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WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり[五味洋子] その14 あの頃のアニメ(1)
本題に入る前に前回の補足を。有文社の『日本アニメーション映画史』の記述によりますと、民話社のアニ... 本題に入る前に前回の補足を。有文社の『日本アニメーション映画史』の記述によりますと、民話社のアニメ通信教育は講習費7000円、期間は4ヶ月だったそうです。終了後にホーム・スタッフとして採用される場合もあったそうですが、実際に採用されたのは東京近郊の100人前後だった、とあります。費用からして、私の場合、お年玉の貯金を当てたのではないかと思われますが、意外なところでアニメの歴史と関わっていたことに我ながら驚きます。 さて、本題に戻りましょう。私が高校時代を過ごしていた1960年代の終わりから1970年代の初めにかけて、アニメは少しずつ変化の時を迎えていました。呼び名こそまだ「テレビまんが」のままでしたが、「まんが」という、どこかのどかな感じを受ける呼称の枠に収まらない作品が出始めていました。 それらの動きの背景には、印刷文化の中での、まんがよりも激しい表現と内容を持つ劇画の台頭が大きな影響を
2007/08/18 リンク