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!興味深いとhistoryに関するprisoner022のブックマーク (21)

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第267回 リアルロボットアニメの終焉

    第262回「アニメファンが浅倉南を苦手な理由」で、1986年に、アニメファンやアニメ雑誌にとっての「TVアニメ冬の時代」が始まると書いた。今回はそれに関連する話題として、ロボットアニメの減少について触れておきたい。 放映数の推移については、データを見てもらうのがてっとりばやいだろう。第151回「ロボットアニメが多すぎる」でも話題にしたようにロボットアニメの数が一番多かったのが1983年だ。そこから数年間のタイトルをリストにしてみた。以下のように、TVで放映されるロボットアニメは減り続けた。 1983年にTVで始まったロボットアニメ (1)『亜空大作戦 スラングル』(国際映画社 1月21日〜) (2)『聖戦士 ダンバイン』(日サンライズ 2月5日〜) (3)『光速電神 アルベガス』(東映 3月30日〜) (4)『装甲騎兵 ボトムズ』(日サンライズ 4月1日〜) (5)『銀河疾風 サス

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    prisoner022 2009/12/11
    ロボットアニメとオリジナル作品の関係ですよねー。うん。
  • アニメイベントなどの特集記事 - 藤津亮太のテレビとアニメの時代 第11回 第1次アニメブームの補足ポイント

    第11回 第1次アニメブームに補足したい2つのポイント 藤津亮太 今回から連載は'80年代編に入る。 '80年代に入ってからの大きなトピックは二つある。一つは'85年の第1次アニメブーム終焉。もう一つは、'80年代後半以降の再放送枠の段階的な減少である。今後は、この二つを念頭に置きながら、番組表を見ていきたいと思う。 とはいえ今回からしばらくは、まだ第1次ブーム終焉以前、アニメブームが'81~'82年の頂点に向かっていく過程を追いたいと思う。 そしてそれに先だって、今回はまず第1次アニメブームについて語るときに「欠けてしまいがちが視点」を補足することから始めたい。 前回までの流れを踏まえ第1次アニメブームの立ち上がり時期のアニメの状況を簡単にまとめておくと次のようになる。 1、アニメブームは'77年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』を発火点として始まった。 2、その直前の'75年からロ

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    prisoner022 2009/12/05
    東映動画(現・東映アニメーション)は、ここからそれまでの永井豪(とダイナミックプロ)から、松本零士へと軸足を変えている。
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第262回 アニメファンが浅倉南を苦手な理由

    作品としてのアニメ『タッチ』の話は前回でおしまい。今日と明日は、ちょっと別の目線からの話だ。今回は「どうしてアニメファンは『タッチ』が苦手なのか」について書きたい。偏見や思い込みで、アニメファンについて書く事になってしまうかもしれないけれど、一度触れておきたかった。この場合は、アニメファンというよりは、アニメオタクと表記するべきかもしれない。以下に書く「アニメファン」とは、アニメを好んで観る人達の中でも、コアな人達の事だ。 勿論、放映当時、アニメファンの中に『タッチ』が好きだった人達はいた。ではあるけれど、世間的にあれほどの人気作だった事を考えると、その数は決して多くはなかった。放映後もあの作品に執着し続けたアニメファンとなると、さらに少ないと思う。思い返してみると、自分の周りにも『タッチ』が好きだという人間はあまりいなかった。 ここはアニメファンが『タッチ』が苦手だったという事にして、

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    prisoner022 2009/12/05
    1986年からTVアニメにおいて、アニメファンが喜ぶようなタイプの作品が激減/アニメファンやアニメ雑誌にとっては「TVアニメ冬の時代」/若者向けの作品であり、大人気番組であった『タッチ』が、非オタク的な作品
  • 雑記09-11

