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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (9)

  • ニコンよ、恥を知れ - Arisanのノート

    こうして詳しく話を聞いてみると、いかに酷い話かがよく分かる。 Fotgazet通信・問われる表現の自由〜ニコンサロン写真展中止事件 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1382 ニコンが、掲示板での書き込みや、もしくはそれ以外の何らかの圧力を受けて自分たちの決定を覆し、写真展を中止にしたというのは間違いないところだと思うが、それを正当化するために、「政治的な表現だから展示させない」と言っているのだという。 自分たちのいわば都合で、一度は自分たちが決定して企画した表現の場を潰しておきながら、その理由をなかなか明らかにしようとせず、司法の場に持ち込まれてやっと表明したと思ったら、まるで「(ニコン自身によって)被害を受けた側」(つまり安世鴻さん)に非があるかのように言い出す。 ここには、「慰安婦」問題が日において周縁化されてきた主たる理由である、日の企

    ニコンよ、恥を知れ - Arisanのノート
    onanieCEO
    onanieCEO 2012/06/21
  • 暴動の暴力と自分 - Arisanのノート

    きのうのエントリーに寄せられたトラックバックやブクマコメントを読んでいて、ひとつ意外に思ったのは、ぼくが今回の暴動に対して「無条件に支持する」と書いたのは、そこで行使されるであろう暴力が「正当性」を持つと考えてのことだ、と思った人がいたらしいということである。 ぼくは、必ずしも今回の暴動を、その行動や暴力の正当性を理由に「無条件に支持する」と書いたわけではない。 ただたんに、自分の位置から出来る連帯の表明は、そのように書くこと以外にありえないと思ったから、そう書いたまでである。 そのことについては、後で書こう。 たしかに、生田さんのサイトに一端が書かれていたような積年の経緯や、今回の当初からの警察の対応、とりわけ放水車で放水を繰り返したりした強圧的な態度を考えても、「(たとえば)抵抗の正当性」のようなものは、十分にあると思える。 同サイトによれば、(報道では警察側の負傷者しか報じられてない

    暴動の暴力と自分 - Arisanのノート
  • 暴動を無条件で支持する - Arisanのノート

    連日続いている釜ヶ崎での抗議・暴動に関して、「どんなことがあっても暴力はいけない」という批判がある。 それに対して、これまで警察や社会全体から、釜ヶ崎の(労働者をはじめ)人たちが受けてきた迫害、差別の持つ暴力性はどうなるのか、という反論がありうる。 だがこの二つの意見は、来対立するものではなく、「暴力」に対する批判ということでは同じ立場である。 釜ヶ崎の人たち(という集合名詞自体が、すでに暴力的だが)が経験してきた怒りや苦しみを慮った上であれば、「どんなことがあっても暴力はいけない」という批判の言葉は、「暴力」を恣意的に選別して自分に都合の悪い種類の暴力のみを非難することによって、虐げられている人、自分が現に虐げている人の怒りの表明や抵抗・抗議を、したり顔で抑圧するという、浅ましい(真に)暴力的な言明とは、まったく異なる真実の言葉となるだろう。 実際には、そうでない場合の方が、ずっと多い

    暴動を無条件で支持する - Arisanのノート
  • 釜ヶ崎の暴動から受けとる(聞きとる)べきもの - Arisanのノート

    さきほど生田武志さんのホームページを見ていたら、以下の記述があった。 http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/thesedays13.htm 今日は西成署に花火を打ち込む若者もかなりいたようだ。上で「野宿者に投げていた石をこの2〜3日だけ機動隊に投げていただけかもしれない」と書いているが、それを見ていると、よくある野宿者への花火の打ち込み襲撃を思い出さざるをえなかった。 つまり、共闘か襲撃かは紙一重でありうる。だからこそ、「彼らはおもしろがって便乗しているだけだ」と切り捨てるのではなく、ビラであれ何であれ語りかけるべきなのだろう。 生田さんはもちろん、『<野宿者襲撃>論』の著者として知られているが、日常的に頻発しているという野宿者に対する若者たちの「襲撃」は、今回のような暴動以上に、報道され問題にされることが少ない。 じつは、先日このブログに案内を載せた東京蒲田での

    釜ヶ崎の暴動から受けとる(聞きとる)べきもの - Arisanのノート
  • 河川敷で濁流に流される人たち - Arisanのノート

    台風のため増水した多摩川の河川敷や中洲に取り残された「ホームレス」の人たちが、濁流のなかに取り残されたり、流されたり、救助隊員に救出されている様子。 きょうは一日中、テレビでその映像が流れていた。 多くの人は、あの画面をどう見ただろう? 台風が近づいてると分かってるのに、事前に避難は出来なかったのか?もともと住んでいいような土地なのか?救助活動には多額の費用がかかるけど、それは誰が支払うのか(税金が使われるのか)?助ける救助隊員も命がけであり、二次災害が起こる危険もあるのに、避難しないことは自分勝手すぎるんじゃないか? そういう批判的な意見があるかもしれない。 人の命がかかってるのに、「費用」の問題を言うのはどうかと思うが、行政の音としては、そういうこともあるだろう。実際問題、このところの世相をみれば、あるとしか思えない。 それよりも、救出活動にあたる人たちの危険、いやそれ以前に人たち

