タグ

2011年6月18日のブックマーク (3件)

  • 源高明 - Wikipedia

    系譜[編集] 父:醍醐天皇 母:源周子 - 源唱の娘 :藤原実頼の次女(?-947) :藤原師輔の三女(934-962) - 源俊賢の母 男子:源忠賢 - 忠賢の長男源致公は清和源氏源満季の猶子となる。 男子:源惟賢 男子:源俊賢(959-1027) 女子:為平親王室(951-?) :愛宮(941-?) - 藤原師輔の五女 男子:源経房(969-1023) 女子:源明子(965?-1049) - 盛明親王養女、藤原道長室 :源泉の娘 生母不明: 男子:源致賢 女子:藤原正光室 女子:源重信室 女子:藤原相尹室 子のうち長男の忠賢と致賢は安和の変で出家したが、俊賢と経房は後に政界で昇進して活躍している。また、娘の明子は藤原道長のとなった。 著作[編集] 『西宮記』 - 当時の儀式・年中行事の式次第・内容を詳細に記した有職故実書。平安時代中期の宮中儀礼の様子を知ることができる一級史料

  • http://www5b.biglobe.ne.jp/~freema/genji/zakkiH6.htm

  • 源融 - Wikipedia

    源 融 小倉百人一首第14番・河原左大臣 源 融(みなもと の とおる)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨天皇の第十二皇子 [1](嵯峨第十二源氏)。嵯峨源氏融流初代。河原院、河原大臣と呼ばれた[2]。 経歴[編集] 仁明朝の承和5年(838年)元服して正四位下に直叙され、承和6年(839年)侍従に任ぜられる。仁明朝末の承和15年(848年)右近衛中将に任ぜられると、嘉祥3年(850年)正月に従三位に叙せられ、29歳で公卿に列す。文徳天皇の即位後の同年5月に右衛門督に任ぜられて引き続き武官を務め、斉衡3年(856年)参議に昇った。 清和朝に入っても、天安4年(859年)正三位、貞観6年(864年)中納言と順調に昇進する。同年3月から貞観11年(869年)1月までは陸奥出羽按察使も兼任した。この頃、異母兄の左大臣・源信と大納言・伴善男が不和の状況にあったが、同年冬には源信が融・勤兄

    源融 - Wikipedia