(※この原稿は草稿のため、出版時には変更されている可能性があります) インターネットでお金をもらうこと ネット経由で名前も顔も知らない人からときどきお金をもらっている。そう言うと驚かれることが多いけど、「今お金がなくてこんなに困っててヤバい」とか「こういうことやりたいんだけどお金が足りないので誰かカンパしてください」ということを丁寧に説明すれば、結構もらえるものだ。一人あたりのくれる金額はそんなに多くなくて三百円〜千円ぐらいの場合が多いけど、それでも数を集めればそこそこの額になる。 募集方法としては、銀行口座やPaypalの口座の情報をネットに載せてそこからもらっている。お金以外にもアマゾンのほしい物リストを公開してそこから品物を送ってもらったりもしている。もらったお金と物の金額を合計するとニートになってからの五年間で四十万円くらいにはなっているだろうか。働いている人にとっては大した額じゃ
ソースはあの森毅なので真偽のほどに自信はないが、たとえばラ・フォンテーヌの寓話詩がたとえ事実と一致しなくとも(狂ったデモクリトスを診察したヒポクラテス、二人が親友になったというのは史実だろうか)人を真実に導く何事かを語っているように、この逸話も聞き留むべきものを備えているように思うので、いつのもましてうろ覚えのままに書き出してみる。 森毅は、晩年の湯川秀樹の人柄をしのばせるエピソードをいくつか紹介している。 最初のは森敦が森毅に教えてた話。 おそらく少人数を前にしての講義だったのだろう。 よくできる学生が、湯川が黒板で展開する数式に誤りを見つけた。 それを指摘すると、湯川はうーんとうなり、しばらく考えたが何ともすることができず、立ち往生してしまった。 それから「ちょっと待っとき」と言って、ぷいと教室を出た湯川は、しばらくすると岡潔(数学者)を連れて教室に戻ってきた。 「これなんやけど」 と
25歳で七大陸最高峰登頂の最年少記録を打ち立てた野口健さん。その後はエベレスト、富士山の清掃登山をはじめ、環境問題に取り組む活動家として知られ、最近では日本人戦没者の遺骨収集も行っている。常にパイオニアとして精力的に行動し、自らスポンサーを獲得し続けている野口さんの仕事哲学とは? 僕は落ちこぼれだったんです。父が外交官で、子どもの頃は日本、エジプト、イギリスで過ごし、海外では現地の日本人学校に通っていました。母がエジプト人だったこともあって、僕は日本語がなかなかうまく話せなかったんです。いじめられると言葉より先に手が出てしまって、どこに行っても問題児扱い。僕が小学校6年のときに両親は離婚したんですが、母が家を出てから親父がぐれちゃってね。いつも酔っぱらって帰ってくるんですよ。そんなこともあって、中学高校の6年間、僕はイギリスの全寮制日本人学校に入れられたんです。でも勉強が嫌いで、完全なる
がんばったけど、うまくいかなかったこと、 例えば、めっちゃアタックしてた人と、ついに付き合うことができなかったり、 例えば、最終面接まで行った会社に転職できなかったり。 うまくいかないのだから、当然悔しいのだけど、 結果、うまくいかなくてよかったのかもなあ、と 最近思うようになった。 改めて冷静になって、その人と自分を考えた時に、 「いやー、これは付き合ったとしても続かなかっただろうな」とか、 行きたかった会社の内情をひょんなことから見れた時に、 「いやー、これは入社しても合わなくて続かなかっただろうな」とか、 そんなことを思うことがよくあって。 しょっぱなからうまくいかないというのは、 それなりの理由があるのだから、 そこをくぐり抜けても、 「それなりの理由の正体」が待ち構えているわけで。 うまくいかなかったことは、うまくいかなくてよかったのかもしれない。 負け惜しみでも、皮肉でもなく。
"匿名遺書 今日 従業員の給料払って家賃も払って 残り銀行のお金は300万円しかない。 従業員は20人。明日あたりで会社も潰れる。 色々疲れた。 22歳から単身、会社をはじめて7年経った。 最初は1人の事務所で初めて途中からベンチャーキャピタルとかも入ってきて んでそこの狡猾なオッサンにだまされて金を奪われたり社員奪われたり メチャクチャな目にあってもまだなんとか会社も続けてきた 俺の会社のやってることが、はてブの上位に食い込んだ事もあるんだゼ でも、もう限界。 不況パネエw本当にパネエ 不況だと言われていた2005〜7年は甘かった。 ぜんぜん景気よかったわ もう会社の資金も底をついた。 まあ、今月はかね払ったし、みんな許してくれよ。 労働局にいけば補填されるしさ。 さて、俺はといえば、母ちゃんにおいしいもんごちそうして 今夜これから死にます。 色々なものに負けたんだなあ。 みんなもオッサ
