アメリカの対ドイツ戦略爆撃計画は開戦前に策定されたAWPD-1に沿って準備され、開戦後にAWPD-1942で軌道修正されたものです。AWPD-1は戦前からのドーウェ思想を体現した戦略爆撃論の原則を体現したもので、その目標選定は電力関連施設、輸送システム、石油関連施設の破壊、そして国民士気の崩壊に置かれています。AWPD-1はこうした着想をアメリカ自身の工業と経済社会の分析から導き出し、それを応用してドイツの戦争継続能力を根本的に破壊することでもし可能であれば地上軍の大陸反攻を行わずに戦争に勝利する可能性も想定していましたから、いってみれば戦略爆撃の理想のような計画です。 これに対してAWPD-1942は大陸への地上軍侵攻を前提として、そのための航空優勢を確立することをテーマとしています。そのために目標選定は航空機組立工場、発動機工場を第一に置き、航空燃料の供給を絶つために石油関連施設を叩き
これまで主に攻撃ドクトリンを中心に紹介してきましたが、こんどはちょっとだけ、防御ドクトリンの変遷を追っかけてみたいと思います。 華々しい攻撃ドクトリンでさえ大きく誤解される傾向にありますが、ことに防御ドクトリンとなると正確な紹介が行われることは極めて稀です。防御という地味な分野であることも確かですが、「わかりやすい歴史の流れ」から少しだけ離れたところで考えられ、実行されて来たものですから「戦車の登場」とか「新しい戦争のパラダイム」といった際立った話の輝きを割り引いてしまう趣きがあるからかもしれません。 たとえば第一次世界大戦では因習的な塹壕戦のセオリーに支配されていたところに戦車という革命的な兵器が新しい戦術思想の萌芽とともに登場して旧い戦術思想を一蹴しつつあった・・といった認識の下では、当時の防御ドクトリンは語るに足らない平板で旧式な過去の遺物に見えてしまいます。 けれども第二次世界大戦
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