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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (20)

  • 誰かの願いが叶うころ……よくわからん - finalventの日記

    誰かの願いが叶うころ: 音楽: 宇多田ヒカル 誰かの願いが叶うころ: DVD: 宇多田ヒカル 昨夜寝付かれず、この歌をなんども聴いた。 CASSHERNは見ていない。見ればわかるのか。 紀里谷の映像は見た。紀里谷はこれを彼女のファミリーの悲劇と読んでいるように思うし、そこはとなくそのファミリーに絡み込んだ自分への自嘲の感触もある。そのあたりの紀里谷の思いが宇多田にどう理解されているかわからないし、宇多田はこの歌の謎をたぶん紀里谷に語っていない。 小さなことで 大事な物を失った 冷たい指輪が 私に光って見せた たぶん、指輪は結婚指輪だろうし、主人公が嵌めているのだろう。そしてそれはとりあえず宇多田だろう。が、そう解釈するのは下品過ぎる。ある女としよう。 その女はは結婚指輪を得たことで、なにか大切なものを失った。もちろん、それは男だ。今の乾きのなかで目先の男を選らんだ女。そして、あとから気付い

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    ortica 2015/03/07
  • 江藤淳の痛みというか - finalventの日記

    このところ、江藤淳の痛みのようなことをぼんやりと考える。彼も自決だった。そして、その自決は三島由紀夫と同質でもあったかもしれない。 江藤は32年生まれ。昭和7年だ。三島は1925年(大正14年)。私の父が26年生まれ。 父は大病で結果的に戦死を免れ、私がこの世にいる。彼の兄、つまり私の伯父はインパールで戦死した。つまり、殺された。父は私をその兄に似ていると見ていたふしがある。私は伯父の転生かもしれない(冗談ですよもちろん)。 三島も実質戦争を免れた。そのことを内心、忸怩たる思いがあっただろう。彼は団塊世代の上にあたり、GHQの所作も見てきたし、戦後日の欺瞞も見ていた。耐えられなかったというのはわからないでもないが、それより、自身の確立がGHQなるものとそれに結託する日的なるものに耐え難かったのだろう、というのはわからないでもない。天皇崇拝みたいなものは、偽悪的に言えば、そうした仮託の偽

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    ortica 2015/02/28
  • 晴れ - finalventの日記

    八百屋で旨そうな泥ネギが売っていたのでそのままぶつ切りにして、オリーブと塩でグリラーで焼いたら旨かった。こんな単純な調理で旨いもんだなあと思った。 米を買いに行ったついでに米をなんとなく買う。赤飯でもするかなと思うが、さて赤飯たるべき吉事もなしか。 強さと脆さ: ナシーム・ニコラス・タレブ, 望月 衛 読んだ。なかなか面白かった。単独でこれを読むのはお薦めしないが。

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    ortica 2014/11/14
  • はてな村のパラドックス - finalventの日記

    はてな村の内部にいる人ははてな村がどこにあるのかわからず、 はてな村の外部にいる人ははてな村の住人とコミュニケーションができない。

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    ortica 2014/09/04
  • 愛とか恋とか - finalventの日記

    この手の話はこってりお好きな人がいるので、そのまねごとはパスって。ようするに、英語だとloveなのが日語だと「愛」と「恋」に分かれる。 で、「愛」も「恋」も近代日語で、伝統の語感はない。 特に「愛」のLoveの語感は明治にできたっぽいようだが、ところが、伊藤仁斎は「仁」を「愛」としているし、西郷南洲も「愛」といっている。というわけで、江戸後期くらいからの「愛」はむしろ英語のloveに近い。もっとも、「愛」自体は仏教用語。 庶民の恋愛はというと、恋歌のようなものはあるので、じゃ「恋」かというと、その語感がよくわからない。 懸想がそれに近いようでもある。というか、源氏にも懸想がよく出てくる。 ただ、では、源氏物語のloveみたいなのが懸想かというと、懸想と恋とはちょっと違うっぽい。このあたりは色好み論とかになるのでうざい。 「慕う」というのも明治以降臭いというか翻訳語っぽい。 うちなーぐち

