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物語に関するprimafluegelのブックマーク (277)

  • MORI LOG ACADEMY: 再び「すぎ」について

    WEB Davinci Last update 20 Jun,2004. WuƂɂ͏cDɊ҂BvԊO WuguKN̍hɕqȕ|͂ǂꂾHvԊO eWB fڎ҂ɂ͒IŐ}v[gI ̃v`i{ 6/5UP cȐ̖{oł�Â錻݁A ̒{ɂ낢{ɏo̂͂ȂȂނB vĂǎ҂݂̂ȂɁA_EB`ҏW Acホテル東京銀座 東京都 Anaインターコンチネンタルホテル東京 東京都 Bellustar Tokyo, A Pan Pacific Hotel Bulgari Hotel 東京都 Hotel Indigo Tokyo Shibuya Hotel Toranomon Hills, The Unbound Collection By Hyatt 東京都 N Plus Hotel Higashi Asakusa 東京都 The Aoyama Grand Hotel 東京都 THE GATE HOTEL 東京

    primafluegel
    primafluegel 2008/08/16
    「本格ミステリにおける論理とは、ロジックではなくレトリックである」(by氷川透)/読者を納得させうる程度の「論理っぽさ」を具備した詭弁こそが本格ミステリの醍醐味の一つだと思う。
  • 犯罪なんか忘れた方がいい

    記憶の風化は世界の平和を守る自動装置。 80年代以前は凶悪犯罪をどんどん忘れ去っていたのに、90年代以降は事件をいちいち覚えているから、雁字搦めの方向へ社会が変化しようとしているのだろう。「実効性のある対策」がまとまる前に事件は風化していく世の中の方がいい。記憶が生々しいから、副作用を恐れず対策の実効性を重視することができてしまう。 中高生が教師を殴って病院送りにしたり窓ガラスを割ったりバイクで暴走したりして楽しんでいた時代を忘却して、みんな不幸になったのか。最近の学校が(当時と比較して)平和なのは、悲惨な過去を覚えているからではないと思うのだが、どうか。 *備忘録2008年6月に関連記事があります。「Whydunitには興味ない」ほか Information Old:他人事なら、どうでもいいんだね New:ブログ投稿の面倒くささ 注意書き 筆者は徳保隆夫(とくほたかお)です。1980年愛

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • ばあちゃんと自転車

    俺、老人苦手。 「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。 老人慣れしてるヤツってスゴイ。 電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。 年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。 敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。 胃が痛くなる。 親がいなくなると、話題ゼロ。 田舎帰るの嫌い。 で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。 高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。 ところが、 去年、じいちゃんが死んだ。 葬式はさすがに帰省。 正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。 ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。 それから一年。 親父がいきなり 「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」 発言。 いやい

    ばあちゃんと自転車
  • 飛び降りる宮崎駿vs飛び降りない押井守 <リアリティコントロールの話>|HIGHLAND VIEW 【ハイランドビュー】

    高いビルから飛び降りたら、あなたは死にますか? そりゃあ死にますよね。だってにんげんだもの(みつを)。 ではアニメやマンガの住人はどうでしょう? 現実と同じく死んでしまうお話もあれば、地面に人型に穴があいてギャグになって終わり、というのもありますね。 その違いって一体なんなの? というようなお話。 こういった作品ごとに違うリアリティに対して、押井守は、 「作品のリアリティは、監督によってコントロールされるべきものだ」 とインタビューで話しておりました。 (出典はアニメスタイル2号の押井守インタビューですが、部屋のどこにあるのか見つからないので大意です) ここでのリアリティとは、出てくるキャラクターや背景が写実的なのか、という画だけの問題でなく、演出などを含めた作品全体で表現されるリアリティをさします。 つまり高いビルから飛び降りたときに、キャラクターが死んでしまう作品なのか、ギャグで済む作

  • 物語の階層操作によるマスタリング技法 - 蒼き月の囁き

    このブログは飲み会での自分語りです。自覚した上で書いてますので、生暖かい目で見てくださいねー。 俺は子供のころから物語を読むのが好きで、かなり多読でした。 いまは漫画の方が増えちゃって、は週に1冊に減り、漫画は10誌ぐらいを読みます。 だけど作品について人と話をするのは苦手です。 作者名も登場人物も地名も物語の詳細も忘れるからw 「なんでみんなあんなに覚えていられるんだろう」 と不思議だったけど、マスターをやり始めて5年ぐらい経ってその理由に気がつきました。 物語を下記の5段階に階層化します。学術的なことは知りません。俺ルールです。 表現 語り口、詳細形容 事象 誰が いつ 何を どこで どうした 類型 事象の「誰」「何時」「何」「どこ」から固有の情報を取り去り要素に置き換えたもの 元型 類型の人間集団に対する「働き」そのもの 要素 元型だとも言えるが「父」「永遠」「飢え」など行為からさ