    ◇2009/11/28 ■今日のメカ絵 パト-2  ついか。 Gunder2009-1 ついか。 ■ためいき グーグルのウチの「類似ページ」を見ると、先日は以前にリンクを張ったえろサイト(ウ○トラままん)、今日は蛸と海・・・エ□いところばかりなのは何故だろう? ネットの意思? それともスーパーハカーのお遊び? 相変わらず謎ですが、いずれにせよ迂闊にそっち系のサイトにリンクを張りづらいので、おかげで今日もウチは健全なメカサイトです。 ◇2009/11/26 ■082の力は53htb はてブ数、チラホラ増えてるナ・・・一応「文章書き」としては多少認知されてはいるらしい様で実に有難いことです。とはいえネット全体から見れば蟻以下の存在でして、ちなみにダンコーガイは二十数万htbなので、月とスッポンというかウー□ンとフリ−ザです、あひゃひゃ。 ■HIGH-END ON THE SEED ht

  • 日本アニメーション - Wikipedia

    アニメーション株式会社(にっぽんアニメーション、英: NIPPON ANIMATION CO., LTD.)は、日のアニメ制作会社。日動画協会正会員。 概要[編集] 東京都多摩市和田に多摩スタジオを所有する(最寄り駅は京王線聖蹟桜ヶ丘駅)。近年、社機能も銀座から多摩市へ移転した。制作・版権の営業関係は関連会社を含め銀座7丁目(東銀座)の自社ビル「日アニメーションビル」と、近隣の「北海道文化放送銀座ビル」に拠点を構えている。 アニメ作品の企画を主に行っていた瑞鷹エンタープライズが、制作委託先の虫プロダクションの経営悪化を契機に、ズイヨー映像を創立し、作品の自主制作を開始する。その後1975年3月に同社の代表取締役に就任していた橋浩一らがスタジオと多数の従業員を引き連れ、新たに「日アニメーション株式会社」を設立。当時のアニメーション実制作部門を事実上承継、移管した[3]。ただし

    日本アニメーション - Wikipedia
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    prisoner022 2009/11/12
    不覚にも、今までズイヨーと日本アニメーションの関係を深く考えたことがなかった。ヤマトとハイジが裏番組だった事情は http://www.newyamato.com/nisizaki05.htm
  • ハイジ大百科---

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    prisoner022 2009/11/12
    「アルプスの少女ハイジ」を制作したのは「ズイヨー映像」であり、現在その権利を有するのは「瑞鷹株式会社」(ズイヨー)となっている。しかし一般的にはズイヨーについては謎が多い。
  • 機動戦士ガンダム30周年記念特集 - Yahoo! JAPAN

    ―じゃあ、1979年にはロボットアニメはガンダム1だったんですか? 「いや、申しあげたように、全作品を網羅しているわけじゃないから、そう決めつけるのは早計です。あくまで主流ではなかったムードを見て欲しかったんですね。実際には年表見るとわかりますが、日サンライズ(現・サンライズ)が東映からの発注で『未来ロボ ダルタニアス』を製作、3月から放映していましたし、10月からはタツノコプロダクションの『闘士ゴーディアン』も始まったので、ガンダム1というわけではないです」 ―でも、たった3ですか? 「この前の年、1978年に後世に影響の出る出来事がいくつかあったんですよ。一番大きかったのは、東映動画(現・東映アニメ)がロボットアニメをやめたことじゃないでしょうか」 ―『マジンガーZ』から始まったロボットブームは、東映動画作品がつくっていったわけですよね? 「そうなんですが、『マジンガーZ』以来

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    【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ

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    prisoner022 2009/05/23
    普通の青少年が現行の社会体制を覆すような確固たる価値観を自力で確立できるとは思えない/自分の能力を評価してくれる人間に好意を感じ無批判に師事/それがリアル/それを当の青少年に見せつけ/はなはだ不評を買った
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第126回 『うる星やつら オンリー・ユー』

