「個人」の彼方 私たちは、「自分」としての在り様を他者から課せられています。それは、名前を付けられることに始まって、誰かの子となり、誰かの兄弟姉妹になり、誰かの生徒になり、友人になり、部下になり、夫や妻になり・・・と続き、その全部を「自分」という枠組みに回収し続けなければなりません。 この時として過大な「自分」の負担が、時に「課せられる」当のものを想定させ、これを「本当の自己」と思わせて、他はすべて「仮面の自分」だと言わせたりします。 このブログでは、「本当の自己」が幻想にすぎないことを、度々述べてきましたが、「本当の自己」ではないとはいえ、「課された自分」をほぼ無効にする体験はあり得ると思います。 それは「死」の前に立つことです。「死」に対しては、人間の一切の属性は無効です。どこの誰で、どういう人物かは、まるで意味を持ちません。金持ちであろうとなかろうと、権力が、あるいは能力があろうとな