    物語の階層操作によるマスタリング技法 - 蒼き月の囁き
  • ケータイ小説がノンフィクションを指向するのは、若者が差別対象を探しているからではないか? - ハックルベリーに会いに行く

    前々からなんとなくそう思っていたのだけれど、こういう記事を見て、ふとその思いを強くした。 差別とノンフィクションについて語った、二つの記事こういう記事とは、以下の二つである。 いいかげん「ブラクがいてよかったわ!」のおばさんのまねはやめないか、みんな - だんぺんぶこみっく - 断片部『一杯のかけそば』って『ケータイ小説的。』 〜いまの「リアル」はヤンキー文化と浜崎あゆみから:NBonline(日経ビジネス オンライン) 上の二つの記事は、細かい内容はリンク先を読んでもらいたいのだけれど、要点をかいつまんで説明すると、以下のようになる。 まず前者は、小林よしのりのマンガに「ブラクがいてよかったわ!」というおばさんが出てくるのだけれど、これを例に引いて、最近の差別にまつわる状況というものを語っている。このおばさんは、不幸な境遇にあって非常に苦労してるのだけれど、近くに住むいわゆる「ブラク」の

  • ライトノベルの書き方(ざっくりと) :: デイリーポータルZ

    世の中は夏休み…暑いですね。 学生の皆さんは、ボーッと過ごしてるんでしょうか。 休みをとっちゃったけど予定がなくてネット見ちゃってる大人の皆さんも、ボーッと過ごしてるんでしょうか。 たぶん、ほっておくと、夏はあっという間に過ぎてしまいます。 そこで今回、「夏休みの間に、何かしたいな」「何か書いたり出来ないかな」と漠然と思っている方に向けて、ライトノベルの編集をしている友人に「ライトノベルの書き方」を、ざっくり大雑把に聞いてきました。 いや、私個人が、「ライトノベルって一体何なんだろう」って前々から思っていたので、詳細を知りたかった、というのが、あるのですが――。 ---今回は宜しくお願いします。匿名ですが、私の後輩のC太郎くんです。 「C級C太郎と申します、ライトノベル作ってますー」 ---んで、Cくん。どっから話してもらいましょう…。そもそも、ライトノベルって…何? 「うーん、挿し絵付き

  • ヘッドフォン娘とは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな

    ヘッドフォン娘はヘッドフォンを着けた女の子全般をさす言葉である。 ヘッドフォンとはいってもいわゆる「イヤホン」などは含まず、特にオーバーヘッドヘッドフォンを着けた女の子のことをこう呼ぶ事が多い(ただし KOSS の THE Plug などを着けている場合は含むこともある。多少マイナーなものが好まれる)

    ヘッドフォン娘とは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    顔に見える?最近「送水口」が気になるという話 「送水口」が気になる今日この頃 最近街中で気になる存在、それがこの「送水口」です。地上のフロアが7階以上あるビルなど、一定の条件を満たした建築物には設置が義務付けられているもので、火事が発生したフロアにただちに水を送るために使われるものです。ポンプ車…

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  • 0015「泣きゲー」 - ハックルベリーに会いに行く

    アイデア1000ノック今回のアイデアゲームのアイデアです。正確にはアイデア未満だけど。 ゲームの内容最近「99のなみだ」というゲームソフトが出た。これは売れてるのだろうか? 評判が気になる。というのは、以前これと同じようなコンセプトのゲームを思いついたことがあるからだ。テーマは「泣くこと」。それを目的としたゲーム。そういうのができたら面白いのではないかと、以前考えたことがあった。 思いついたきっかけもうだいぶ昔に、松人志が「人間の感情の中で一番上等なのは笑いだ」みたいなことを言っていた。「だから笑いが一番難しいし、一番価値がある」という論を、まことしやかに唱えていた。この影響力は大きくて、以来、もう長いことお笑いブームが続いている。世間では、笑うことが一番高尚だと考えられるようになった。 しかし、もうそろそろそういう時代は終わりにしても良いんじゃないだろうか――と、ぼくは常々考えていた

