源 高明(みなもと の たかあきら、延喜14年〈914年〉 - 天元5年〈983年〉)は、平安時代中期の公卿。醍醐天皇の第十皇子。官位は正二位・左大臣。 一世源氏の尊貴な身分に加えて学問に優れ朝儀にも通じており、また実力者藤原師輔やその娘の中宮・安子の後援も得て、朝廷で重んじられた。師輔・安子の死後、藤原氏に忌まれて安和の変で失脚し、政界から退いた。京都右京四条に壮麗な豪邸を建設し、西宮左大臣と呼ばれた。 延喜20年(920年)7歳で源朝臣姓を与えられ臣籍降下する。朱雀朝初頭の延長8年(930年)无位から従四位上に直叙されると、承平2年(932年)正四位下と急速に昇進し、大蔵卿を経て、天慶2年(939年)参議に任ぜられ弱冠26歳で公卿に列した。 議政官として大蔵卿・衛門督を兼帯し、天慶9年(946年)村上天皇の即位に伴って従三位に昇叙され、翌天暦元年(947年)権中納言に昇任される。当初、