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恐山あれこれ日記: はばかりながら
はばかりながら かつて何度か発言したように、私はいわゆる「霊魂」の「実在」については、肯定も否定も... はばかりながら かつて何度か発言したように、私はいわゆる「霊魂」の「実在」については、肯定も否定もしないという、釈尊直伝の「無記」の立場をとっています。 したがって、ある人物が「霊言」(イタコさんの「口寄せ」もその一種です)といわれる特殊な行為を通じて、すでに死んでいる人間の発言を仲介したとしても、その「真偽」それ自体は判断できないと思いますし、しません。 以前、歴史的大宗教者にかんして噴飯ものの「霊言」を読んだことがありますが、いかに噴飯ものであろうと、「真偽」については判断不能です。実際に「霊言」を発した本人が「だってその時はホントにそう言ったんだもん!」と言うなら、これを真に受ける必要はないにしろ、嘘だと断定する根拠もありません。検証の手段がないからです。したがって、「霊魂」の「実在」同様、「霊言」の「真偽」についても、「無記」を通すしかないわけです。 ですが、たとえそうであっても、