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    ortica 2014/08/13
  • なんとなくはてなの暗さ重さを感じるようになった - finalventの日記

    なぜだろう。feecleのせいかな、他の個人的(性的)な気掛かりのことか。よくわからない。twitter的なものはなにかネットの意識を変えるのだろうか。あるいは今頃私はmixi的なネットワークの領域に入ってきたのか。なんとなくだが、はてなをはじめたころの親密さの感覚もある。 はてなが変わってきたのかもしれない。ぶくまについては批判はない。どうにでもなればいいんじゃないかと思いつつ、じゃ、自分ではどう思うかというと、あまり関心が持てなくなりつつある。 増田は? 増田もなんかテンプレ化してきているように思う。話題のテンプレというより、参加数のシュレショルドと実際には、Mr/Miss増田というかコアが生まれつつあるのだろう、そのあたりの活動が臭いというかうるさいというか。そのあたりは、増田から出たらいいんじゃないかとも思う。たぶん、増田はシステム的ななにかの工夫が必要なんだろうと思うがそれがなん

    なんとなくはてなの暗さ重さを感じるようになった - finalventの日記
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    ortica 2012/03/10
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20070610][h:keyword:シュレショルド][h:keyword:オントロギー]
  • 私が価値観を相対化できない馬鹿であること - finalventの日記

    これ⇒「フラット化」を自分に都合よく解釈する人々 佐々木俊尚さんの発言を引用して id:finalvent さんが意味不明と感想を述べた、という状況。 (中略) 佐々木さんや、あるいは(もう少し素朴な感覚として)花岡信昭さんが疑問を感じているのは、どんな言説も価値体系の外側から批判されてしまうような世界ではあっても、しばしば大勢がひとつの方向でワッと糾合する話題があるということを、どう考えたらいいのか、という問題だと思う。炎上の現場を見て私が感じる違和感は、参加者の大半が自分の正義を確信していること。たまたまその「場」において自分たちが多数派となったのではなくて、自分たちがその「場」で多数派となっているのは当然だ、と考えている様子なのです。 (中略) 世の中にどれほどたくさんの価値観があるにせよ、特定の問題について対処の選択肢は多くない。もっと書けば、価値観の多様性はパチワークのような仕組

    私が価値観を相対化できない馬鹿であること - finalventの日記
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    ortica 2012/03/03
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20060608][search:痛みの構図]
  • だから - finalventの日記

    ⇒「死ね!」と言われて自殺を図る子にコメント承認制は効果がない そこがポイントじゃないんだってば。 それと。 「死ね!」コメントはもちろんイケナイ物だと思うし、排除されるべきと思うのだけど、罵倒も含めてネガティブ言及をコントロールするのは難しく、その対策をサービスに要求してもすぐに叶えられるものとは思えないので、耐性を備えることができない人は「コメントを受け付けない」「アクセス解析を見ない」のが手っ取り早いのではないか、と思います。 あのね。 「「死ね!」コメントはもちろんイケナイ物だと思うし、排除されるべきと思う」に寄与できる部分があるとしたら、それはなんなの? とブロガーとして考えたということ。 あまり言いたくないけど、というかまた上から目線とかいわれたり頓珍漢な誹謗中傷受けるからやなんだけど、数千PVもあるようなブログのエントリに、「死ね」とか、知らない人の個人メールアドレスものがコ

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  • ツンデレというのは… - finalventの日記

    ま、私が理解してないかもだが、恐い。 ま、この歳こいていうものでもないが。 ツンツンというのは別にそれはそれでこちらに被害はないが、デレは困る。この困る感がうまく表現できない。女嫌いというのでもない。 男でもデレというのは多い。というか、日の男性は基的にパートナーを疑似母にしてしまうので、そこにデレではある。おーい、お茶というか。 で、もうちょっというとツンも恐い。基的に自分の人生と関係ない人間というか異性というか性の対象にそういう関係性を暗示させるものがあるというのは、うざったいというか、恐いというか、避けたい。 つげ義春の、あれは必殺するめ固めに入っていたか、男が調布の古い娼館の一室をこっそり借りて、散歩がてらに家を出た時のセカンドハウスというかルームというかにしているという話がある。やがてにばれて、なにかと運んで貰うことになり、蒲団もということになり…というくだりで、あの感じ

