福江城(別名・石田城)は、肥前国(長崎県)福江藩、最後の藩主、五島盛徳(ごとう・もりのり)時代の文久3(1863)年6月、15年の歳月と2万両の公費と延べ5万人を動員して、五島列島・福江島に五島氏の居城として完成する。城郭は東西291メートル、周囲2246メートル、城壁の三方を海に囲まれた日本で唯一の海城だ。 幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備え、徳川幕府に願い出て築城を許可されたこともあり、城内には台場(砲台)が設けられていた。松前城(北海道松前郡松前町)とともに、幕末に築城された貴重な城郭の1つである。 縄張は本丸、二ノ丸、北ノ丸からなり、内堀、外堀がめぐらされ、天守は設けられず、代わりに本丸の二層櫓が天守の役目を担った。また、城壁には矢を放つ目的と、監視を兼ねた3角の矢狭間(やざま)があり、広角に攻められるように、外に向かって開いているのが特徴だ。 江戸時代最後に築かれた城のため、「
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