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  • 「綺麗な裕子のピアノ」 綺麗なのは「裕子」それとも「ピアノ」? - 京都案内  こうへいブログ  

    こんな日語はありませんよ 戦時下、兵役していたある国語学者が所属部隊の統率方針を読んで、「こんな日語はありませんよ」と部隊長に直接訴えかけたそうです。 当時としては珍しいエピソードで、その記録は軍部に今も残っているといいます。 部隊に掲げられていた統率方針、そこに書かれていたのは「積極的任務の遂行」という文だったのですが、学者は「これではだめだ、(任務の積極的遂行)とすべきです」と進言したのです。 その才気に感じて、以後、部隊長はその学者に目をかけ、前線送りから除外したため、「命拾いをした」と学者は後に語っているんですね。 〇(任務の積極的遂行)という言い方が正しくて、✖「積極的任務の遂行」という文はなぜ日語として通用しないのでしょうか。 少しわかりやすくするため、他の例文を用いて解説したいと思います。 たとえば、シューベルトの曲が訳詞の標題にされた✖「美しい水車小屋の娘」というタイ

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    ot_nail 2024/06/08
  • お気に入りのエッセイ 好きな作家のコラムがどんなふうに文章構成されているか紐解いてみる - 京都案内  こうへいブログ  

    「文章」と「文」の違いをはっきりと意識する 「文章」というものを定義づけしようとすると、観点として、「文章」の単位性というものが重視されます。 「『メロスは激怒した。』という(文章)は名文なのだろうか」 「新聞の社説の(文)は読みにくい」 という言い方がよくされますが、これらは厳密には誤りで、 「『メロスは激怒した。』という(文)は名文なのだろうか」 「新聞の社説の(文章)は読みにくい」 と、されなければなりません。 まず、文章(テキスト)とは、ひとつひとつの文(センテンス)の集合体である、ということを自分のなかで明確に区分けづけることが必要になるのです。 そうすれば、次は、自然に文脈の存在というものを強く意識することになります。 文章のなかに複数の文が存在するからといって、それが必ず文章となるわけではありません。 そこに連続性を持つ文脈が存在してこそ、初めて文章として認められるんですね。

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    ot_nail 2024/04/05
  • どうすれば読者をその記事に夢中にさせることが出来るか  - こうへいブログ  京都案内 そして スラスラと流れるような文章が書けるようになりたくて

    文章を読ませる推進力 たとえば、ブログなどに記事を書くとします。どうせ書くのなら、その時に、どうすれば、読者をその記事に没頭させることが出来るか。どう書けば、読者を、読んでいるうちにその文章に引きずり込ませてしまうことが出来るようになるのでしょうか。 日語学者の石黒圭氏は、それは、「情報の空白」を自在に操るように文章を展開させることで可能になるのだと論理提示されています。 まず、世に出ている文章というのは大きく分けてふたつに分かれます。 ひとつは、新聞記事や小説などに用いられている描写文と呼ばれるもので、これは「時間」を推進力として、ある「場面」のなかで起こる一連の動きが描写されていきます。 「それで?」「それから?」といった問で後続文脈に来る内容を探りつつ読み手は文章を理解していくんですね。 そしてもうひとつが、「場面」という制約がなく、時間軸が存在しないエッセイや論説文の場合で、今回

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    ot_nail 2024/02/19
  • 金閣寺  取りもどされた その輝き 目もくらむ光 - こうへいブログ  京都案内 そして スラスラと流れるような文章が書けるようになりたくて

    風雨にさらされた黄金 戦前の旧国宝・重要美術品の再指定が行われたのは昭和25年のことでした。 いわゆる文化保護法が施行されて、それまでに指定されていた真偽が見直され、大幅に件数が減らされることになります。 そんな状況下でも、当然のごとく金閣は新国宝に指定されました。ところが、その直後に、放火により焼失してしまったのです。 だから金閣という建物は現時点で国宝ではないのですが、訪れる観光客の人たちに聞いてみても、燃えたことさえ知らない人のほうが、おそらく多いのではないでしょうか。 焼失から5年の歳月をかけて再建された金閣は、その後何度か補修され、昭和61年の大補修では当時7億円の資金が投入されています。 使用された金箔は20万枚で20キロ、昭和30年の最初の再建時よりも、約10倍規模でもって補修されているんです。 金のイメージ、それは成金的というか、どうしても経済価値の誇示の要素が全面的に出て