    ツンデレというのは… - finalventの日記
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    ortica 2011/10/22
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20051022][h:keyword:人間失格][h:keyword:偽悪]
  • ブログのデザインについてちと - finalventの日記

    どうでもいいことなんだが、はてなでもレディメードなデザインを使っている人がいる、というか、多い。別にそれがわるいわけではないのだが、ある程度、これはっ、と思わせるエントリ書いている人がレディメードなデザインだと、他でもそういうデザインを見かけたとき、困惑してしまうのですよね、私とか。 はてなの例ではないけど。 ⇒池田信夫 blog とかもgooのレディメードを使っているわけで、同じデザインをたまたま見かけると、無意識に池田信夫が連想されてしまう。 ブログのデザインというのは、いわゆるデザイン的な側面以外に、読者への印象というかもうちょっと考慮されていいような気がする。 そういえば、切隊さんの緑ブログとかデザインが個性的すぎ(っていうか私的にはちと時代感覚が古い)、R30さんはリニューしてからデザイナ臭くて、ちとなぁという感じ。まあ、自分のブログのデザインがいいでしょとかさらさら思わないけど

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  • はてなブックマークをしてもらう7つのボツ - finalventの日記

    はてなブックマークは、他人が集めた話題を美人投票風に教えてくれる惰性なツール。ここでたくさんブックマークしてもらうことは、オリジナリティ欠如の証明(か?)。ということで、はてなブックマークしてもらうボツを考えてみました。即興なので、鼻息荒いです。改善案なんかに耳を貸しません。 【1・見出しはちょっと長めの一行で書け】 文春・新潮とか現ポスとかオヤジ雑誌の電車の吊り広告と同じで、見出しでヒキをとるのがポイント。おやこれはなんだろと思わせぶりなのがよい。でも実際の中身にあまり斬新な内容を入れてはダメ。所詮、吊り広告で釣れる読者なんだというのを念頭に置こう。 よい例:「はてながもし100人の村だったら」 ダメ例:「ホゲカモ」 【2・小ネタの知識を提供するのがよい】 パソコンのネットユーザーや無料でお得な情報に飢えている。情報乞といったところ、なので、それなりにパクつかせるお得なネタというのがよ

    はてなブックマークをしてもらう7つのボツ - finalventの日記
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    ortica 2011/10/16
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20051016][search:800字]
  • 夕方公園でぼうっとしていると - finalventの日記

    三歳か四歳くらいの女の子がよってきて、なんか言うのだがよくわからないのだが、どうやら、アスレチック風の滑り台に登りたいのだが助けてくれということらしい。見ると、他にも子供がお猿みたいに登ったりしている。ま、ほいで、なんとなく、彼女を手助けする。 と、図にのってまた来る。 まあ、言いたいことはわかったので、iPodを耳につこんだまま応答。 この子のにこっとわらう顔が、うーん、おまえさん年頃になったら間違いなくブスだなとか思うが、愛想はいい。愛想がいいっていうのはいいものだよ、かならず惚れる男がいるよ、惚れる男を選べよ、モテたいとか悩んでいる男じゃだめだぞとか思い、しばし、結局、遊び相手になる。 この子の親がどっかにいるのだろうと思うし、三十くらいの女があちこち数名いるのだが、よくわからん。っていうか、こんなことしていると、俺は変態とか危険な人に見られるのではないかとも思った。 適当にション便

    夕方公園でぼうっとしていると - finalventの日記
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    ortica 2011/10/15
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20061015][h:keyword:カツ丼]
  • ニーチェの哲学を理解するということは、人がルサンチマンから解放されるということ - finalventの日記