    今回から1983年の話題だ。TVシリーズ『うる星やつら』放映開始から、1年半ほどたった1983年2月13日に、同シリーズの劇場第1作『うる星やつら オンリー・ユー』が公開される。押井守にとって、初の劇場監督作品である。 面堂やメガネ、あるいは弁天やお雪達のもとに、あたるの結婚式の招待状が届いた。しかも、あたるの結婚相手はラムではなく、エルという女性だ。その件で面堂達が騒いでいるところに、エル星からの使者が乗った宇宙船が飛来。使者は、あたるとエルが11年前に婚約していると告げるのだった。ラムは、エルより先にあたるとの結婚式を挙げるため、彼と両親、面堂達を宇宙船に乗せて、旅立つ。一同は、宇宙でラムの父親達と合流したものの、エル星の艦隊が襲来。ラムの星とエル星の全面戦争が始まるのだった。というのが中盤までの展開。後半はエル星が舞台になり、ドタバタ劇を展開。エル星では、相手の影を踏むのが婚約とイコ

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    prisoner022 2009/05/20
    自分も劇場で「オンリー・ユー」だけを見たような記憶があるなぁ。なんでかなぁ。
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第128回 『幻魔大戦』

    『幻魔大戦』は、1983年3月12日に公開された劇場アニメーションだ。トランシルバニア王国の王女ルナは、宇宙の意識エネルギー・フロイから、幻魔の襲来を知らされる。幻魔とは、宇宙に存在するあるゆるものを滅ぼそうとしている存在である。ルナによって、異星のサイボーグ戦士ベガが復活し、次いで日の高校生である東丈が、サイオニクス戦士として覚醒した。やがて、幻魔の侵攻が格化し、ルナのテレパシーに応えて、世界中のサイオニクス戦士が結集するのだった。 監督は、劇場版『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』を手がけた、りん・たろう、キャラクターデザインは大友克洋、作画監督は野田卓雄。原画に関しては、なかむらたかし、川尻善昭、大橋学、鍋島修、森晃司、梅津泰臣と、今の目で見ると、実に豪華なメンバーが並ぶ。クライマックスにおけるサイオニクス戦士と火焔龍の戦いを描いた金田伊功は、スペシャルアニメー

  • index02.html | 講談社BOOK倶楽部―本 :: 日中戦争から七〇年、国交正常化から三五年 (井上寿一)

    「ネット依存・ゲーム依存」の境界線とは? 生活破綻、病院レベルの確認を! 『ネット依存・ゲーム依存がよくわかる』 監:樋口 進 ひと目でわかるイラスト図解。なぜ、ゲームにそこまで熱中してしまうのか、さらにスマホが依存を加速。やめられない心理から最新の治療法まで徹底解説。

    index02.html | 講談社BOOK倶楽部―本 :: 日中戦争から七〇年、国交正常化から三五年 (井上寿一)
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    prisoner022 2008/12/31
    戦争は、資本家に対する労働者/地主に対する農民/男性に対する女性の、相対的な地位の向上(社会的平準化)をもたらすチャンスだった/社会システムの不調とは/今の日本のことでもある
  • 【雑談】アニメ様365日年表 - 編集長メモ

    第9回までの「アニメ様365日」の内容を時系列別にまとめてみた。()内はその年の自分の年齢。 1974年(10歳) ・10月『宇宙戦艦ヤマト』放映開始。だけど、放送は1回しか観てない(アニメ様365日 第5回)。 1976年(12歳) ・夏に「マンガ少年」創刊(アニメ様365日 第2回)。 ・12月6日発売の「マンガ少年」の1977年1月号で「特集 テレビアニメ この素晴らしい世界」(アニメ様365日 第2回)。 1977年(13歳) ・春に「月刊OUT」が創刊。2号で『宇宙戦艦ヤマト』特集(アニメ様365日 第9回)。 ・8月6日に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開。だけどこの時は観ていない(アニメ様365日 第5回)。 ・10月下旬に「月刊マンガ少年」の臨時増刊「TVアニメの世界」発売(アニメ様365日 第2回)。 1978年(14歳) ・2月号ではじめて「月刊OUT」を手に取る(アニメ様

    【雑談】アニメ様365日年表 - 編集長メモ
  • 富野由悠季と世界名作劇場シリーズの関係(または世界名作劇場監督・富野喜幸という可能性)

