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ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (11)

  • ふみふみこ『ぼくらのへんたい』 - 紙屋研究所

    テーマに「性」がどっかりと座る それぞれの思惑と動機で女装をはじめた3人の男子中学生がオフ会を開くところから物語が始まる。 ふみふみこのマンガは、何と言っても絵柄に特徴がある。絵めいていて、絵柄だけ単体でそこにおかれたら、現実の生々しさはすっかり捨象されることになる。山ルンルンとか初期のきづきあきらなんかもそうだった。 ところがである。 扱っているテーマは、正面から性、セクシュアリティなのだ。 そして、このマンガは、性をナイーブに謳歌するたぐいのものではなく、自分に与えられた性に深く苦悶する中身になっている。実は、ふみふみこの商業誌上のマンガはどれもその種のことがテーマになっている。 「日的空間でリアリティを支えるものはセクシュアリティである」という斎藤環の言葉があるように、性にかかわる悶え苦しむ様は、ぼくには深くい込んでしまう。とてもリアルに感じられるのだ。いや、別に、ぼくがトラ

    ふみふみこ『ぼくらのへんたい』 - 紙屋研究所
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    ortica 2015/04/20
  • 棚園正一『学校へ行けない僕と9人の先生』 - 紙屋研究所

    このままいったらどうなっちゃうんだろうという不安 いまの傾向を機械的にのばしていくととんでもない結論になる…というような話は「30年後の未来」みたいな未来予測でよく聞く。「地方消滅」みたいなやつね。 同じように、自分の子どものある時期の状況とかがものすごく気になって「将来この子はダメになるんじゃないか」とか一瞬絶望してしまうことがある。小1の自分の娘に。 たとえばいつも何回か言ったりお膳立てをしないと「家事の手伝い」をしないので、「このまま自分のことは自分でしない人間になるのでは…」とか、宿題を全然自分からやろうとしないので「このまま家では勉強しない人間になるのでは…」とか、家に帰ってから友達と一度も外で遊ばないので「このまままったくコミュニケーション力のない人間になるのでは…」とか。 思い起こせば、自分の小学校1年生時代というのは、たとえば家の手伝いなど何もしていなかったし、宿題なんてほ

    棚園正一『学校へ行けない僕と9人の先生』 - 紙屋研究所
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    ortica 2015/03/18
  • 学校へ行きたくないという娘の理由 - 紙屋研究所

    大西巨人『神聖喜劇』の小説版につきあっている。 時間はかかるが、正面からやってみたい。 現在文庫版の3巻に入った。 さて、4月に小学校に入学した娘のこと。 昨日まで、学校での給の様子や字の書き順の話などを楽しげに報告してきたので昨夜娘が寝静まってから、つれあいと「うちの娘は大過なく学校に順応できて、まずはよかったね」などと話しあっていた。 ところが今朝になって、お腹が痛いと言い出した。気で痛がっているふしがない。がんばっていこうよとなだめすかすが、うじうじしている。 思い切って「なんかヤなことがあったの」と聞くと、「あのね、いじめとかじゃないけどね」などと言い出す。「学校に行きたくないというのはいじめのサイン」みたいな定式が娘の頭にあるのだろうかとびっくりした。「あのね、いじめとかじゃないんだけどね」と言うのでどんな言葉が続くのかと固唾をのんで待っていると「学校の帰りに、前を歩いている

    学校へ行きたくないという娘の理由 - 紙屋研究所
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    ortica 2014/04/18
  • 「頭がいい」とはどういうことか──貧困、学歴、無料塾 - 紙屋研究所

