我々日本人は言うまでもなく、日常生活における他愛もない会話から物事を深く思考するに至るまで日本語を使用している。当たり前であるということはそのことを理解しようとする機会を失わせ、そのことを疑うということからわれわれを遠ざけてしまうということだ。光のない場所に陰はない。日本という概念は外国という概念なしには誕生し得ないしまた存在し得ない。このことが示すように、ほぼ単一民族国家と言われる日本に暮らす日本人にとって、日本語というものはなかなか見えてこない。 photo credit: altovolta 『一般言語学講義』で知られるスイス人言語学者フェルディナン・ド・ソシュールによれば、言葉が存在する前に物事や観念は存在しないという。 例えば日本人が昨日駅弁を食べて、今日ほか弁を食べたとしよう。そしてアメリカ人が同じように昨日駅弁を食べ今日ほか弁を食べたとする。それは彼らからすれば「I ate