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    ot_nail 2024/01/23
  • 東寺  そこにあるのはパラレルワールドだった - こうへいブログ  京都案内 そして スラスラと流れるような文章が書けるようになりたくて

    政教分離 794年に、国家権力の中枢として人為的につくり出された平安京。それは、政治的な意味を強く帯びた新政都市でした。 このとき同じタイミングで平安京に創建された東寺・西寺も、国家鎮護の目的だけで建てられたわけではなく、唯一この国で、公式に創り出され、認可されていた寺院だったのです。 それまでの奈良・平城京の社会では、多くの政治的矛盾をはらみ、政争と内乱を繰り返していたので、大仏開眼など仏教的霊験に頼らざるを得ない状況下に陥っていました。 そのために、玄昉・道鏡といった僧侶による政治的介入を許してしまうことになり、皇室の継承問題にまで関与させてしまうことになってしまうのです。 再び同じ過ちを繰り返さぬように、遷都を機に、桓武天皇は仏教界の政治的進出を許さず、徹底的に排除する方策を取っているんですね。 788年に根中堂がすでに建てられていた比叡山・延暦寺ですらも、延暦の寺号を許されたのは

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    ot_nail 2023/12/23
  • 長くても読みやすいセンテンス  因果関係を示す接続助詞で長文にクサビを打ち込む - こうへいブログ  京都案内 そして スラスラと流れるような文章が書けるようになりたくて

    事態はひとつの時間軸のなかで 今回は、複文の表現形式のひとつである「連用修飾節」の仕組みを紐解いていきたいと思います。 先行する連用修飾節には、それこそ様々な接続方法による表現形式があるのですが、基的には、後行する文末の述語(用言)に向かって文意を繋げる役割を果たします。 よく使用される連用修飾節のひとつのタイプとして、「~たら」「~けれども」などの条件を示すもの、「~ので」「~ために」などの原因・理由を示すもの、といった論理的因果関係の接続助詞を語尾につけて主節につなげていく形があります。 宝くじが当たったら、家を買いたい。(順接条件節) いくら薬を飲んでも、いっこうに熱が下がらないのです。(逆接条件節) 風邪を引いたので、学校を休みます。(原因・理由節) このように、連用修飾節(従属節)と主節は因果関係をもって論理的に結びつけられているんですね。 連用修飾節で構成された複文の場合、主

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    ot_nail 2023/11/14
  • 複雑な文の流れを滑らかに結合させる潤滑油 それは抽象名詞と形式名詞 - 京都案内  こうへいブログ  

    内の関係と外の関係 前回に引き続き、今回も連体修飾節を使った文章表現にこだわりながら、その質を分析していきたいと思います。 たとえば、指にルビーの指輪をつけた(女優)という文を例にすると、名詞(女優)を詳しく説明・限定し、修飾しているのが(指にルビーの指輪をつけた)という連体修飾節と呼ばれる成分になります。 このような連体修飾節を使った表現方法には、じつは、二つの意味合いを持つ種類があるんですね。 A)さんまを焼く(シェフ)がいる。 B)さんまを焼く(匂い)がする。 「さんまを焼く」という連体修飾節がAでは(シェフ)を、Bでは(匂い)という名詞を修飾しています。 「さんまを焼く」という修飾節は表面上では全く同じ役割を果たしているように見えますが、そこに含まれた意味合いは大きく異なるのです。 Aの文は、シェフがさんまを焼く。という文と対応させることが出来ます。 名詞「シェフ」は、連体修飾節

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    ot_nail 2023/10/29
  • 連体修飾節を駆使することが出来ればスラスラと流れるような文章が書けるようになる - 京都案内  こうへいブログ  

    長文を自由自在に 日語における「複文」、つまり複雑な「文」というのは、いったいどのような構成で作られているのでしょうか。 一般に実用文では1文平均50文字が理想的な文字数だと言われてますので、1文100字を越すような「複文」になると、頭から読み下してそのまま理解することが若干難しくなってくるようです。 だから「文は短く、短くと心掛けて書くべきだ」と、どの作文入門書にも書かれているわけですが、やはり、字数にこだわることなく長文を自由自在に操って読み手に文意が通じるように書けるようになりたいものです。 では、どうすればいいのか。その答えはただひとつ。これは、「複文」として組み立てられているパターンにはどのようなものがあり、それぞれどの様な特質を持って表現されているのか、ということをまず徹底的に分析・比較するしかないんですね。 日語の「複文」は「従属節」と「主節」で組み合わされていて、従属節

