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後醍醐天皇と歴史に関するo-v-oのブックマーク (2)

  • 時代によって千変万化する足利尊氏に対しての評価 (前編) : この世は夢のごとくに候

    4月20 時代によって千変万化する足利尊氏に対しての評価 (前編) カテゴリ:足利尊氏南北朝時代・太平記 日史に登場する人物達の中には、平清盛、松永弾正、明智光秀、吉良上野介、徳川綱吉、田沼意次、井伊直弼など、戦前はどちらかというと “悪役” というイメージが強かったものの戦後はそのイメージが徐々に薄まり “時代の先駆者” や “偉大な名君” として評価される事も多くなってきた、という人物が少なからずおり、逆に、和気清麻呂、菅原道真、児島高徳、山中鹿之助、二宮尊徳、高山彦九郎、乃木希典など、戦前・戦中はほとんど誰もが知っている人物であったにも拘らず戦後はすっかり影が薄くなってしまった、という人物も少なくはありません。 昨年3月11日の記事で詳述したように、鎌倉時代末期から南北朝時代(建武の新政期)にかけて活躍した名将・楠木正成も、時代によって評価が大きく変わる事で知られています。しかし、

    時代によって千変万化する足利尊氏に対しての評価 (前編) : この世は夢のごとくに候
  • 時代によって千変万化する足利尊氏に対しての評価 (後編) : この世は夢のごとくに候

    5月4 時代によって千変万化する足利尊氏に対しての評価 (後編) カテゴリ:足利尊氏南北朝時代・太平記 (前編から続く) 戦前の日では、楠木正成は「忠臣の鏡」「大楠公」として過剰なまでに高く評価され、逆に、その正成を討った足利尊氏は大極悪人と解される事が多かったため、明治時代に於いても、常に正成は高く評価され、尊氏は逆賊視されていたのであろうと思っている人が多くいますが、少なくとも明治時代前期から中期にかけての時期は、実はそうでもありませんでした。 明治期にヨーロッパの近代歴史学が入ってくると、史学界では太平記の史料的価値が疑われるようになったため、正成は一般の庶民には尊敬されていたものの、史学の分野に於いては正成の評価は下がっていきます。 東京帝国大学に初めて国史科が出来た頃、重野安繹(しげのやすつぐ)、久米邦武(くめくにたけ)、星野恒(ほしのひさし)という3人の博士が教授になりました

    時代によって千変万化する足利尊氏に対しての評価 (後編) : この世は夢のごとくに候
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