    関連記事 ■富野コンテについての小メモ(随時更新) ■富野由悠季全コンテ数(上) ■富野由悠季全コンテ数(中) ■富野由悠季全コンテ数(下-1) 前回は日アニメーション系(ズイヨー映像含む)の監督たちの 世界名作劇場シリーズ履歴について語ってたが、 今度は日アニメーション系のほかの作品履歴も入れてみよう。 ここは彼らの日アニメーション系入り時期と、その後の動向に注目したい。 遠藤政治 73年『山ねずみロッキーチャック』監督 75年『みつばちマーヤの冒険』監督(シリーズ初期) 75年『草原の少女ローラ』演出(監督。江崎実生と連名)、絵コンテ、作画監督 76年『ピコリーノの冒険』監督(斎藤博と連名) 77年『あらいぐまラスカル』監督(1-29話、遠藤政治と連名) →80年『ヤマトよ永遠に』、82年『ヤマト3』作画など 遠藤政治は1973年『山ねずみロッキーチャック』の全話監督と、

    富野由悠季と世界名作劇場シリーズの関係(または世界名作劇場監督・富野喜幸という可能性)
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    prisoner022 2008/11/10
    「世界名作劇場監督・富野喜幸」は今となってまったく想像つかなかったものだが、当時はまさに運命の悪戯がなければ、とっくに実現したものなのかもしれません。
  • 昭和初期の『ほしのこえ』? 『すゞみ舟』(日記風) : 藤津亮太の「只今徐行運転中」

    2007年11月25日00:46 カテゴリ 昭和初期の『ほしのこえ』? 『すゞみ舟』(日記風) ちょっとプライベートでバタバタしていて、プチ『クレイマークレイマー』状態(古い)でした。おかげでここ数日まとまって仕事をする時間がとれません。こういうのもリア充っていうんでしょうかね(苦笑)。そこで細切れな時間を利用して、ちまちまと遊びで調べものをしてみました。もちろん専門の方には常識的なことでしょうが、そこはそれ門外漢の手すさびと思ってお見逃しください。なにしろ資料は蔵書とネットのみ(いちおうネットはあまり使わない、という縛りを決めてみました)なので。 そもそもは谷沢永一の『紙つぶて―自作自注最終版』を読んであるに興味を持ったのがきっかけ。そこでそのをネットで求めてみました。 『ぶるうふいるむ物語 秘められた映画史70年』(三木幹夫、立風書房)。 タイトル通り、ブルーフィルムの歴史をおった

    昭和初期の『ほしのこえ』? 『すゞみ舟』(日記風) : 藤津亮太の「只今徐行運転中」
  • ガンダムから読み解く80年代(11)ヤマトからガンダムへ〜そして自虐へ - MUDDY WALKERS ブログ

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    prisoner022 2007/10/14
    素直に見るとそういうことですよね。わりと納得です。
  • WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり[五味洋子] その14 あの頃のアニメ(1)

    題に入る前に前回の補足を。有文社の『日アニメーション映画史』の記述によりますと、民話社のアニメ通信教育は講習費7000円、期間は4ヶ月だったそうです。終了後にホーム・スタッフとして採用される場合もあったそうですが、実際に採用されたのは東京近郊の100人前後だった、とあります。費用からして、私の場合、お年玉の貯金を当てたのではないかと思われますが、意外なところでアニメの歴史と関わっていたことに我ながら驚きます。 さて、題に戻りましょう。私が高校時代を過ごしていた1960年代の終わりから1970年代の初めにかけて、アニメは少しずつ変化の時を迎えていました。呼び名こそまだ「テレビまんが」のままでしたが、「まんが」という、どこかのどかな感じを受ける呼称の枠に収まらない作品が出始めていました。 それらの動きの背景には、印刷文化の中での、まんがよりも激しい表現と内容を持つ劇画の台頭が大きな影響を

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    prisoner022 2007/08/18
    「これらのアニメや特撮作品を見て育った世代には充分に、重厚な人間ドラマや社会告発を受け止める下地ができていたのです。」アニメブームの前史ですね。
  • Amazon.co.jp: 昭和30年代: 「奇跡」と呼ばれた時代の開拓者たち (平凡社新書 382): 塩田潮: 本