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    ot_nail 2023/10/08
  • 文章の魅力的な書き出し①  それは心地よいリズム感 - 京都案内  こうへいブログ  

    早く問題の核心へと 仮に、名前も知らない人の論文やエッセイをあなたがこれから読もうとしているとします。 その文章の書き出しの印象は、まさに、初対面の人に会ったときの第一印象と同じような感覚がするのではないでしょうか。 たぶん、「魅力的な書き出し」で書かれている文章なら、その先を読んでみたいと感じるに違いありません。 でも、書き出しに難があり、受け入れられなければ、読み取り行為をあなたは投げ出してしまうことになるのでしょう。 文章の書き出しは、持って回った冗長な前置きを続けるよりも、単刀直入に題に入ってしまうほうが好感度が高いということがよく言われます。 たとえば、文章の冒頭表現については「落語」というものに学ぶことが多く、共通する面もずいぶんあるようです。 どの落語家も「エエ毎度バカバカしい・・・・」といった掴みをほんの一言か二言話すだけで、いきなり「オーイ熊さんや」などと筋に入ります

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    ot_nail 2023/09/13
  • まちがいだらけの日本語文法  達意の文章が書けるようになるために② - 京都案内  こうへいブログ  

    前回に引き続き、町田健さんの著書「まちがいだらけの日語文法」から、非常に参考になった文法理論をピックアップし、ご紹介させていただきます。 今回は、第四章『文の仕組みを説明してこそ文法だ』のなかの(「太郎は平泳ぎが上手だ」の主語は何か)という項目について、町田さんの考察を詳しく追っていきます。 まず前提として町田さんは、「主語」という概念に対しては学校文法と同じ捉え方をされています。 つまり、文の構成的役割において「主語」は、述語にかかる他の連用修飾語よりもひとつ格上の存在であり、述語と同じくらいの重要性を持つものだという考え方です。 文は「主語」と「述語」を核として成り立っているという論理ですね。 学校文法はまちがいだらけだけど、こと主語に関しては説明不足ではあるが、その捉え方はまちがっていないという意見をもたれているんです。 このブログでこれまでご紹介してきました文法学者たちの、文を完

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    ot_nail 2023/07/26
  • 小麦色のマーメイド  書き手が最も伝えたい一文 - 京都案内  こうへいブログ  

    同定文と記述文 前回は、「ガ」句と「ヲ」句という二つの「提示機能」を使った主題提示のあり方を説明させていただきました。 a)関取の中では、荒駒が、最も腰が強い。 b)私は教官の行動を不審に思った。 a)b)は共に、「他の誰でもない荒駒が」「他の何に対してでもなく教官の行動だけを」という限定表現の付け加えが可能であり、 c)関取の中で、最も腰が強いのは、荒駒だ。 d)私が不審に思ったのは、教官の行動だ。 という顕題文の裏にある、隠された陰題文であるという意味合いを含みます。 「ガ」句と「ヲ」句は、主格「が」、対格「を」という格助詞の機能だけではなく、こういった「提示機能」の役割も果たすんですね。 顕題文と陰題文の関係に見られるような、主語Aと述語Bが入れ替え可能な文を「同定文」と言います。「AはBだ」を「BがAだ」に変えられるということですね。 それに対して、記述文の「AはBだ」の方は、その

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    ot_nail 2023/05/01
  • 現代日本語の構造  テキスト全体の中から最も重要なセンテンスを選びだす方法 - 京都案内  こうへいブログ  

    統一的な把握の方法 日語における「複文」についての捉え方として、その考察が非常に有益であると評価されている二人の文法学者がいます。 一人は、前回紹介しました「象は鼻が長い」の著者である三上章さん。 そしてもう一人が、「文はどのような過程を経て成立するのか」という観点から従属節の分類を試みた南不二男さんです。 その南さんが、日語の構造を統一的に把握する方法を見つけ出し、まとめ上げられたのが、今回紹介する「現代日語の構造」という一冊です。 日語の統一的な把握の方法。そう、おそらく南さんは、わかりやすく日語の仕組みが理解できるよう、揺らぐことのない、独自の「法則」を見つけ出そうとされたのではないでしょうか。 現代日語の構造 作者:南 不二男 大修館書店 Amazon 南さんは、「複文」を従属節と主節からなる文と捉え、従属節の「文らしさ」という観点から「単文」から「複文」への段階を考え

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    ot_nail 2023/04/07
  • 象は鼻が長い 三上文法  文という枠を越える言葉 - 京都案内  こうへいブログ  

