来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
エントリタイトルは2ちゃんのパクリ*1。 なんかもお新風連の連中はわざとやってるとしか思えなくなってきたんだけど。 慰霊祭に参加した支持者が送ってくれた川崎市内の画像をご覧頂きたい。 レストランのメニューに「犬食」の献立が記載されているのが分かるだろうか。 犬を食するのは支那・朝鮮半島の文化だが、かの地に住む者らが何を食そうとも日本の文化とは到底相容れない。 特に犬好きの人に聞いてもらいたいことだが、在日朝鮮・韓国人と共生するということは日本国民が、こうした文化をも「許容しなければならない」ということである。http://s01.megalodon.jp/2009-0627-0955-22/blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51358212.html で,その画像ってのが, これなんだが。 ……どう見ても「パトラッシュという店が作ったミートローフ」で
ちょっと前だけど北原みのり氏のブログの記事 http://www.lovepiececlub.com/kitahara/2009/06/post-173.html でちょっと盛り上がった時期あったじゃん。 これのはてブとかダンコーガイのエントリを見て思ったんだが 「こうあるべきだ」と、「それはそれとして、現実にはこういう馬鹿がいるから対応せねばならん、やれやれ」 ってのを混ぜてる人多くね?なんか齟齬はそこから生まれてる気がすんだ。 なんつーのか「法的な議論」とか、「根本的な倫理議論」と、 「カオスな現実に対するサバイブ法議論」は違うやろと。 で、前者の話をしてるのに、「そんなりろんは男の性欲に通用しない」とか「レイピストにそれは通用しない」とか言ってる人が多々いる。 だからそういう話じゃねぇ。 別に多分北原みのりって人も「だから対策なんてなしで!」なんて言ってないし多分そんな気もねぇよ。あ
全員が欠席ゼロの皆勤を達成した一宮商の1年D組 クラス全員、欠席させない――。千葉県立一宮商業高(一宮町)から県立勝浦若潮高(勝浦市新官)に1日付で赴任した鈴木幹男教諭(36)のモットーだ。一宮商で一昨年度担任した3年生、昨年度の1年生と2年続けてクラス全員1年間欠席ゼロを達成。勝浦若潮高でも「学校を休むな」と指導するという。 「社会に出ると、少しぐらい体調が悪くても仕事を休めない。学校で休まないことを身につけさせたい」 鈴木教諭は一宮商で05年4月からクラス担任となり、クラス全員が欠席しないことを目標に掲げた。病気になることはあり、実現はなかなか難しかったが、07年度の3年B組、08年度の1年D組で達成できた。 入学式のホームルームで生徒と保護者に「学校に来ることはみんな平等にできる。今日から始めよう」と呼びかけるのが恒例となった。1年D組では、入学式からまもなくして、頭が痛いの
ブログを始めて、もうすぐ3年になるのですが、始めて初めて、こんなにたくさんのアクセス数とブクマコメントをいただきました。わおー! ブクマ200とか超えちゃってますよー。わおー。「在日特権」という言葉をつかうと、これだけの人が集まってくるんですね。めっちゃ「特権」的な魅力のある言葉のようです。ハッキョのみなさんが読んだら、きっと、Fちゃん、なんかめちゃくちゃ書かれてる、だいじょーぶ?と心配されそうなので、だいじょーぶですよー、と言っておきますね。 いやー、日本の人口が約1億2千万人でしたっけ。でもって「在日韓国・朝鮮人」の人数が約60万人、つまり、日本の人口に対する「在日」の割合は。200:1になりますよね。それを思うと、わたしという「在日」のひとつの文章に対して、200人くらいのコメントがつくのは、まあまあ妥当な感じというところでしょうか。でもって、ざっと読むと「在日」に対して理解のあ
わたしは、いつも、何ものでもなく、ただ「わたし」でありたいと願っているのですが、でも、わたしが何ものでもなく「わたし」だと思っているものは、本当に何ものでもない「わたし」であるのか、いつもわからなくなります。 わたしは、今、朝鮮舞踊とチャンゴを習っています。舞踊のほうは、今年で四年目で、チャンゴの方は、習い始めてまだ一年しか経っていません。どちらも難しいですが、でも、習い始めてよかったと思っています。踊りを習い始めたきっかけは、オモニたちのように「オッケチュム」を踊れるようになりたいな、そして、わたしも、オモニたちと一緒にほがらかな顔で楽しく「オッケチュム」を踊りたいな、そう思ったことでした。「オッケチュム」は、オッケ(肩)をつかって自由に踊る踊りで、もともとは、どこかに習いに行くというような、形式ばったものではないように思います。むしろ、そういう形式性とはもっともほど遠い、ひとりひとり
昨日の続き。『情況』3月号の「田母神論文の批判的考察」批判シリーズは、あと一回で終わる予定です。 論理のターミネーター 最後の論文は、加々美光行の「竹内好の視座から見た田母神論文 ―日本社会の無思想性の意味を考える―」。なんていうか、タイトルから終わってます。 加々美 「田母神論文を考える場合・・・本質的に日本における思想そのものの問題として考えねばならない・・・僕の目から言うと、今の日本社会はかなり高いレベルで無思想の社会と云えると思うのです・・・思想とは何かと言うと・・・それは・・・人間が一生を生きていくうえで、その根拠となるものと云ったものですね。それが失われていった。田母神論文を見ても分るように、思想といったものは何も感じられない・・・」*1 加々美は、田母神論文を始め、右翼や、秋葉原の無差別殺傷事件、元厚生次官殺害事件、ワーキングプア、フリーター、オウム、歴史修正主義、中国の反日
われわれの主張に関して、誤解がまんえんしているようである。おそらく、われわれの正体をあらわにすべきときがきたのだろう。 異性愛者だと思いこんでいるものたちよ。われわれをみてなつかしくないだろうか? そうなのだ。われわれは、諸君が異性愛者としてほかのものとの境界線が引かれたときに排出されたくずである。諸君はこの排泄物にクイアという名を与えた。 ながいとまどい、くるしみ、涙、怒り、絶望、彼や彼女やあいつの死をへて、われわれは立ち上がった。そしてながいとまどい、くるしみ、涙、怒り、絶望、彼や彼女やあいつの死にいたった。そしてまた立ち上がり、なぶり殺され、嘲笑され、あるいは「尊重」されてきた。 そしてまたわたしたちは立ち上がった。 これまでと同じように、目的はただ一つだ。 異性愛を殲滅し、クイアを解放することである。 間違ってはならない。われわれは、男・女・ゲイ・レズビアンというリストに加えよと要
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