  • アニメと「戦争」 そのための覚え書 : 藤津亮太の「只今徐行運転中」

    2007年07月22日01:48 カテゴリ仕事書籍 アニメと「戦争」 そのための覚え書 少し前の『グレートメカニック』に書いた原稿です。「覚え書き」と書いているように、基的にほぼ一晩か二晩で、自宅にある資料で調べられる範囲で書いたので、まだいろいろ補足したいところがあるし、ラストもなんか駆け足で終わってます。 これをベースに長めのものを、という企画を何度か動かしているのですが、なかなか形になりません。 (タイトル) アニメと「戦争」 そのための覚え書き アニメ――特にロボットアニメを中心とする男子向け作品――にとって戦闘は欠かせない。その戦闘を作品の中に位置づける場合、「戦争」というスタイルはある意味不可避ですらある。現実に戦争があり、フィクションが現実の反映である以上、なんらかの形で「戦争」が入り込んでくることは避けられない。 日人にとっての“リアルな戦争”は、突き詰めていけば第二次

    アニメと「戦争」 そのための覚え書 : 藤津亮太の「只今徐行運転中」
    prisoner022
    prisoner022 2007/07/23
    この時点でようやく日本人は、良心の呵責なく語りうる、誰も傷つくことのない戦争を手に入れることに成功した/『ガンダム』で始まった戦争のサブカルチャー化、キャラ化は、『マクロス』でついに完成した
  • ■後ろ向きに、80年代■ - 550 miles to the Future

    1989年1月7日、バイト先で知り合った子に「会いましょう」と呼び出された。だが、その子は「今日、実はちょっと用事があるんで」とか言って、ものの数分で帰ってしまった。帰りぎわ、電話番号を書いたメモ(当時は携帯電話なんかなかったので、自宅の電話)を渡された。夜になってから「何だったの、今日は?」と電話したら、いきなり「性格が合わないので、もう会えません」とか言い切られましたよ。 その日に昭和が終わり、翌朝から平成がはじまったんだ。「80年代って、昭和とともに終わったんだよな」とボンヤリ考えていたら、「そうだ、俺、天皇崩御の日にフラれたんだった」。なんか象徴的な気がする。コジツケだけど。 翌1990年、僕はひっそりと大学を卒業した。僕のモラトリアムは、90年代の到来とともに終わった。翌年、バブル経済も終了。何もかも、いっしょくたに全部終わってくれた。 80年代の後半、バンダイから「Bクラブ」と

    ■後ろ向きに、80年代■ - 550 miles to the Future
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    prisoner022 2007/06/19
    80年代前半というのは、ちゃんと大人が文化をリードしていて、僕らも大人に期待していた。/「まんが映画」を「映画」にバージョンアップする/角川春樹/「大人の力で、アニメ文化に社会性を持たせる」というベクトル
  • その昔は祭りというのは相当にやばいものだったらしいが - Living, Loving, Thinking, Again

    http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50314491.html ここでは、『読売』と『毎日』の記事が引用されている。浅草の「三社祭」で、「神輿」の上に乗った連中が「都迷惑防止条例(粗暴行為の禁止)違反や公務執行妨害容疑」(『毎日』)で現行犯逮捕されたという。「浅草神社は祭りの開始前、神輿に1人でも乗ったら、境内から出る時の「宮出し」と呼ばれる行事を中止すると、担ぎ手側に通告しており、今後の対応を協議している」(『読売』)。これに関しては、 現場では「神輿に乗るな」と警官が注意していたけど、夕方のテレビのニュースを見たら、やっぱり乗ってるのがいた。見ればどれも倶利伽羅紋紋の怖そうな方ばかり。あの方々に下りろというのは、一般人ではなかなか難しいだろう。 見ているほうからすれば、神輿の上に人が乗っていたほうが絵になるような気もするけれ

    その昔は祭りというのは相当にやばいものだったらしいが - Living, Loving, Thinking, Again
    prisoner022
    prisoner022 2007/06/08
    そもそも戦前くらいまでは、祭りというのは暴力的でやばいものだった。神様の御威光をかさに、神輿を担ぎながら、日頃気に食わない家とか世俗的権威たる警察署とかを襲撃するというのは当たり前だった。