光市母子殺害事件被告人死刑確定の報がでましたね。 私の叔父は殺害事件の被害者です。 姉や私が生まれる前に友人であったとされる男に殺されました。 殺害事件遺族である父や祖母を間近に見てきた身として ひとつだけ伝えたい事がありマンガにします ここで死刑制度について語るつもりはありません。 ただ、遺族は、加害者が生きているというただその一点の事実によって、 大きな絶望を強いられているということを知って欲しかったのです。 愛する人が不条理に殺され、その加害者が社会の中で生きている という事実はそれだけで大きな絶望を与えるのだと 知って欲しかった。 いつも実家に帰ると父の書斎机の上に他界した叔父の 写真が飾られてあります。 とてもいい顔立ちをした青年です。 本の虫だった父とは正反対で外で遊ぶことを好み、 考古学が趣味であり、 どんな人でも受け入れることができる大らかな心を持っ
41歳の日本人の男はいかに生きるべきか。その社会通念は、日本の中でも住む地域や所属する社会階級によって異なるのかもしれない。私は、東京のいい大学を卒業したので、同級生たちはたいてい大企業や役所で働いている。多くは家族を持ち、仕事に子育てに忙しく暮らしている。かつて、同じような立場で生活していた私は、いつしか彼らと遠くかけ離れた人生を歩むようになった。 私は大学を卒業して入った都市銀行を半年で退社。1年間フリーターを経験した後は、ずっと IT 技術者としてメシを食ってきた。私は零細ソフトウェアハウスの技術者としてスタートしたので、当然ながら、孫請等の仕事が多かった。いわゆる下流の仕事だ。昔は、B2C のウェブサービスなんて存在しなかったから、大企業の社内システムを構築する仕事が主だった。2005年あたりに、インド系ソフトウェア会社でブリッジエンジニアのような仕事をした後、ウェブ制作業で独立。
ちょっと気になる記事を読んだ。ブコメでは文字数が収まりきれなかったのでここに書く。ちょっと昔話も添えて。 気になった記事は次のエントリ。 文系の研究者になりたい人達に知っておいてほしいこと - bluelines もちろん、リンク元のエントリは大学教授さまの、こちらはうつ病ニートの書いたもの、どちらが有意義なエントリかは一目瞭然である。まあ、そもそも言いたいことが違うのだが。 自分が大学院に進学した理由一言で言おう。単に研究がしたかったからである。もちろん綺麗ごとだ。でも半分厨二だった俺は、地元では中々の中堅企業からの内定を蹴って大学院に進学した。今思うと黒歴史の始まりである。 もちろん文系の大学院の就職率の悪さは知っていた。知っていても、その研究をそのときしたかったのだ。「後先考えながらいい研究ができるか!」あのとき俺は何かに酔っていた。 ここで言っておくと、当時の俺は猛烈な森博嗣のファ
それは、「自分がどう生きていきたいか」を理解しておくこと、そして選んだ道に自信を持つこと 「なんとなく」とか「成り行きで」ではなく、 「事情があるから」「仕方なく」でもなく、 こういう生き方がしたいから、 こうやって生きています! と言えること 世間の多数派や、現在のトレンドと違っていてもなんの問題もないです。 なんでもいいから、「自分はこれがいい!」と確信できる道を。 自分の選択について、他者に評価してもらう必要はありません。そんなの超無意味。 人生は選択の連続で、「何かを選ぶこと」は、「何かを選ばないこと」だから、 自分が選ばなかったものをいつまでも振り返らず、 選んだ生き方を楽しみましょう。 大事なことは「自分がどう生きていきたいか」わかっていること。自分自身がその選択に自信をもっていること というわけで、 私は今年もちんたらと・・・ そんじゃーね。
先日なんとなくテレビを見ていたら、カップルのインタビューが流れていた。 付き合ったきっかけはなんであるとか。 そこで不意に妻が「告白されたら嬉しい?」と聞いてきた。私は「嬉しいよ」 って答えたら、 「誰でも?」 「いや、誰って想像してるわけじゃないけど、告白されたら嬉しいんじゃない?」 って会話をしたら、妻がキレた。 「告白されたことないからわからない」とか「告白してくる人によりけり」とかって 答えるのが普通じゃない?あなたは普通じゃないんだよ。頭がおかしいんだよ。 普通の人はそんなことを言ったりしない。 あなたは自分のどこを相手が好きになると思ってるの?見た目?中身?そんなのないよね。 普通の人は、告白されたら、相手が自分の何を好きだと思うのか考えるんだよ。 そんなことも考えないなんて、ほんとに中身のない人だね。 そこから朝まで、現在~過去の女性遍歴についての文句を言われ続けました。 前
はてブ twitter delicious livedoor クリップ Tumblr Instapaper メールで送信 生活・趣味・旅行・創作 面白ニュース・2ch系 2010.11.01 0 のりお@エアロ 現在の日本人の平均寿命は80歳前後となっていますが、人生としての折り返し地点は20歳前後であるという説があります。その後に60年もの年月が残っているのに、これはいったい? 622 名前:以下、VIPがお送りします[] 投稿日:2010/10/17(日) 22:25:36.94 ID:12IQ2467O 0歳~20歳までの体感時間と 20~死ぬまでの体感時間は等しい 637 名前:以下、VIPがお送りします[] 投稿日:2010/10/17(日) 22:38:25.32 ID:byvYR4Q20 >>622 なんか聞いたことあるな。 年を重ねるごとに比例して体感時間が短くな