    なんですよ。 ⇒ルサンチマン - Wikipedia こうしたルサンチマンの例は、敵との対比(実際の敵であることもあれば空想上の敵であることもある)において自己を定義しようとする様々なイデオロギーである。このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ、というわけである。あるいはまた、世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優れている、ともなる。

    ニーチェの哲学を理解するということは、人がルサンチマンから解放されるということ - finalventの日記
  • ブログは文章力を下げるとは限らない - finalventの日記

    これは私が考えたお話です。 私は、自分のサイトで日記を書いています。二年前からほぼ毎日書き続けていたため、多少は文章力が上がっていただろうと思ったものです。しかし朝日新聞に投稿しても日の目を見ません。 さて、それはなぜだと思いますか? 白亜紀は各種の鳥類が全盛期でした。中国ロボット学界の先行者人気から、誰もが「没問題」や「個人問題」などに夢中で、もちろん私も例外ではありませんでした。そして、そのような関心から文章を毎日書いていたおかげで、日語だけで表現しきれなくなったのです。 英語を多用したり、HTMLを使っての表現ではなく、CSSのみで文章を書いていたことに気づいたのです。 このままでいいのかもしれない!(w 白亜紀は地球の歴史のなかでもずっと気温が高く各種の植物が地上を覆っていた時代だそうです。現在は地球の気温は上がっているのではないかと思われていますが、まだまだ白亜紀には及びません

    ブログは文章力を下げるとは限らない - finalventの日記
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    ortica 2011/10/09
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20051009][h:keyword:文章力]
  • 現在の日本では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ - finalventの日記

    きっかけは。 これ⇒記憶のメモ帖 - 世代で語れない世代 世代論はオッサンの為の言葉 そもそもまとまってない私達の世代を第三世代と括るのは、結局「近頃の若いものは」っていう〜紀元前から続いてる迷文句を言いたいが為だと思うのですよ。 上の世代は世代としての同質性を保ってられるから、世代論は使いやすいと思うのですが、第三世代以降は少なくとも80年代生まれ以降は*1世代ではなく、『類型』で語られるべきだと思うのです。 世代論はオッサンのためというより、現在の日では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ。(どっちも強烈にWGIPプロトコル) 国民を制度的に拘束することによる国民経験というのは、基的に戦争しかない。ほいで、戦前世代が死に絶えたあと、戦中派という戦争=腹減った世代と団塊の世代=戦争を知らない世代の2つしかないんですよ。 そのあとは質的にグラジュアルなものです。

    現在の日本では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ - finalventの日記
  • 「ブログは始めてみたが、もう何を書いてよいのか分からない」と悩んでいる人のための三冊 - finalventの日記

    私の「ぶくまのクネクネさは自ら情報を発信する側にならなければ理解できない」という言葉にもかかわらず、「ブログは始めてみたが、もう何を書いてよいのか分からない」とうるうるする人たちが私のまわりにも何人かいる。今日はそんな彼らのための推薦図書三冊。 1冊目。 アラン定義集: 神谷 幹夫 ネタの宝庫である。これを写し取る。自分と感性とか考えが違うかなという点を書き換える。キーワードを /不幸/非モテ/g みたく置換してもよい。仕上げは、全体をきっこ文体とかうるるん文体とかま、ありげな文体にする。なんか自分の主張のような気がしてくる。アップロード(って言葉最近使わないですね)。 2冊目。 「 生誕の災厄: : E.M.シオラン,出口 裕弘」 人生の真実とはこの書籍のなかにすべてある。ネガティブ・シンキングを学びたい人にもよい。 シオランは何を読んでもよい。どれを読んでも同じだという人もいるくらい

    「ブログは始めてみたが、もう何を書いてよいのか分からない」と悩んでいる人のための三冊 - finalventの日記
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    ortica 2011/09/30
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20060930][h:keyword:asin:978-4003365649][h:keyword:エミール・シオラン][h:keyword:asin:978-4314001472][h:keyword:asin:978-4314006941][h:keyword:asin:978-4003361016]
  • もてない男性はやめたほうがいいという説 - finalventの日記

