明治初期、小学生用の教科書「小学読本」を印刷するために作られた版木23枚が米子市内で見つかった。表紙の内容から、1874年(明治7年)頃に鳥取市の書店「龍淵堂」が県内で初めて印刷した教科書の版木の可能性があるという。版木は拓本12枚とともに、米子市中町の市立山陰歴史館で7月6日に始まる企画展「すりもの 刷物」で公開される。 版木は、同歴史館が4年前に寄贈を受けた第3代米子市長の野坂寛治氏(1889~1965年)の資料の中に残っていた。1巻から5巻までの一部で、1枚の大きさは縦約25センチ、横約35センチ。版木は表と裏の両面に文章や絵が彫られ、表紙には「師範学校編輯(へんしゅう)」「明治七年八月改正」と刻まれていた。 「龍淵堂」は鳥取市若桜町の「横山書店」の前身。同市教委の「鳥取市教育百年史」によると、学制制定で教科書が必要になることに注目し、明治7年に出版許可を政府に申請。認められ、京都か
教科書検定 8冊に「集団自決」 Tweet 社会 2013年3月27日 09時38分(20分前に更新) 文部科学省は26日、2014年度から高校2年生が使う教科書の検定結果を公表した。今回申請のあった日本史の4社9冊のうち8冊が沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」を取り上げた。8冊とも06年度検定以降に削除された「軍の命令」や「強制」が読み取れる記述に戻した。一方、沖縄が日本から分離された「4月28日」の記念式典化をめぐり、県内で反発が起きている「サンフランシスコ講和条約」の記述は、日本史、政治・経済全教科書が記したが、沖縄分離の背景とされる「天皇メッセージ」は1冊だけだった。 「軍の命令」や「強制」については、書き方を工夫し、可能な限りその意味を盛り込もうという教科書会社も複数あった。削除された「軍の強制や命令」を明記した教科書はないものの、記述の復活を目指した07年の県民大会や、その後の
26日に検定結果が公表された高校教科書では、沖縄戦での集団自決について「日本軍が強いた」との表現や、慰安婦について「連行」「強いられた」といった記述がみられ、現行の教科書に比べ自虐的な歴史観に基づく反日的な記述が強まった。いずれも検定意見は付かず、識者から疑問の声が出ている。 集団自決を記述したのは日本史教科書9冊のうち8冊。実教出版の日本史Bは現行版では、日本軍により「県民が集団自決に追いやられたり…」としていたが、今回は「県民が集団自決を強いられたり…」と表現を強めた。さらに「軍とともに死ぬことを求められたりもした」との記述を「軍とともに死ぬことを強制された」とした。 清水書院の日本史Bも、現行版は「日本軍の関与のもと…集団自決に追い込まれた人々もいた」としていた表現を「日本軍によって…」と変えた上、「日本兵による命令によっても集団自決をとげた」との記述も加えた。 平成18年度の検定で
大阪市立大学工学部電子・物理工学科4年生の山下明(やましたあきら)さんが、工業高校の生徒向けに使われる教科書(電気基礎)を発行しました。教科書検定制度が制定されて以来、大学生が個人で文部科学省検定済教科書を発行するのは初めてのことです。平成25年4月より実際に北海道旭川工業高校で使用されることが確定しています。 概要 山下さんは工業高校出身で、推薦入試で本学工学部電子・物理工学科に進学し、現在4年生。自身が高校生だった時に『こういう教科書があったらいいな』、という思いをもとに教科書の作成に取り組んだ。もともとTeX(テフ)※1という組版処理ソフトウェアを扱うノウハウがあり、出版に興味があった。2年生(2010年)の春に教科書の執筆を開始し、その年の秋に完成させ、文部科学省の教科書検定に申請。1年後、文科省より検定意見が通知され、内容の修正を求められたが、それらをすべて修正し、無事に2012
