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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (3)

  • 小公女 (バーネット フランシス・ホジソン・エリザ)

    イギリス、マンチェスター生まれ。幼少の頃より妖精物語を好み、想像力の強い子どもだったが、アメリカ南北戦争による不景気で家業がつづかなくなり、家計を助けるために小説を書き始める。1868年「心とダイヤモンド」が雑誌に掲載されたのを皮切りに、通俗小説を多産し、新人作家として注目されるようになる。1886年、雑誌に連載していた「小公子」を単行として米英で出版したところ、ベストセラーとなり、1908年「小公女」、1911年「秘密の花園」を発表して児童文芸作家としての地位を確立した。これらの児童小説は何度も舞台化、映画化され、日では若松賤子の翻訳やアニメでよく知られる。(大久保ゆう) 「フランシス・ホジソン・バーネット」

    小公女 (バーネット フランシス・ホジソン・エリザ)
  • 島崎藤村 千曲川のスケッチ

    序 敬愛する吉村さん――樹(しげる)さん――私は今、序にかえて君に宛(あ)てた一文をこの書のはじめに記(しる)すにつけても、矢張(やっぱり)呼び慣れたように君の親しい名を呼びたい。私は多年心掛けて君に呈したいと思っていたその山上生活の記念を漸(ようや)く今纏(まと)めることが出来た。 樹さん、君と私との縁故も深く久しい。私は君の生れない前から君の家にまだ少年の身を托(たく)して、君が生れてからは幼い時の君を抱き、君をわが背に乗せて歩きました。君が日橋久松町(ひさまつちょう)の小学校へ通われる頃は、私は白金(しろかね)の明治学院へ通った。君と私とは殆(ほと)んど兄弟のようにして成長して来た。私が木曾の姉の家に一夏を送った時には君をも伴った。その時がたしか君に取っての初旅であったと覚えている。私は信州の小諸(こもろ)で家を持つように成ってから、二夏ほどあの山の上でと共に君を迎えた。その時の

    powerhouse63w
    powerhouse63w 2007/03/02
    老理学士として鮫島晋先生の事が描かれている
  • 寺田寅彦 科学者とあたま

    私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。 「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧(あいまい)不鮮明から生まれることはもちろんである。 論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密(ちみつ)な頭脳を要する。紛糾した可能性の岐路に立ったときに、

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