    河川敷で濁流に流される人たち - Arisanのノート
  • 『越境の時』を叱る - Arisanのノート

    越境の時 一九六〇年代と在日 (集英社新書) 作者: 鈴木道彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2007/04/17メディア: 新書購入: 2人 クリック: 6回この商品を含むブログ (30件) を見る読んでるうちにだんだん腹が立ってきて、勢いで一気に読み終わった。 「たしかにすごいなあ」「見習いたいなあ」という思いと、「それは違うやろ」という思いとが、相半ばするである。 優れたところは、たぶん他の人が書いてると思うので、ぼくはもっぱら不満を書く。 書の眼目といえるのは、有名な金嬉老の事件と裁判闘争に深く関わった著者の体験をつづった第4章と第5章である。 事件の発生を知ったときの心境を、たとえば著者はこう書いている。 しかし私には、日人であるというだけで、私たちはいつ何時でも同じように「人質」にされうるのではないかと思われた。彼らはいわば私の身代わりである。(p152) そして、

    『越境の時』を叱る - Arisanのノート
  • 『ネオリベ現代生活批判序説』 - Arisanのノート

    しかし、重要なことは、人は一気にトナルを破壊することによって解体することなどできないということだ。トナルを縮小し、せばめ、清掃すること、しかも時をよく選んで、これを実行しなくてはならない。生きのびるため、ナグァルの攻撃をかわすためには、トナルを確保しなければならない。なぜなら、氾濫してトナルを破壊するナグァル、あらゆる地層を破壊する器官なき身体は、死より他に出口のない虚無の身体、純粋な自己破壊にたちまち転じてしまうかもしれないからだ。「トナルは是が非でも守らなくてはならぬ。」(G.ドゥルーズ/F.ガタリ『千のプラトー』宇野邦一他訳 河出書房新社 3版 p186) ネオリベ現代生活批判序説 作者: 白石嘉治,大野英士出版社/メーカー: 新評論発売日: 2005/10メディア: 単行 クリック: 31回この商品を含むブログ (29件) を見る 書の論は、それぞれ、労働運動史の研究、ラカン

    『ネオリベ現代生活批判序説』 - Arisanのノート
    onanieCEO
    onanieCEO 2006/04/13
    若者が怒れないのは「生の無条件の肯定」ができないからかも
  • 表現への意志 - Arisanのノート

    ひとびとは絶えずちいさく離れてゆく うしろから 声のないひびきが深く水脈をひいて おれは聴く おれはわからない 奪われることが何かの始まり 始まりであることを     (黒田喜夫 「希望の始まり」から) 大阪市がおこなった行政代執行から、ちょうど一週間がたとうとしている。 ぼくはいくつかの理由から、こうした動きが今後全国的にも広がっていく可能性があると見ているので、その意味でも、とてもあの出来事を過去のこととしてしまうわけにはいかないのだが、記憶が鮮明なうちに、あのときの自分の思いや、体験した事柄を反省し整理しておきたい。 いま思うと、自分があの日うつぼ公園に行ったのは、「その出来事が起こる現場に立っておきたい」という気持ちからだった。 「自分の目で見て、報告する」という気持ちがあったと先に書いたが、たとえ報告する手段がなくとも、またたとえ見なくとも、重要と思われる出来事の現場に自分の身を

    表現への意志 - Arisanのノート
  • うつぼ公園・30日 - Arisanのノート

    1月30日に行われた大阪市による野宿者のテントの強制撤去ですが、29日の夕方から30日にかけて現場のひとつである靭(うつぼ)公園に居て、状況を見てきました。 どういう事態が起きるのか、自分の目で確かめて、こうした場で報告することが自分のするべきことだと考えて出向いたのですが、いざ行ってみると、自分がどういう立場に立って何をするかについて混乱し、自分でも思わぬ行動をとってしまった。その結果、今になっても、自分の体験をどう言葉にしたらいいのか分かりません。 しかし、あまり時間がたってもいけないので、今思い浮かぶことだけをとりあえず書いておきます。 今回の強制撤去については、テントを守ろうとする人たちと行政側との間で、30日深夜の午前0時までは公園の出入り口を封鎖しないという約束があったらしいのですが、すでに午後8時から10時頃の段階で、出入り口が封鎖されようとするような動きがあって、これに怒っ

    うつぼ公園・30日 - Arisanのノート
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