第3章 技術屋の意地、新たなる挑戦 世界初のラテックス製コンドーム開発に成功した岡本巳之助は、勤めていたゴム工場を退社。家財道具いっさいがっさいを売り払い工面した金で「岡本ゴム工業」を立ち上げた。 昭和9年2月4日。巳之助、27歳のときである。 ラテックス製コンドームの評判は上々だった。高い品質とかつてない肌触りに、岡本製コンドームは飛ぶように売れた。間借りしていた工場は増築につぐ増築。翌年には荒川土手沿いの平井(江戸川区)に、本社工場を建設した。岡本ゴム工業は瞬く間に中堅ゴムメーカーへと躍進していった。 だが、時代は急速に不穏な空気を醸し出していた。昭和8年、日本は国際連盟を脱退。昭和11年、二・二六事件、そして昭和12年7月7日、蘆溝橋事件を端に日中事変が勃発。日本は泥沼の戦争へと突っ走っていった。時代は風雲急を告げた。 この時代、ゴムは重要な軍事物資だった。戦闘車両のタイヤや防水カバ