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ブックマーク / yamamomo.asablo.jp (15)

  • Ustream+Twitterの拓く世界: やまもも書斎記

    2010-03-10 當山日出夫 いま、これを書いている、ちょうど同じ時間帯になるが、東京大学(郷)で、情報処理学会の大会をやっている。そのなかの一つのセッション、 CGMの現在と未来:初音ミク、ニコニコ動画、ピアプロの切り拓いた世界 まず、情報処理学会に、初音ミクに、ニコニコ動画が堂々と登場するのに、ちょっとおどろく。ま、これも、CGMの観点からみれば、取り上げられて当然のながれか。 そして、もうひとつは、このセッションは、Ustreamで実況中継されている。同時に、Twitterでのコメントも同時に見られる。 このようなこと、他の「学会」であるだろうか。私の経験の範囲内で、 Ustream+Twitter というのが、表だって出てきたのは、半年もさかのぼらない。あっというまにひろがってしまった。今では、何かイベント(研究会・シンポジウム)があれば、そのTwitterのハッシュタグがな

  • 「公表したものは共有財産」について: やまもも書斎記

    2009-10-11 當山日出夫 先日の、長尾真さんの講演「公表したものは共有財産」、をインターネットで視聴していた。 「科学における情報の上手な権利化と共有化」 http://symposium.lifesciencedb.jp/IPDS/ これについては、すでにコメントなど出ていることと思うので、特に、私が言うほどのこともないと思う。しかし、自分の考え方を整理する意味で、感想をしたためておきたい。 科学(あるいは、科学技術)において、公表したものは共有化すべきである、なにがしか権利が認められるとしても、それは、学問的プライオリティに限定すべきである、極論すれば、長尾さんの発言のなかには、このような趣旨がふくまれている。 あえて、異論を考えてみよう。 学術情報の流通をになってきているのは、大学図書館、公共図書館などの図書館、あるいは、出版社、ということはたしか。このとき、人文学系の学術情

  • 『国文学』休刊:国文学で何が企画できるか: やまもも書斎記

    2009/05/31 當山日出夫 雑誌『国文学』休刊については、新聞(朝日、読売、毎日)もとりあげている。私が見た限り、朝日新聞(大阪版)は、かなり大きなあつかいであった。これは、異例なほどとも感じる。 いまのところ、同業(?)で、このことに意見を表明しているのは、私の見た範囲では、 笠間書院 5月29日 国文学休刊、インターネット界の反応まとめ(2009.5.29・三版) http://kasamashoin.jp/index.html ひつじ書房 茗荷バレーで働く編集長兼社長からの手紙―ルネッサンス・パブリッシャー宣言、再び。 学燈社「国文学」休刊 モノローグから抜け出す http://d.hatena.ne.jp/myougadani/20090529 いろんな意見があるだろうが、うがった見方をすれば、もう「国文学」という枠の中で企画を考えるのにつかれた、というところかもしれない。

  • 『雷撃深度一九・五』: やまもも書斎記

    2009/05/07 當山日出夫 池上司.『雷撃深度一九・五』(文春文庫).文藝春秋.2001.(オリジナルは、新潮社.1996) 私が知る限り、日で最高の潜水艦小説である。 今日、帰りがけに屋さんによったら、映画『真夏のオリオン』の割引券が、レジのところにおいてあった。まあ、なにげなく手にとって、家に帰ってみてみると、原作『雷撃深度一九・五』(池上司)とあるではないか。 で、(いまどきだれでもそうだろうが)、Googleで検索。福井晴敏が、手を加えているとのこと。余計なことせんでもいい、というのが率直な感想。 だからといって、福井晴敏を悪く言うつもりはない。『終戦のローレライ』は、読んでいる。最後の艦長の命令の一言を目にするだけでも、ページをめくって読んでいく価値はある。 しかし、どう手を加えようと、原作を上回るようにはできないだろう。やはり、伊58潜水艦と、重巡洋艦インディアナポリ

    optical_frog
    optical_frog 2009/05/07
    どれも知らない….どれか1つ読んで(観て)みようかな.| 眼下の敵 : http://www.youtube.com/watch?v=RWeUySTTaW8&fmt=18
  • 『ウェブはバカと暇人のもの』: やまもも書斎記

    2009/05/05 當山日出夫 中川淳一郎.『ウェブはバカと暇人のもの-現場からのネット敗北宣言-』(光文社新書).光文社.2009 このの対極にあるのが、梅田望夫であり、佐々木俊尚、などの著作であろう。ネットに未来を見る。だが、このは、(意図的にであろうが)その、正反対のことを言っている。 とはいえ、ネット礼賛への単なる批判書かというと、そうでもない。かなり、冷静に、現在の(すくなくとも日の)ネットの状況を確実に見ている。 >>>>> 断言しよう。凡庸な人間はネットを使うことによっていきなり優秀になるわけではないし、バカもネットを使うことによって世間にとって有用な才能を突然開花させ、世の中に良いものをもたらすわけでもない。 (p.18) ・ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも自由度がない場所である。 ・ネットが自由な発言の場だと考えられる人は、失うものがない人だけである。