  • 物語と利権 - レジデント初期研修用資料

    「この物語が広まって誰が特をするのかを考えましょう」なんて、道徳の授業でやってほしい。 「みんなで助けあいましょう」だとか、「高齢者を敬いましょう」だとか、道徳含んだ物語の読み聞かせ。 自分たちが子供の頃だと、「このときの主人公はどんな気持ちだったと思いますか?」とか、物語に 共感して、物語が来持っているメッセージを無批判に呑み込むことを強要されて、道徳の授業はおしまい。 それがどんな物語であっても、作家が「伝えたいこと」を抱いたその時点で、 その物語は利権から自由でいられないし、よしんば物語を書いた作家自身に、 そんな意図が無かったとしても、物語は、意図を持った誰かの編集から逃れられない。 「姥捨て山」の利権 知恵ある高齢者が窮地に陥った息子を救う「姥捨て山」だとか、孝行息子に奇跡が 訪れる「養老の滝」みたいな物語を広めたのは、今で言うところの「後期高齢者」の人達なのだと思う。 昔話は

  • セカイ系とは何か

    「セカイ系」というのは、その手の小説やマンガを知っている人には感覚的に わかる概念であるが、そうでない人にはなかなか説明しづらい。そのせいで、 人によって説明がけっこうバラバラだったりする。知っている人が見れば、そ れぞれの説明が同じ対象を別の角度から言い表しているものとわかるのだが、 知らない人にとっては分かりにくい。 ここでは、困難は承知の上で、セカイ系とは何であるか、できるだけわかりや すい説明を試みたい。 セカイ系は「世界を救う物語」ではないアニメやマンガなどでは、「世界を救う」物語が悪い意味で非常によく目につ く。そのため、セカイ系をこうした物語を指すものだと思ってしまっている人 もいる。半分は当たっているが、半分は外れている。 確かに、「世界を救う物語」にはセカイ系が多い。しかし、そうでないものも 多い。「世界を救うからセカイ系」というのは間違いであるということをまず 認識して

  • ミステリやファンタジーにおける「全能感と無能感」 - 三軒茶屋 別館

    ●主人公は万能感と無能感どちらに溢れているべきか?(日々是良日な日記) 正確に言うのならば、 「万能感溢れる主人公」と「無能感溢れる主人公」とのどちらが好まれるか? という命題としたほうがいいのかもしれないのです。 ネットの海をさまよっててちょっと面白いと思ったのでつらつらと。 まずこのテーマについては、米澤穂信が自作と照らし合わせて面白いことを述べています。 私が書くときに意識していたのは、「全能感と無能感」ということです。例えば「全能感」から「無能感」におちいる、あるいは「無能感」から「全能感」に引き戻ってくる。「手が届くと思ったんだけれども届きませんでした」とか、「見えると思ったんだけれども見えませんでした」みたいなことを書きたいと思っていました。この「揺らぎ」が成長の過程ではないかと思っていて、 (中略) 探偵を書くときに完全な名探偵にしてしまうと、話づくりとしては面白くないし、そ

    ミステリやファンタジーにおける「全能感と無能感」 - 三軒茶屋 別館
  • そのマンガ、本当にわかってる? - 絶叫機械+絶望中止

    よく歌手のインタビューなんかで、伝えたいことが先にあって、音楽はその手段にしか過ぎないのだ、なんて言ってたりしますな。おれはあれがどうにも解せない。いや、そういうひとがいるのはわかるし、音楽やめて作家になるのを見たりすれば「ああ、別の方法を見つけたんだな」と納得もできる。でもね、音楽をやりながら「音楽は手段のひとつ」って言うのはつまり「目的のためには手段を選ばない」という考え方の、もっともだめー、なやりくちじゃないかなあ、と思うわけである。 情報の高密度パッケージ ずっと「マンガはすげー」って話を書いているのであるけれども、改めてまとめてみると、当にすごい。何がすごいって、ほかのメディアには不可能な表現が目白押しなところがちょうすごい。しかも、マンガの描き方なんてのを読んでみると、そのすごさが全然意識されてないところがまたすごい、無意識ですごい、たぶん実作者と紹介者の違い、みたいな問題で

    そのマンガ、本当にわかってる? - 絶叫機械+絶望中止
  • イズミノウユキ「ヘブン・ノウズ・ハウ・ザット・ビジョン・イズ」を読んでの感想 - 三軒茶屋 別館

    ユリイカ2007年11月臨時増刊号 総特集=荒木飛呂彦 鋼鉄の魂は走りつづける 出版社/メーカー: 青土社発売日: 2007/11/26メディア: ムック購入: 5人 クリック: 886回この商品を含むブログ (130件) を見る●ユリイカの記事を振り返って - ピアノ・ファイア というわけで、いまさらながらユリイカのジョジョ特集号に掲載されたイズミノさんの論稿についての感想です(汗)。私は物語における”視点”というものに興味がありまして、イズミノさんの論稿もそうした観点・興味を中心に読ませていただきました。端的に言えば、「目で見て心で読む」が理論化された素晴らしい論稿だったと思います。 (以下、無駄に長々と。) 小説で”視点”といいますと語り手の立っている立ち位置のことを言うのですが、しかしながらこの視点という概念はもともと美術用語です。そして、マンガは小説と違って文字だけではなくて絵も

