ときは13世紀後半、の第五代皇帝フビライは、高麗を配下に収めると、その先の海上にある島国・日本に狙いを定め、1274年の「文永の役」、1281年の「弘安の役」と、2度にわたって侵攻してきました。 1度目の文永の役では、博多湾に上陸した蒙古軍は、伝統にのっとり一騎討ちで立ち向かう日本の武士たちを、集団騎馬戦術と新兵器の「てつはう」でさんざんに打ち破ったといわれています。博多市街も焼かれ九州は陥落寸前となるも、なぜか蒙古軍はその夜、全軍が撤退して船に兵を引き揚げ、そこへ暴風雨が直撃して壊滅し、日本は救われた――これが歴史の教科書にも書かれているストーリーで、日本にはいざとなったら神風が吹くという「神国思想」が生まれるきっかけともなりました。 しかし、なぜ蒙古軍が一夜にして撤退したのかは、じつはいまだに謎のままなのです。さまざまな説が唱えられてきましたが、科学的に考えると現実離れしたものばかりだ
![CGで完全再現したらわかった! 元寇で押し寄せた蒙古軍船の弱点(播田 安弘)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/79814bef9cf2a586335088006ba99b7b130b0bfc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F6%2Fd%2F1200m%2Fimg_6d989e8dfe4080369a7527a688a715fa353851.jpg)