  • 『論文を書くためのWord利用法』: やまもも書斎記

    2009/03/31 當山日出夫 上山あゆみ.『論文を書くためのWord利用法』.くろしお出版.2009 テキストになるかと思って買って読んでみて、結局、やめることにした。理由は単純、私は、Word2003版には、見切りをつけてしまっているので、ということ。 年度のはじめ、学生に、次のような質問をして、回答をもとめる。 ・自分でコンピュータを持っているかどうか。 ・その種類はなにか。 もう、過半数の学生は、WindowsVista。したがって、使用しているオフィスは、2007版。まあ、中には、「わかりません」と回答する学生もいるのだが、これはまた別。(それだけ、世の中に、コンピュータが普及したということだろう。) すでに、次期Windows7がどうなるかという時に、強いて2003版の利用に、時間をついやそうとは思わない。ただ、すでに、持っていて使っている人は、個人としての利用であれば、『論

  • 論壇と多事争論: やまもも書斎記

    2009/03/19 當山日出夫 『月刊現代』(講談社)は、無くなるし。『諸君!』(文藝春秋)も、無くなる。『論座』(朝日新聞社)も同様。また、『アエラ』(朝日新聞社)も、残ってはいるというものの、いまでは、「お受験雑誌」になってしまっている。 ともあれ、「論壇」というものが、今世紀になって消滅している、ということは確かである。では、それに、「ブログ論壇」がとって交われるかどうかとなると、無理だろう。 意図的に、自分の主張とは異なる意見にリンクするようにでもしないと、ただ、意見を同じくするものが集まって、「そのとおり」ということで、終わり。 となると、残るは、新聞・TVなどの役割になるか。 「多事争論」、筑紫哲也が使った言葉として記憶に新しいが、基的には、福沢諭吉に遡るだろう。 ともあれ、次年度、学生に、ブログコミュニケーションを教えなければならない。「多事争論」から話しをはじめようか。

    optical_frog
    optical_frog 2009/03/19
    (※『文明論之概略』の冒頭で論点がかみ合わないまま争論してもダメだからと「議論の本位」を定めつつも原則は「自由の気風は 唯 多事争論 の間に在て存するものと知るべし」(第1巻第2章)としてるです > karpaさん)
  • 『日本語ヴィジュアル系』: やまもも書斎記

    2009/02/14 當山日出夫 秋月高太郎.『日語ヴィジュアル系-あたらしいにほんごのかきかた-』(角川oneテーマ).角川書店.2009 記述的な立場から(規範的ではなく)、現代の日語表記、とくに、その仮名(平仮名・片仮名)、句読点、記号、などについて、記してある。絵文字は、メインの対象ではないが、顔文字、また、アスキーアート、にも言及がある。 このの趣旨は、後書きの次の記載に要約される。 >>>>> ことばにおいてもレイアウトは存在する。それは、書きことばにおける文字の組み方という作業工程だけでなく、話し手や書き手が、どのようなことばを、どのように使うことによって、どのようなことを伝えようとするのかという意味においてである。同じことばであっても、レイアウトが異なれば、異なったイメージを伝える。(中略) ことばもまた、話し手自身が意図するしないにかかわらず、レイアウトなしに存在し

  • 『論文の教室』: やまもも書斎記

    2009/01/21 當山日出夫 戸田山和久.2002.『論文の教室』(NHKブックス).日放送出版協会 次年度の教科書のはなし。アカデミック・ライティングでは、あいかわらず、と言っては著者に悪いが、『論文の教室』を使うことにした。 これに代わるがない、というの私の認識。一般的な視点から、見れば、このの特徴は、「論理」の構造を、論理学的に、きちんとあつかっている、ということになる。私も、最初は、この視点で、このを採用した。だが、実際に、読んで使ってみて、「要約」について、解説したとして、すぐれているという認識に変わった。 世の中に、「論文の書き方」「レポートの書き方」のは、山のようにある。最近のものは、インターネットでの資料調査まで解説してある。このような、マニュアルはあってもよい。 「論文は独創的なものでなければならない」、はたして、今の大学生にいきなり、このレベルの議論が

  • 『ARG』357号の感想:ハングルという言語名: やまもも書斎記

    2009/01/12 當山日出夫 『ARG』の357号の感想について、いささか。 どうでもいいようなことかもしれないが、ちょっと気になったこと。 http://d.hatena.ne.jp/arg/20090102/123088998 東京外国語大学の データベース 世界に広がる『赤毛のアン』 http://www.kufs.ac.jp/toshokan/anne/anneworld.htm このデータベースを見ると、トップのページには「ハングル」とある。しかし、東京外国語大学で使用の言語の名称(科目名)としては、「朝鮮語」である。単に、大学の組織上の名称と、一般的な呼称をつかいわけたといえば、それまでである。なお、データベースを検索してみると、当該データの「言語区分」としては、「韓国語・朝鮮語」の用語をつかってある。 細かなことを言えば、「ハングル」は「文字の名称」。言語の名称としては、

    optical_frog
    optical_frog 2009/01/12
    ("Korean" をどう訳すか.)
  • 『学問の下流化』:大学の教科書: やまもも書斎記