    主語廃止論 日語の基的な関係は「主語―述語」ではなく、「主題―解説」であるという考え方。 それは、日の文法研究の発展に伴い、多くの学者たちに支持されるようになりました。 その理論を広く世に知らしめた存在が、高校の数学教師から国語学会へと転じてきたという、三上章さん(1903~1971)という文法学者です。 独創的な見解で知られる三上さんは、自分の意見に異を唱える者には公開の場で徹底的に議論を挑むなど、妥協を許さない性格でした。 そのために、当時の国語学会の権威者たちからは完全に異端児扱いされていたそうなんです。 ですが一方で、若手・中堅の研究者たちからは熱烈な支持を受け、時代の流れに沿うようにして、三上理論を引き継ぐ者たちは急速に増えていったんですね。 象は鼻が長い ―日文法入門 (三上章著作集) 作者:三上章 くろしお出版 Amazon 三上さんの名を一躍広めることとなったのが、

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    ot_nail 2023/03/27
  • 悪文  伝わる文章の作法 「人の世を作ったものは・・」   - 京都案内  こうへいブログ  

    前回に続き、文章表現の上達を目指して読み漁ったの中から、非常に有益だったと感じた一冊をご紹介します。 【「悪文」 岩崎悦太郎 編著】 伝わる文章の作法をテーマに、8人の著者の執筆による個々別々の章で編成された異色の文章読です。 悪文 伝わる文章の作法 (角川ソフィア文庫) 作者:岩淵 悦太郎 KADOKAWA Amazon 読み手がわからない、または、わかりにくい「悪文」が出来上がるのは何故なのか。その表現のいったいどういう所に問題があるのか。 たとえば、たった一つの助詞の使い方で悪文の仲間に入らなければならない場合もあるといいます。 悪文と言われるのが、言語表現上でどんな欠点を有するためであるのかを、著では、世に出ている悪文の例文を用いて具体的に示されています。 どのような点に注意すれば悪文という範囲から抜け出せるのかを、具体的にピンポイントで指摘して見せてくれているんですね。 「

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    ot_nail 2023/03/09
  • 日本語の作文技術  よく柿食う客がとなりの客だ - 京都案内  こうへいブログ  

    ちょうど3年くらい前にブログを始めたのですが、出来上がったものを読んで愕然としたのを覚えています。 タドタドしいといいますか、言葉足らずといいますか、とにかく読めたもんじゃなかったのです。 今もたいして進歩していないのですが、なんとなく助詞の使い方くらいは理解出来てきたのではないのかなとは思えるようにはなりました。 これではダメだ。なんとしても、上手く伝えられる文章が書けるようになりたい。出来れば読み手がスラスラと流れるように読める文章を書ける人になりたい。 当時、そう思った私は、文章表現を上達させることが出来ると謳われている書籍を片っ端から読み漁りました。 そして気づいたのですが、多くの著者たちは「文章を上達させるにはこうすればいいのだ。なんて大それたことはとても言えませんが、このが少しでも参考になれば」という謙虚な言葉とともに、自身がおススメする文章上達のための必衰を紹介しているん

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    ot_nail 2023/02/17
  • 大通寺  西八条禅尼 源実朝と過ごした日々 - 京都案内  こうへいブログ  

    京から鎌倉へ 享年28という若さでこの世を去ってしまった源 実朝(さねとも)。 その鎌倉幕府・第三代将軍のわずかな生涯に、より添うように生きた一人の女性がいました。 彼女の幼名は千世(ちよ)といい、出家後には、「西八条禅尼」(にしはちじょう ぜんに)と京の人々に呼ばれることになります。 千世の父は、大納言まで出世した公家の坊門信清であり、都の屋敷から実朝のもとへと旅立つ花嫁行列には垣根のような人波が出来ていました。 それは元久元年(1204)冬のこと、関東の武家たちに政権を奪われ、すでに十余年の月日が流れています。 見送る京の皇室や公家の人々の心中には複雑なものがありました。 というのも、泣き泣き故郷を出て、東方の武家に嫁に行く哀れな姫だと千世は同情されていたのです。 でも、この時の千世の心境は意外なものだったんですね。 そう、彼女はそんなか弱い女性ではなかったのです。常に行動的で前向きな

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    ot_nail 2022/09/30
  • 高山寺 「鳥獣人物戯画」 失われたエピローグ - 京都案内  こうへいブログ  

