わる、ここ「感覚の遊び場」で、一緒に遊んでみませんか。 PLANNING by Natsumi Wada Text by Ko

    「意識」ってなに?——稲垣諭氏インタビュー|ヒルズライフ
  • いつか怪物になるわたしへ|おかき大明神|note

    女子高生と山月記 「虎になる」というフレーズが流行った。 高校時代の話だ。かつて鬼才と呼ばれた男が、己の心に潜む獣に振り回されて虎になる話を習った。重い題材なのにどうにも心にひっかかる上、人間が虎になるという衝撃的展開に驚いた。加えて「尊大な羞恥心」だとか「臆病な自尊心」とかいう妙に語呂の良いワードが登場することから、わたしたちは授業が終わってもこの話を忘れられず、結果「虎になる」というフレーズを局地的に流行らせた。 わたしたちは虎になった。主に葛藤してどうしようもない時や人間関係が煩わしい時、そして自分が嫌いになった時に。具体的に言うならテスト前や恋愛にまつわる他者とのいざこざ、理想と現実の狭間でもがいた時に、現状の気怠さを「ほんと虎になるわあ」と溜息交じりに吐き出したのだ。 仲のいいグループだけで使う暗号のような、気怠さの共有コードのような使い方をしていたのに、いつしか他のグループにも

    いつか怪物になるわたしへ|おかき大明神|note
  • 「クロノス時間」と「カイロス時間」

    皆さんは、時間は過去から未来に流れるものだと思っていませんか?また1時間は60分・3600秒で、それ以下でもそれ以上でもない、と感じていないでしょうか。 もちろん、これは正しいのです。 私たちはこの定義を元に、日常生活を送っています。 でも、果たしてそれが全てでしょうか。 今日は皆さんの視点を大きく変える時間の定義をご紹介しましょう。 [2つの時間枠:クロノスとカイロス] 古代ギリシャでは、人生には2つの時間があると考えられていたそうです。 ・1つは「1時間が60分」という時刻としての時間「クロノス」 ・1つは、例えば子どもが夢中になって遊んでいると、あっという間に夕方になってしまったというような、自分が感じる別次元の時間「カイロス」 もう少し具体例を出すと、嫌な仕事を1時間しているAさんと、遠距離恋愛をしてやっと恋人に会えたBさんの1時間は、クロノスでは同じ1時間でも、カイロスではAさん

  • こころを軸に情報技術を設計する。ドミニク・チェンの日本的ウェルビーイング実践(前編)

    デビッド・オライリー(アーティスト)×犬飼博士(ゲーム監督)×ドミニク・チェン(情報学研究者)×三宅陽一郎(ゲームAI開発者)×飯田和敏(ゲームクリエイター) 原子から動物、果ては銀河系まで、この世界のあらゆるものに憑依し、それぞれの視点から世界を眺めるゲーム『Everything』を生み出し、世界的な注目を集めるアーティスト、デビッド・オライリーを囲んでの座談会が、ゲームクリエイター犬飼博士の呼びかけのもとに開催された。参加したのは『アクアノートの休日』や『太陽のしっぽ』などエクスペリメンタルなゲームを制作してきたゲームクリエイターの飯田和敏、情報学研究者ドミニク・チェン、人工知能開発者の三宅陽一郎だ。 デビッド・オライリー 1985年、アイルランド生まれ。斬新なスタイルのCGアニメーション制作を続け、2009年、アニメーションの伝統であるネコとネズミの関係性を現代性豊かにアップデート

    こころを軸に情報技術を設計する。ドミニク・チェンの日本的ウェルビーイング実践(前編)
  • 紀元前に起きたシンギュラリティからの「温故知新」:能楽師・安田登が世界最古のシュメール神話を上演するわけ

  • 本当に「私以外私じゃないの」か?東大の哲学教授・梶谷真司先生に聞いてみた | 株式会社LIG(リグ)|DX支援・システム開発・Web制作

    「私以外〜私じゃないの〜。当たり前だけどね〜」 ・ ・ ・ って、ちょっとまって。 当に、わたし以外わたしじゃないの……? しかもそれって当たり前なの? もしかしたらわたし以外もわたしの可能性もあるのでは? わたし以外もわたしだったとしたら? たとえばこの目の前にあるティッシュ。たとえばこの目の前にあるコップ。もしかしたら「明日から、これもおまえだ」って言われることもあるのでは? もしそういう世界になったら、もっと世の中を自分ごととして捉えられるかもしれないよね……。「そのティッシュ、わたしなんで大事にしてくださいね」っていう世界になれば、それってハッピーじゃない? ってことはわたし以外わたしじゃないほうがよかったり……? ……一般常識でいえば、わたし以外はわたしではないことは当たり前なのですが、考えていると、わたし以外わたしじゃないことが当にわからない限りは安心して暮らせない、という

    本当に「私以外私じゃないの」か?東大の哲学教授・梶谷真司先生に聞いてみた | 株式会社LIG(リグ)|DX支援・システム開発・Web制作
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