    2009/01/07 當山日出夫 竹内洋(2008).『学問の下流化』.中央公論新社 読んで印象に残ったところをいくつか。 第3章の「大学改革のゆくえを考える」。これは、『大学改革の社会学』(天野郁夫、玉川大学出版部、2006)の紹介。このなかで、次のように書いてあるのが印象的。このにおける指摘として、 >>>>> アメリカの大学は単なる企業モデルに終わるものではない。知の合理化をもとめる「知の企業体」でもあり、他方では大学人が必死に「知の共同体」を守り、そだててきたことをわすれてはならないという。(p.165) <<<<< で、これにつづいて掲載が、「大学の「教科書」の昔と今」(pp.168-173)。 この最後につぎのようにある。 >>>>> 最近の授業は、パワーポイントやビデオを併用しながらおこなっている教師も多い。だから、こうした視聴覚教材とも連動した、CDやDVDつきの新しい教

  • Wikipediaを学生にどう教えるか: やまもも書斎記

    2008/11/21 當山日出夫 もろさんのブログで、Wikipediaを、教育にどう利用するかの議論がなされている。Wikipediaについては、すでに、この私のブログでも、すでに、関連について言及した。 http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20081120/p1 『ウィキペディア革命』(岩波書店) 2008年11月11日 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/11/01/3866548 『ウィキペディアで何が起こっているのか』(オーム社) 2008年10月31日 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/10/31/3861170 今、私が考えることは、ある項目についての、改訂履歴をリサーチさせること、である。授業の資料などで、今の学生は、平気で、Wikipediaを使う。参考資料としてあ

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    optical_frog 2008/11/21
    (改訂履歴を調べるというトレーニング)
  • 『ウィキペディアで何が起こっているのか』: やまもも書斎記

    2008/10/31 當山日出夫 『ウィキペディアで何が起こっているのか-変わり始めるソーシャルメディア信仰-』.山まさき・古田雄介.オーム社.2008 かなり重要な内容をふくむである。 論点は、いろいろある。その中で、私の立場から、ひとつとりあげるならば、「知の完結性」という論点である。 逆に言えば、「知」がかたちになったとき、それは、不完全な状態でしかありえない。私の専門は、日語学(国語学)であるので、『日国語大辞典』(小学館)は、初版・第2版、ともに手元にある。 初版が、第2版になったとき、ある意味では、日語の辞書として、内容は充実したものになった。だが、それは、「完全」になったことを意味しない。小学館としては、次の「第3版」が刊行可能かどうか、心配な点もあるかもしれない。だが、もし、第3版を出版できたとしても、それも、「完全」ではあり得ない。 言葉の辞典だけではなく、歴史

    optical_frog
    optical_frog 2008/11/01
    (※感想:紙媒体の百科事典は伽藍方式にならざるをえなかったけど,ウェブ上の wikipedia は「はやめのリリース,しょっちゅうリリース」のバザール方式になっている;前者の基準で後者を判断すると齟齬が生じる.)
  • パワーポイントでの学会発表の是非: やまもも書斎記

    2008/10/13 當山日出夫 「たけひこ」日記で、さらにパワーポイントの使用に言及していただいたので、さらにつつけて。 http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20081012/1223761513 昨日、東京大学で、訓点語学会。発表者7名のうち、パワーポイントを使ったのは、最後の発表の私だけ。この学会、発表は年齢順なので、つまり、最年長者の私だけ。他の、若いひとたち(主に、大学院生)は、まったく使用せず。 これって、どうかしてんじゃないの……と思いたくなる。普通なら、若い人たちの方が、情報機器(パソコン)など、使いこなせている、と思うのだが、この場合は、そうではない。 口頭発表の学会でありながら、発表者は、ただ、用意してきた、レジュメを、読み上げるだけ。会場の人は、ただそれを、耳で聞きながら、ひたすら、レジュメを見るだけ。 こういうスタイルの学会も「あり」なの

  • 『パソコンは日本語をどう変えたか』: やまもも書斎記

    2008/09/02 當山日出夫 このてのが出れば、まずは買っておかないといけない。で、買って読んでの感想としては、個人的には「さほど……」という印象。だが、悪いではない。 かつて、PC-9801を買ってきて、その時、オプションの「第二水準漢字ROM」を、筐体を開けてセットした(プリンタの方も同様)。そして、運の悪かったことに、PC-9801の方は、78JIS。しかし、プリンタの方は、83JIS、という環境で使ってきて……今にいたっている。 このような眼から見れば、「何故、一太郎(ジャストシステム)がはやったのか」「PC-9801とMS-DOSとの関係」など、いろいろと意見を述べたい箇所はある。細かく言えば、文字の規格と、実装フォントと、その実装の方法については、そう単純な歴史というわけではない。 私のような人間が読むと、記述の不足している箇所に、どうしても関心が向いてしまう。 ケチを

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