まず、この映画は『ファイトクラブ』と同じ構造の映画である。 現代社会への閉塞感を暴力で打開する映画。 その根拠に、現代社会と相容れない人間の本能(村上龍『愛と幻想のファシズム』で云われているような現代社会によってパージされた人間の本能)を置く。 『CURE』は、前述のような あらすじで語り終えてしまう映画だ。 『ファイトクラブ』や、本作が原型の伊藤計劃『虐殺器官(原作/アニメ版)』のような、観客が推論してしまうようなギミックが、あるように見えて「無い」のだ。 ただ単純に、現代社会に封じ込まれた己の本能の衝動。ヒトのあるべき姿を、メフィストフェレスの間宮が暴いていく。それらを、この頃流行っていた『セブン』系ミステリふうに装い、ヒトコワ・ホラー映画のように列挙しているだけの映画だ。 この場合の映画は『プレデター』形式になる。 一度タネを知ってしまったら、二度目を観た時「プレデター」の正体に驚か