菊地直子被告とは 菊地被告は1989年、高校3年生のときにオウム真理教に入信し、教団の中で化学兵器や薬物の製造開発を担当する「厚生省」という部門に所属していました。 スポーツが得意で足が速く、教団の名前が入ったユニホームを着てマラソン大会に参加し、教団のPR活動を行うこともありました。 ホーリーネームはエーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッターで、当時『走る爆弾娘』の異名を付けられていました。 そして1995年、地下鉄サリン事件が発生し、菊地被告はサリン製造の手助けをしたとして特別手配されます。 しかし捜査の目をかいくぐり日本各地を転々としながら、17年も逃亡生活を続けていました。 菊地直子被告の逮捕の経緯 菊地被告が逮捕直前まで住んでいた建物は、神奈川県相模原市にあり、内部の広さは25畳ほどでタンスなどの家具もありました。 菊地被告はここで1年半ほど当時交際していた男性と暮らしていました。