    ネット上で生活保護をめぐる話から親と子の関係の話に話題がとび、さらに「頭のよさ」についての話題にもなっているので、ぼくもちょっと書いてみる。 DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤 環境という足枷 - G.A.W. 「頭がいい」とはどういうことか。 これはちまたで「勉強できるやつが頭がいいとは限らない」という言葉で、「勉強ができる≠ 頭がいい」というふうに認識されている。ぼくもよく言われたよ。「あんた大学出てるのに、そんなこともできないの(知らないの)」。 じゃあ「頭がいい」って一体なんなんだ、ということになる。 二つの「頭のよさ」──(1)「学者的に頭がいい」 「頭がいい」には二つある。 一つは「学者的に頭がいい」ということ。 もう一つは「うちのオヤジ的に頭がいい」ということ。 結論から先にいえば、前者は概念を体系化できる能力であり、後者は目的を

    「頭がいい」とはどういうことか──貧困、学歴、無料塾 - 紙屋研究所
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    ortica 2013/08/08
  • 義務や強制のない、自治会費ゼロの自治会をつくったよ - 紙屋研究所

    ※このエントリをきっかけにして、を出しました。 http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784098252077 http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20140921/1411290361 ごみ収集のサービス(の一部)を受けるには、自治会に加入しないといけないというこの話。 ゴミ収集は行政のサービスだろ? 元増田が引っ越した鹿児島のある自治体では、ごみをステーションに捨てようとしたら「お前は自治会に入ってないからこのステーションは使えない」と言われたというのだ。 元増田は、ごみ収集は自治体(市町村)の仕事なのだから、税金で支出されるべきで、自治会費負担をからませられてはかなわない、と主張する。これにたいして、はてブのコメントでは、 自治ってこういうことだろ、住んでる所によって行政サービスや経費が

    義務や強制のない、自治会費ゼロの自治会をつくったよ - 紙屋研究所
  • 大島堅一『原発のコスト』 - 紙屋研究所

    また原発の話で恐縮である。 前の二つのエントリのつづき。 ぼくの記事に対するネット上やここのコメ欄での反応は様々だけど、自動車事故の比喩や他の「大事故」との比較については、下記エントリを読んでほしい。 原発と自動車 - 紙屋研究所 加藤尚武『災害論 安全性工学への疑問』 - 紙屋研究所 かんたんに言うと、便益の違うものの比較はするな、ということと、反復が不可能な「異常な危険」については特別扱いが必要だということ。 あと、「福島第一は老朽化してたからダメだったが、他はいい」というのは、論外。福島第一の事故主因が「老朽化」であるというような調査は見たことがない。少なくとも福島の事故の原因究明は終わっていない。炉の中がまともにわかっていないのに、「老朽化していたからダメ」「老朽化していないからいい」などと言える状況にはないことは明らかだ。 結局、残るのはコストのことだけなのだ。 原発はコストが安

    大島堅一『原発のコスト』 - 紙屋研究所
  • 再稼働賛成派に聞きたいこと - 紙屋研究所

    安全基準が厳しくなって、それで原発が止まったら仕方ないと思うの? 福島で原発事故が起きたので、安全規制が厳しくなることが予想されるよね。 その厳しくなった規制で、いまある原発がハネられたら、「経済のために原発を再稼働させるべきだ」という人は、「ルールにあわないんだったら、しゃあねーなー」と思うんだろうか。それとも、「カネがあってこそだろ。そんな厳しい規制は、ゆるめるべきだ」と主張するんだろうか。つまり法令に従うのか、法令をまげてしまうのか。 そんな法令などつくられない、とタカをくくっているんだろうか。 原発をつくったときにOKとかNGとかをだす、「審査指針」ってのがある。 法令上の強制性がないらしいんだけど、もともと原発の建設っていうのは、「国策」といわれるように、政治的・政策的判断なわけだよね。政治の側が「いいよ」って言えば電力会社は原発をつくれたし、「だめ」っていえば、止まってきた。実