    ⇒「可愛い女になる為に」 あのですね、たいていの女性はどう男性を選ぶかというと、こういうことです。これは正解。 なぜこういうことになるかというと、女性は女性の熾烈な世界のなかに生きているからで、そこに使えないアイテムなんか拾うわけないじゃないですか。 ってことで、逆に言えば、こういう女性は女性同士の熾烈な世界の住人度が高いということ。なので、普通の男性はその手の世界に関わりもたないが吉。 ただ、女性同士の熾烈な世界というのは、若い時と三十路以降は違う感じがして、後半はかなりスゴそう。というわけで、そこを覗いてしまった女性はもう人生とはそんなもの。ご意見無用。 ただ、女は個別のトランザクションだ理論からいうと、それはそういう傾向があるというだけで、恋愛とか結婚とかなかなかそう概論できない。 若い時代に女性同士の熾烈な世界とうまく距離を置く一群がいる。この女性たちの特徴は、歳ってわかったのだ

    もてない男性はやめたほうがいいという説 - finalventの日記
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    ortica 2011/09/30
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20060930][search:もてない]
  • ネットと多数決というかなんというか - finalventの日記

    長くネットの世界にいて、若い頃は血気で無用ないざこざを起こしたものだし、いろいろいざこざを見ていきた。さすがに思うことがいくつかある。 ネットの中の口論というか罵倒の投げ合いとか、その勝敗は基的に沈黙の観覧者が自然に決めている。そして決まった結論というのは、明示された言葉になっては出てこない。ただ、月日が経つと、すでに勝敗は決したものとして別の話題のなかでなにげに参照される。 で、そういうなかで負け側の特徴だけも言い切れないのだが、勝敗の内側の問題は、いざこざの内部にいる人が、その沈黙の閲覧者をどう理解するかにかかっている。 ここで一番重要なことは、身の構えとでも言うべきことで、自己の正当性を主張しているとき、実は負けているということだ。このあたりはなんとも身の構えとでもいうようなちょっと微妙な感じ。武道でまず受けの構えと取るような感じ。攻撃の構え自体が弱点にしかならないような状況がある

    ネットと多数決というかなんというか - finalventの日記
  • 10代でそんなに読むことはないよ - finalventの日記

    はてなブックマーク - 10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 - PictorialConnect ⇒10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 - PictorialConnect とかいいながら、けっこうこれらは私は10代で読んだな。背伸びしたいころであった。 プラトン『国家』 これは存外に面白いなんだが、いろいろと手順みたいのが必要なんで、「プラトン入門 (ちくま新書): 竹田 青嗣」を先にきちんと読んでおいたほうがいい。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 れいのサンデル先生というかコミュニタリアンで再評価されつつある。現代的な文脈でいうなら、サンデル先生の説明をきちんと理解するだけでよいと思うよ。 ⇒[書評]これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル): 極東ブログ ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 これ1

    10代でそんなに読むことはないよ - finalventの日記
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    ortica 2011/09/29
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20100929][h:keyword:asin:978-4480090546]
  • 「窓が開いてますね」問題 - finalventの日記

    まあ、仮に問題とかしてしまう。 「窓が開いてますね」というのは、どういう意味があるか? 「窓が開いている」という認識表明以上の意味はないとしてもいいけど。 日語の場合。 「窓が開いている」と「窓が開いてます」は同じではない。というか、そういう対比のスタイルに置かれるというか、いちおう純粋にはラングではなく、ソーシャルというかプラグマティックスの問題でもあるのだけど、ラング的な部分がい込んでいる。 簡単に言うと、「窓が開いてます」は不可避に会話、対人関係の文脈に組み込まれ、「窓が開いている」はそうした文脈に自由であるというより、対人関係の別の含みが出る。 そして、それらに、「ね」「よ」「な」とかいろいろな、対人関係的なニュアンスを付加する辞が存在し、それらは結局、対人関係での機能をもつ。 で。 「窓が開いてますね」は、他者に対して、「締めろよ」であったり、「寒いじゃないか、場所を変えろよ

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