■感情を操って論理的な決断をさせる 人を操る一番簡単な方法は、その人の感情を操ることです(アメリカ人は特にそうだとか)。人間は長時間考えさせられると、論理的な選択をする傾向にあります。 自分にとって得な方の選択肢を、相手に「これが正しい選択なんだ」と、感覚的にでも信じさせることができれば、相手は自分で考えて選択したのだ、と思い込むのだそうです。感情を操る方法というのは、多かれ少なかれこのようなロジックに基づいています。 ■自分の感情をコントロールする 相手の感情をコントロールしようとする人間は、自分の感情もコントロールできます。状況に合わせて涙を流すのも、激昂してみせるのも、どちらも相手の感情をコントロールために必要なのです。 相手に共感させたり、恐怖心を抱かせたり、必要に応じて相手の感情を自由自在に操るためには、自分の感情をコントロールすることが重要になります。自分の感情がコントロールで
たまには脈絡のない雑談でも。 最近、よく人間の「野心」と「引き際」ということについて考える。ぼくにはあまり縁がない言葉だが、世の中には野心とか大望とかいうものを抱いて生きているひとがいる。 そういうひとたちは、その大きな望みに突き動かされるようにして活動しているものだ。ある地位を得ればそのさらに上の地位を望み、ある栄誉を受ければまたさらに大きな栄誉を願い――かれは(「かれ」とは限らないが)そうやって生きていくだろう。 しかし、当然、身の丈に合わないサイズの野望を抱けば身を滅ぼすことに繋がりかねない。そこで、自分がどこまでできる人間か、冷静に見極めることが必要になるわけだ。 ただ、そうやって自分を客観視することは、地位が高くなり、栄誉が大きくなり、野心が肥大化するほどにむずかしくなっていくのではないだろうか。 初め、何も持たない頃はほとんどのひとが小さな達成で満足できると思う。しかし、大きな
今日から会社に出社せず、在宅勤務ではてなの仕事に携わることになりました。徐々に担当する業務を少し減らして、新しい人に引き継いでもらうつもりです。(とはいっても、これまで通りメルマガや広報ブログ、ココ通信、うごメモはてなニュースなどは引き続き担当し、必要に応じて出社することになりそうです。)このところ、ご存知のようにはてなは古くからいるメンバーが徐々に会社を去っています。理由は様々であれ、色々な形で人が去りつつあります。id:kawasakiが常駐勤務を辞して社外取締役になり、id:secondlifeが退職し、そして昨日付けでid:naoyaもはてなを去って、たしかにはてなは今までのはてなではなくなりました。古くからのはてなを知っている人は、その変化に「大丈夫?」と思われるかもしれません。実際、私もid:naoyaがいなくなることを知り、大きな虚無感に襲われました。今もそのショックは癒える
大学院で懸命に研究してたが就職活動が上手くいかず泣く泣く中小企業に就職した人も多いのではないだろうか。 僕もその一人です。そんな僕が化学系の中小企業に入社して2ヶ月経ったくらいの感想を書こうと思う。 まず、大学院では頭の回転の早い教授と助教、外国人の博士研究員、博士課程の生徒など、自分がどうやっても追いつけない様な頭の持ち主たちと研究をしていた。もちろん、後輩の学生も勉学に励み日に日にレベルを上げていった。そんな環境の中で、非常に高価な機器を使いつつ、自惚れかも知れないが世界最先端の研究をしていたと思う。 だけど、僕は就職活動でつまづき、同期生たちは日経225に入っている様な大企業に入社していった。僕の場合、リーマンショック云々より自分自身の準備不足が原因だとは思う。 で、とある中小企業に就職して2ヶ月経ったのだが、その企業の技術のレベルの低さ、設備の貧弱さに驚いた。 高校の化学すら理解し
昔、ヒモ飼ってたんですよヒモ。 まぁ、その当時ヒモが18歳で私が28だからあれから10年。私気づいたら38やっちゅーねんな。 当時そのヒモは地元の国公立大学に通わない(入学以来三日くらいしか登校してなかった)大学生で 私は金融系のOLだったんだけれども。流石の私もうっかり家に住み着かせてしまったことをえらく後悔した。 まず、ヒモは働かなかった。(ヒモなんだから当たり前だが) ビタイチ働かない。親とは大学の単位を一つも取得していないことがバレて以来 大変に険悪になったらしく、家にも帰ろうとしない。 「結局、金がなければ遊びたい一心で働くだろう」と思ってお小遣いを断ってみたりもしたが、全く効果なし。 ショルダーバッグにみっしり詰めて来たこ難しげな本やらなんやらをひがな一日読んで、全く動かない。 「お金はあればいいけど、なくても別にいい」というヒモだった。 ヒモ、こうして書くと無気力の権化みたい
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