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ブックマーク / akaitaro.com (1)

  • 日本語という名のメガネで世界を見ること-ソシュール一般言語学講義

    我々日人は言うまでもなく、日常生活における他愛もない会話から物事を深く思考するに至るまで日語を使用している。当たり前であるということはそのことを理解しようとする機会を失わせ、そのことを疑うということからわれわれを遠ざけてしまうということだ。光のない場所に陰はない。日という概念は外国という概念なしには誕生し得ないしまた存在し得ない。このことが示すように、ほぼ単一民族国家と言われる日に暮らす日人にとって、日語というものはなかなか見えてこない。 photo credit: altovolta 『一般言語学講義』で知られるスイス人言語学者フェルディナン・ド・ソシュールによれば、言葉が存在する前に物事や観念は存在しないという。 例えば日人が昨日駅弁をべて、今日ほか弁をべたとしよう。そしてアメリカ人が同じように昨日駅弁をべ今日ほか弁をべたとする。それは彼らからすれば「I ate

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