    謎多き国宝絵画 世界遺産・高山寺が所有する国宝絵巻「鳥獣人物戯画」。 漫画の元祖と名高いこの国宝戯画は、甲・乙・丙・丁という筆様の異なる4巻の絵巻で構成されています。 擬人化されたウサギやサル、カエルなどが自然の森の中で戯れるさまを描いた甲巻と、馬、牛、獅子などが写生的に表現された乙巻。 そして続く丙巻・丁巻は、あきらかに「後世に描き継がれた」と見られる筆様の異なる人物・獣物絵で表現されています。 つまり、4巻で一括りにされているものの、【甲・乙巻】と、【丙巻・丁巻】では、まったく異なった時代に制作されたものだったということがわかるのです。 【甲巻・乙巻】の成立は平安時代の12世紀中頃とされ、【丙巻・丁巻】が描かれた年代は、やや下って12世紀の末頃と想定されています。 作者は不明なのですが、当時の絵画界の中心にいたという、宮廷絵師や仏画を描く絵仏師たちであったろうと有力視されているんですね

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    ot_nail 2022/09/26
  • 元離宮二条城 この国に遺された最後の御殿 その障壁画とは  - 京都案内  こうへいブログ  

    唯一 遺された二の丸御殿 権力の転換、その確認を明示するかのように、都に、突如出現した葵の城、二条城。 慶長8(1603)年、すでに解体されていた豊臣秀吉の聚楽第に対抗するかのように建てられたこの城は、まさに、京都における徳川家の拠点のひとつでした。 拠点のひとつといっても、知恩院、南禅寺など、徳川家カラ―を残している寺院などとは規模が異なり、やはり、ここ二条城には特別な存在意義が感じられます。 桃山時代には城郭造営が発展をとげ、時代の記念というべき天守閣を中心に、丸御殿をはじめ多数の殿館が建ち並びました。 ですが、安土城、伏見城、大坂城など天下の覇者たちが創り上げたその名城たちは、二条城を除いてすべて現存していません。 そう、二条城の二の丸御殿だけが、寛永期からの「御殿」という形式をそのままに見ることの出来る日で唯一の殿館なのです。 その御殿の特徴とされる「書院造」は、室町時代の中期

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    ot_nail 2022/09/01
  • 桂昌院  遠くへ 西陣のお玉は江戸で将軍の母になった - 京都案内  こうへいブログ  

    江戸幕府第五代将軍 徳川綱吉 徳川綱吉の母・桂昌院は、ある悩みを抱えていたことで祈祷に通いつめていました。 息子の綱吉に後継ぎができないこと、つまり孫が授からないのは、自身の信仰心が全然足りていないからなのだと苦悩していたのです。 もともと信仰心の篤かった彼女は祈祷にますます熱中し、真言宗の僧侶の教えを恃みとすることになります。 ですが、そんな彼女の願いが叶うことはありませんでした。 将来的に、徳川六代将軍の座は、綱吉の亡くなった兄・綱重の子である綱豊(家宣)に引き継がれてしまうことになるのです。 徳川綱吉は為政を行っていた期間に、46家の大名を改易もしくは減封して、1300人の旗・御家人を処罰しました。 尋常ではないこのパワハラ行為があまりにも理不尽だったために、家臣を何だと思っているんだと、桂昌院は体を震わせて憤り息子に忠言していたといいます。 西陣のお玉さん 桂昌院の幼名はお玉とい

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    ot_nail 2021/03/11
  • 千本釈迦堂 奇跡の建築  高次とおかめ 君に出会えてよかった - 京都案内  こうへいブログ  

    そして堂だけが残った 有名な観光寺院では、堂、山門、講堂、塔というように、昔からの伽藍群のそのまま全てが揃って残されています。 ですが、京都のお寺には、町のなかに一部分だけが残されているというケースがじつは多いのです。 そして、その残されている一部分とは、ほとんどが堂である場合が多いんですね。 やはり、とりあえず一番大切な尊を祀る堂だけは、予算がなくても復興を急がなければならなかったからでしょう。 でも、堂だけが創建から一度も罹災することなく、およそ800年前からその姿をとどめた大建築が洛中にあります。 千釈迦堂の名で親しまれている大報恩寺。相次ぐ戦乱によって堂以外の建物は悉く焼失しましたが、安貞元(1227)年に建てられた堂は国宝に指定されているのです。 そして、お寺のある一帯は西陣というエリアであり、応仁の乱のときに西軍側の陣営部があったという、まさに激戦地区にあた

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    ot_nail 2021/03/04