2009年は、1609年の薩摩・島津氏による琉球侵攻からかぞえてちょうど400年の節目の年に当たります。この島津軍の侵攻事件は琉球にとって初めての本格的な対外戦争でした。これから数回にわたり、拙稿「島津軍侵攻と琉球の対応」(『新沖縄県史・近世編』沖縄県教育委員会、2005)をもとに、島津軍侵攻の過程と琉球側の軍事的対応についてみていきたいと思います(注1)。 【図】島津軍の侵攻経路(クリックで拡大) 1609年(慶長14・万暦37)3月4日、薩摩の山川港に集結していた80隻余りの島津軍船が琉球攻略を目指して出航しました。 島津軍の編成は大将に樺山久高、副将に平田増宗・肝付兼篤。鹿児島方・国分方・加治木方のほか北郷氏や種子島氏、七島衆などが加わった約三千の軍勢でした。この軍は島津家久・義弘・義久のグループで成り立った寄せ集めの混成部隊であり、内紛の火種を常に抱えていました。当時の島津氏は当主
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