最初に追記。 この記事は、他所から参考資料としてリンクされてたりするので残してありますが、筆者は、もうこの問題について「順序あり」「順序なし」双方が 「順序がある/ないのは当然だろうそんなことも知らないのか」 的態度を見せるのに辟易しています。 本件について熱心に議論している方は他所にいますので、どうぞ議論はそちらでしていただくようお願いします。 (「貴君と議論をするつもりはない、意見表明をしているだけだ」とのたまった方も過去にいましたが、そういうのはご自分のブログ等でお願いします) 前置き。 先頃はてな界隈で話題になっていた「3×5≠5×3なのか?」の話。 このたった一枚の画像が、擁護しようとする一部学校関係者と、小学生時代のトラウマを刺激された一部はてなーの間で猛烈な論争の種になっていたようです。 はてなー、学校関係者、両方の端くれである私も、久しぶりに小学2年生の指導書を借りて、あれ
戦中の国定教科書で、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一部を「一日ニ玄米三合ト」に変更して載せているものを探している。 戦後の教科書で変更したという情報はあったが、 以下の情報によると、戦中の国定教科書に載っているはずだと思う。 1)井伏鱒二「黒い雨」 戦中の国定教科書に宮沢賢治「雨ニモマケズ」の詩の一部「一日ニ玄米四合ト・・」が当時の米の配給量と睨み合わして「玄米三合ト・・」と改訂されてし掲載された 2)「宮沢賢治研究資料集成」第18巻 第二次世界大戦中、「雨ニモマケズ」が教科書に採択されたときは、「一日ニ玄米四合ト」を「「一日ニ玄米三合ト」に改作 国定教科書に「雨ニモマケズ」の掲載はなし。 戦後・文部省著作教科書で、昭和22年版は「玄米三合」、昭和24年と25年には「玄米四合」に戻されたことは調査済みのため、戦中の国定教科書ではなく、戦後文部省著作教科書の間違いではないかと推測される。 また
機関銃が世の中に登場して、それはもちろん極めて効率的な道具だったから、 すぐに戦争で用いられるようになった。 異民族との戦争では、機関銃は、時に100倍もの戦力差を跳ね返す活躍を見せたから、 現場の兵士はその武器を大歓迎して、それでもなお、将官の人達は、機関銃の価値を認めようとしなかったのだという。 兵士が一列横隊で銃剣突撃して、騎兵隊が戦場最強の部隊だった時代。 戦争教則は、銃剣と騎兵とを最大に生かすように理論が組まれて、磨き上げられた理論を捨てるのは もったいないから、将軍は機関銃を捨てた。 それはたしかに「異民族」との戦いで活躍したかもしれないけれど、「人間同士」の戦いは、 あくまでもライフルと、銃剣突撃とで決着がつくものだから、そこに機関銃の出番はないのだと。 本当の戦争が始まって、ドイツが機関銃を採用して、横一文字に並んだ騎兵、「正しい戦場」での 最強部隊が、機関銃陣地に殺到した
学校の日本史の教科書には「征韓論」、要するに韓国(朝鮮半島)を攻めなければならない、という意見が、できたての明治政府から出てきた、ということはたいてい書かれていて、日本の学生・生徒の多くは教科書で習うわけですが、そもそもなぜそのような乱暴な話が出て来たのか、ということはなぜか普通は学校では教えていないようです。 →韓国政府が日本政府に伝達した韓国関連の記述に対する修正要求内容 扶桑社の教科書に関する要求はこんな感じ。 (教科書内容(原文引用)) 〇1873年、開国の求めを拒否した朝鮮の態度が無礼であるとし・・・征韓論が台頭した 〇(西卿は)自分が朝鮮に行き、殺されればそれを名目に日本が出兵 (修正要求意見) 〇 朝鮮の条約締結の拒否理由を説明せず、日本の立場から偏って記述 −日本が既存の関係を一方的に破棄しようとしたためであることを説明していない 〇朝鮮が西卿を殺害する可能性があったかのよ
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