    イズミノウユキ「ヘブン・ノウズ・ハウ・ザット・ビジョン・イズ」を読んでの感想 - 三軒茶屋 別館
  • アイコ六歳 - 空中キャンプ

    私はマクドナルドべたことがない。音羽から竹橋へと向かういつもの帰り道、目白通りをゆっくりと走る車の窓から、赤地に黄色で大書きされたMの文字を眺めては、あれはいったいどんなべものなんだろうと考えを巡らせる。ガラス越しに見える店内には、座りごこちのわるそうな椅子や、いくぶん安定性に欠けたテーブルがあって、たくさんの子どもたちがハンバーガーをべたり、おまけについてきたプラスチックのおもちゃで遊んだりしている。そんなようすを見ていると、なんだか自分だけが取り残されたような気持ちになってしまう。私にはまだ知らないことがたくさんあるのだ。 私に会った人はみな、ずいぶんしっかりした話し方をする子なんですね、という。それがなんだかちょっと癪にさわる。もっとばかみたいな口調で話すとでもおもっていたのかしら。自分でこんなことをいうのもおかしな話だけれど、私ほど「自分は何者であるか」について考え抜いてき

    アイコ六歳 - 空中キャンプ
  • ぼくらのブクマ・ゲーム

    俺にとってのはてブは競馬なんかと似てる。 要は「どの馬(記事)が勝つ(『最新の人気記事』に載るか)賭けるゲーム」であって、 そこには「騎手(話題の属性)があいつなら間違いないだろう」とか 「あそこの牧場(ブログ主)のはとりあえず印つけとけ」みたいな加味すべき要素がいくつもある。 そーゆーのをまとめけば、大抵『命』や『大穴』の目星はつく。 ぶっちゃけ『命』は難易度の低い早押しクイズみたいなもので、 てきとーなブログに絞って張り込んどけば、勝てる。 でも俺が狙うのは『大穴』だ。 マイナーなブログやwebに埋もれた小さな面白記事。 大抵は大手のサイトに紹介されない限り、またたくまに消え行く一瞬の流れ星。 だからこそ、そういうのが「勝った」時が面白い。 賭ける時にリスクを背負わない分、見返りもまったくないギャンブル。 同じゲームなら、競馬ゲームの方がいいじゃん、と思われるかもしれない。 けれど

    ぼくらのブクマ・ゲーム
  • 3ToheiLog

    大学に出かける用があって、帰り道にカレー屋に入ったら、隣の客が有田しおんみたいな声で有田しおんみたいな喋り方をしていた。 あ、一応補足付け加えておくと、有田しおんというのは、アニメ版「鉄腕バーディ」でバーディが「頭悪そうなグラビアアイドル」を演じる時のキャラでありますぅ。 まあ、特徴としては、ややスローペースで 「えー」 「・・・ですよねえ?」 「・・・ですよねー」 を媚びるように連呼する。 自分の感情については擬音語で話す。 「それでキー!ってなっちゃいますよねえ」 「でもそれエー?ってかんじですよお」 「それってワー!ってかんじじゃないですかあ」 ってまあ、そんな感じのことなんですが。 ≫ 続きを読む:  "カレー屋の有田しおんが永劫回帰する"

  • カレーの一生 - 平民新聞

    この日記の日付とは微妙にずれているのだけれど、先月の25日(金曜日)早朝、近所の八百屋であれやこれやと材を買い込み、昼過ぎからカレーを作り出した。一人暮らしの部屋で、大鍋でカレーを作る、とはどういう事かというと、要するにこの先しばらくは毎日カレーだけをい続ける、という事である。鍋が半分、もしくはそれ以下にまで減るとまた新たに材を投入してしまうという自分の癖もあり、金曜日に作ったカレーはそのまましばらくのあいだ生き続ける事になった。これは材を畳の上に広げてから、カレーが出来、カレーべ続け、鍋が空っぽになるまでの、カレーと共に暮らした11日間の記録である。 と、大袈裟な口調で言ってみましたが、単なるカレーの写真日記です。カレーと関係ないものも入ってますが、毎日カレーだけをのっけ続けるのもあれかなーと思ったからです。晴れた日もあれば曇りの日もあり、途中で雪が降ったりもしました。あ、そ

    カレーの一生 - 平民新聞
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    素晴らしいセンス