そういえば映画『ジョーカー』は撹乱的な映画で、「ジョーカーは自分だ」と簡単に言えてしまう映画ではなかった。 主人公アーサーが突発的に行った殺人を、メディアが「富裕層への反発」という解釈に落とし込み、人々がそれに(勝手に)共感し、それがカスケード現象を生むというこの映画では、人々は「真実」にたどり着かないし、それを探ることもままならない。それどころか、ラストシーンでのアーサーの語り口によって、それまでの心理解釈的なストーリーさえも、全て「事後的に作られたフェイク」である可能性も示唆されている。親切にも、この映画への解釈だって取扱注意なのだという「読み」を忍び込ませている。 それでも、ホアキン・フェニックスの悲壮感漂う表情によって、アーサーの不遇さに対するシンパシーが強調されることも間違いない。彼は、唐突に笑ってしまうという症状を抱えている。アレルギー反応でくしゃみが止まらないように、彼の「笑