田中宏の論文を読んで、植民地台湾について持っていた、特に朝鮮と対比しての漠然としたイメージが崩れた。 田中によると、朝鮮における参政権要求運動では、基本的に本国議会への参加を求めたのに対し、台湾の運動においては、台湾議会の設置を要求しつづけたという。 1921年の第44議会から34年の第65議会まで15回にわたって、帝国議会への請願が繰り替えされている。 (田中宏「日本の植民地支配下における国籍関係の経緯」『愛知県立大学外国語学部紀要』9、1974.12) 独立運動が起った朝鮮ばかりでなく、台湾においても自治意識が強く、日本に対する要求も先鋭的であった。 拓務省管理局『拓務省所管各地域ニ於ケル思想運動概観』(昭6.3)は、以下のように述べる。 台湾ニ於ケル民族主義運動ハ大正九年欧洲大戦後ニ於ケル澎湃タル各種自由思想ノ潮流ニ会ヒ台湾人ノ胸奥深ク潜在セル民族意識ノ躍動トナリ「台湾ハ台湾人ノ台湾