立憲政友会(りっけんせいゆうかい、旧字体:立憲󠄁政友會[15])は、明治時代から昭和時代(戦前)にかけての日本の政党。略称は政友会(せいゆうかい)。 立憲民政党とともに1925年から1931年にかけて衆議院において二大政党制を形成した[16][17]。 概説[編集] 1900年(明治33年)、政党内閣制の確立を企図した伊藤博文の議会与党として、結党された。結党直後の第4次伊藤内閣を筆頭に、数代にわたって内閣を組織して政権を担った。1939年(昭和14年)に分裂して革新派(中島派)・正統派(久原派)・中立派(金光派)の鼎立状態となり[注 1]、1940年(昭和15年)7月16日に正統派と統一派(中立派の後身)が解散し、同年7月30日に革新派が解散したことにより解党となった。 政友会の特徴は同党の成立趣意書にもあるように、「余等同志は国家に対する政党の責任を重んじ、専ら公益を目的として行動」
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