    再稼働賛成派に聞きたいこと - 紙屋研究所
  • 湯浅誠の声明とインタビューへの違和感 - 紙屋研究所

    湯浅誠が内閣府参与辞任について述べた言葉や、 湯浅誠からのお知らせ: 【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版) それをめぐって受けたインタビューに違和感がある。 特集ワイド:内閣府参与を辞任、湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと - 毎日jp(毎日新聞) もともとの意図を考えるとうなずけるものはある もともと、湯浅の辞任の言葉は誰に、どんなつもりで言った言葉なのかを考えながら読むといいと思うのだが、まず彼が内閣府参与になったことで政府の犬になったとか、梁山泊の末路状態みたいな受け取られ方をしたことに対して向けられた言葉ではないかと感じる。 湯浅が自分の掲げた要求や理想モデルのために、政府に参画すること自体は、十分にありうることだと思う。ぼくのような左翼だって、自分たちの言っていることを実現するために、部分入閣するなんて有り得る話だし、中央政府だけでなく、地方政治でもい

    湯浅誠の声明とインタビューへの違和感 - 紙屋研究所
  • 東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 - 紙屋研究所

    「オルタ」という雑誌で東浩紀の「民主主義2.0」について書いたことがある(2009年11-12月号「メディアから時代を読む #9」)。 そのときまだ茫洋としていた問題について、ぼくは批判や疑問を書き連ねたが、定義づけや具体案をふくめ、これらのぼやけていたものは東の近著『一般意志2.0』で一定の輪郭を与えられることになった。 先にぼく流にざっくりと中身をまとめてみよう。 ルソーの「一般意志」は、あるアルゴリズムにしたがって生まれてくるグーグルのページランクみたいなもので、人々の無意識のデータベース*1から抽出されてくる数学的な結論のようなものである。*2 しかしそのような一般意志は大衆の欲望の集積であり(グーグル型民主主義)、それで政治を運営するのは危険。専門家や政治家たちの熟議(ミクシィ型民主主義)と相補的に用いるべき。民主主義2.0(=ツイッター型民主主義=グーグル型民主主義+ミクシィ型

    東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 - 紙屋研究所
  • 薬師院仁志『社会主義の誤解を解く』 - 紙屋研究所

    2011年11月23日付の朝日新聞に、日共産党の委員長である志位和夫が東大教授の宇野重規にインタビューされている記事が載っていた。資主義の限界ということで、マルクスを志位に語らせている。 宇野は、 私は19世紀の政治思想史が専門なので、コミュニズムやソーシャルという言葉がどう変化してきたかに関心があります。 とのべている。宇野の問題意識はこうである。 共産主義を現代的に再定義する必要はないでしょうか。最近、ソーシャルビジネスという言葉をよく聞きます。かつてソーシャルといえば社会主義の薫りがしましたが、いまは非営利の活動のソーシャルといわれ、魅力的な形で再定義されています。コミュニズム、共産主義とは、何かを共有し、真の平等を図るのが来の意義だと思うのですが、現代では何を一番共有したいのか、何が真の平等と考えるのか。それこそ魅力的な再定義が必要では。 この「共産主義の再定義」という問題意

    薬師院仁志『社会主義の誤解を解く』 - 紙屋研究所
  • 古市憲寿『希望難民ご一行様』 - 紙屋研究所

    わー、不快なだなー。胸くそ悪い・オブ・ザ・イヤーに決定。 冒頭に著者が 書は、読む人にとっては不快なである。 と断り書きしている通りだよ。 つれあいが新聞の書評欄か広告で見つけて、買ってきてぼくに読め読めと押しつけたものである。 ぼくはコミュニティや居場所を作り出すことは現代において社会運動の重要な機能であるとこの「紙屋研究所」でくり返しのべてきた。それは左翼運動にかかわる若い人たちとの交流の結果得たものだし、様々な読書体験を通じて得た結論でもあった。 ところが、書では、「ピースボート」の乗船体験やそこでのアンケート・インタビューをもとにして、その結論を否定する。このサイトでいろいろ論じているような、あるいはぼくが読んできたような論者や運動関係者を俎上にあげ、批判し、サブタイトルにあるような「承認の共同体」というものは幻想なのだとして、社会運動への悲観を述べて終わるのだ(必ずしもそ

    古市憲寿『希望難民ご一行様』 - 紙屋研究所
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